月夜にきみと星をさがして

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月夜にきみと星をさがして

「帰ったら電話してもいい? 前に番号交換したよね?」 心臓がドキリと跳ねた。 学校は違うけれど塾が同じ寺井君。 塾の授業が終わったところで彼から話しかけられた。 即答できなかった。 今日はお兄ちゃんが夜勤。 私が今から帰る頃に隣の部屋で寝ている。 だから電話はちょっと。 よほど困った顔をしていたのだろう。 寺井君は両手でストップの仕草をして喋りだした。 「えーと、ああ、神木さん。じゃあ、一緒に帰ってもいい? 今日は電話しないから」 「あ、うん」 あまり顔にでないんだと思う。私はたぶん。 嬉しいとか嬉しいとか嬉しいっていう気持ちが。 だから寺井君は遠慮がちに、いいかな? と確認するように聞いてきたのだろう。 寺井君に顔を覗き込まれると、ついぱっと目をそらしてしまう。 だって、近すぎる。だけど、彼を見たくってそっと視線を戻す。 寺井君をじっと見つめる。 するとポリポリと頬を指で掻きながら、今度は寺井君の顔が赤くなった。 それを誤魔化すつもりなのか私に言ってくる。 「神木さん、顔が赤いよ?」 「え? 寺井君でしょ、赤いのは」 そう言ってから互いに顔を見合わせ、同じくらい赤いであろう顔を指さして笑った。 塾の他の生徒たちはガヤガヤと帰り支度をしている。私たちも同じように荷物を片付けて並んで歩き出した。 塾の外へ出るとひんやりした空気。 まだ夕暮れの空に月が昇ってきている。 今日は三日月。 私の好きな形。 隣をそっと見上げれば寺井君の横顔。 三日月に似てるシュッとした鼻筋。 隙あらば見つめていた寺井君と、並んで歩いている。不思議。 一緒に帰ってるのがなんだか不思議。 月を見上げたり、互いの学校の話をしたり。 月夜の晩にゆっくりゆっくり歩いた。 車のライトが時々二人を照らした。 私たち、どう見えてるだろう? 「じゃあさ、明日、電話していい? 塾もないし」 帰り道の途中の公園まで歩いたとき、さらりと尋ねられた。 明日か。 明日なら。 「明日なら…お兄ちゃんが出かけるって言ってたからいいよ。でも」 「ん?」 「電話だけじゃなくて。次の塾の日も、一緒に帰ってもいい? 声だけじゃやだし。ちゃんと顔を見て話したい」 あれ、私なんか凄いこと言った? 口が勝手に言ってるみたいに。 寺井君の顔がみるみるうちに耳まで赤くなった。 「えっとあの…ゼンショします」 真っ赤な顔で口元を手のひらで隠しボソボソ呟く。 明後日のほうを向いてる。 そっちに私はいないよ? わかってる? 私は寺井君の頬を両手で挟んで無理やり視線を合わせた。 寺井君が真っ赤なトマトよりもっと赤くなって目をそらす。 む。 逃がしてあげない。 そっぽを向いたみたいな寺井君を見て、私の中で何かがぶわっと拡がった。 「電話の内容、今、聞きたい。明日じゃ気が変わっちゃうかもしれないし」 大きな声で早口で寺井君にぐいぐい詰め寄る。 どうしてか、どんどん口から溢れてくる。 どうしたの、どうしたんだろ私。 詰め寄って、今度は寺井君の手を握って──。 寺井君は一歩も二歩も後ずさった。 それを見て私は一歩も二歩も前へ出る。 離れないように。 あれ、ちょっと待って私? こんなキャラだったっけ? 「え、いやあの、ちょっと恥ずかしくなってきたっていうか無理。だからさ、やっぱり」 あまりに私が引かないので寺井君はストップの仕草をまた見せた。 諦めたように大きく息を吸って吐いてそして。 私の肩を、落ち着け、と言わんばかりに両の手のひらでポンポンと叩いた。 それから、にこりと笑う。 「ちゃんと言わせて」 「電話で?」 「じゃなくて。今から、ここで」 「うん、はや、く」 目が少し霞んできた? 私は体がぐらつくような感覚のなか、一生懸命立っていた。 ふらふらふわふわ地面がクッションみたい。 しかも寺井君の姿が、なんだか滲んで、いく? 「神木さんのこと、ずっと」 「ずっと?」 「──と、思ってた」 「え? 聞こえない、聞こえ、ないよ」 目の前が暗くなる。 そしてそのまま。 暗転。 *** 月がきれい。 目を開けたら真上に三日月が見えた。 横になっているらしい、私の体。 横になったままぼんやりとあたりを見回す。 きれいな月が見えるのに、寺井君がいない。 確かに塾の帰りだったのに、どうして私は横になっているんだろう。 ここは公園? 公園のベンチの上? 「気がついた?」 ふっと視界いっぱいに寺井君が入ってきた。 近い! 頭はぼんやりしているけれどそこは恥ずかしい。 ぷいっと顔をそらした。 顔をそらした私に、寺井君はホッとしたように笑った。 「神木さん、頭は? 霞がかってる?」 横になったまま少し首を振ってみる。 さっきみたいに何かがぶわっとくる感覚はない。霞まないし寺井君もクリアに見えている。 「クリアに見えてるよ。てら……月が」 寺井君が、と言いかけて。 はっとして、月が、に変更した。 だって本当にクリアに見えているけれど恥ずかしい。見てるってバレちゃうの、やだ。 「よかった、神木さん戻ってる」 「もどってる? なんのこと?」 寺井君が口元に曖昧な微笑みを浮かべた。 「いつもの神木さんに、ね」 「いつもの?」 「そ。ちょっと猫ちゃんに退場してもらったから」 「猫? 飼ってないよ?」 「飼われてたかもねえ」 寺井君がのらりくらりと核心をとらえずに会話を進める。 もう。何を言ってるの? そうは思ったけれど言えなかった。 寺井君の笑顔が、私を見てくれる視線が、私から外れてしまうのが惜しくって。 なんだろう? 私、さっきはもっと大きな声をあげて寺井君の手を握って──。 だめだ、だめ。 覚えてるけど恥ずかしくてしにそう。 あれ、あんなことしてこんなことして寺井君がタジタジになって……違う。あれはきっと夢。 夢に違いない。 自分に言い聞かせる。 あの感触を忘れたわけではないけれど、恥ずかしくて。 ゆっくりと体を起こした私に、寺井君はそれ以上何も言わなかった。 ベンチに座る。寺井君も横に座った。 月はやっぱりきれいだ。 寺井君の顔を見られない私は、月ばかり見ていた。 *** 「まさかの猫ちゃん憑きとはねえ」 榊がくすくす笑って言った。 「なんか最近神木さんの様子がおかしいと思ってたんだよ」 「『さいきん』、ねえ」 その声がニヤニヤした笑いを堪えた何かを含んでいる。 「『寺井君』、あの子のことけっっっこう見てたよね?」 『結構』の小さい『つ』かなりつけたよな、こいつ。 やだやだ、年上の余裕みたいな態度。 「見てねーし」 「見てなきゃ少しの変化にも気付けなかったはずでしょ?」 「ぐぐぐ」 俺は拳を握りしめて低い声をだした。 「だけどほんとに実際会えたのはあの月夜の晩だけ。塾の記憶は偽物だし……もうだいぶたつから、あの子は忘れてるよ?」 穏やかな物言いに俺は大きな大きなため息をついた。 「抉るの禁止……傷心の俺を慰めるとかしてよ」 「慰めるのはご自分で、として。ねえ、ちょっと降りてみる?」 そうやって指をさしたのは、満月の夜に塾から一人で帰路についている神木さんだった。 俺と榊は高い高い空の上の宇宙船にいる。 きっと地上からは星に見えているだろう。 それでも俺には神木さんこそがまるで星みたいに光って見える。キラキラしているおとなしい女の子。 もう手には届かない。あの日のことは夢のような出来事だった。嬉しくて俺は忘れられない。 だけど。 俺のことも含めて全部、彼女から忘れさせたのは俺自身だ。仕方ないこと。それが俺や榊の仕事なのだから。 「いいよ、会ってもどうせ」 忘れてるし。 最後の言葉を飲み込んだ。 でも、榊の一言が背中を押す。 「これは賭け。もし彼女が覚えててくれたら──そうだな、電話くらい許すよ」 「宇宙と?」 「そう。宇宙電話」 榊はバチンとウインクをしてみせると、俺の背を押した。物理的に、背を。 ふわりと宙を舞う感覚。 俺は宇宙船から飛び出した。 真下にいる、神木さんを目指して。 *** 「あれ? 今、突然人が現れた? ような気が……」 塾の帰り道。 私は首を傾げた。 まさか。まさか気のせいでしょう。 向こうから歩いてきた男の子。 さっきまで。ほんの1秒前までいなかった気がする。 突然姿があらわれて? いいや、ないないない。そんなことあるわけがない。 私はぶんぶん首を振った。 そんな私を見て、目の前にまで近づいてきた彼が小さく笑った気がした。 誰だろう? 違う学校の制服。 誰だったかな? 塾のカバンが同じ。 塾の子?  誰だろう? なんとなくなんとなく、どこかで会ったことがあるような。ないような。 私は必死で考えた。 でも思い出せない。 もうちょっと顔を見たら思い出すかも? 私は意を決して男の子の顔をじいいっと見つめた。 とたん、男の子がぱっと顔を赤くした。 どこかで、見た光景。 あれ? 私、こんな感覚を知ってる……? 前に塾のクラスにいた男の子がこんなふうで。 私は彼のことをいつも見ていて。 好き、で。 ああそうだ。電話するねって言ってくれた。 そうだ、最後に見たのは三日月だった。 横顔が三日月みたいで。 名前は。名前は、そうだ。 「てら、い、くん?」 *** 満月の夜に。 私は彼を思い出した。 そうだ。 そうだそうだ! 寺井君だ。 どうして忘れていたんだろう? 私が自問自答していると、寺井君はうつむいてしまった。ポソリと呟く。 「あの日限りのことにする予定だったから」 えっと、それは。 そう、これも何かを言っていた。 『猫ちゃんを飼ってるね』 そうだ、これだ。 「猫ちゃんが、私の中にいたから……?」 寺井君のことと一緒に、忘れていたあの日のことも思い出した。 あの日、やたらと自分の行動がおかしかった。 思い出してしまうと、恥ずかしいくらいおかしかったと自覚してしまう。 あれは、猫ちゃんがいたから? 「それはもういいんだ。もう大丈夫。猫ちゃんはもういない。まああの神木さんも積極的で可愛かったけどあれは天使だったかもしれないけどでもやっぱり可愛いすぎて仕方ないし」 ゴニョゴニョと語尾が聞こえなくなって早口のせいか内容も聞き取れない。必死で内容を頭の中で整理していると。唐突に寺井君が言い出した。 「なんかお許しがでたんだけどさ。『宇宙電話』って通信手段を信じてくれる?」 「え?」 「どこにいたって話せるってこと。宇宙にいても地球にいても。そんで時々は俺がここに降りてきて、さ」 「会えるってこと?」 よくわからないけどふわふわしてるけど。 要約すると。 声を聞けて、会ったりもできる。 寺井君がどこの誰でも。 どこかから、宇宙からでも飛んできてくれるの? 三日月みたいな横顔の寺井君が好き。 だからそんな提案、嬉しすぎる。 私はぼおおっと彼の顔を見つめていた。 吸い込まれそうな気持ち。 なんだっていい。 また思い出せたんだから。 ああ、彼の後ろに見える満月が夢みたいにくっきりはっきりみえる。 ──月夜の晩はいいことが起きるのね。 寺井君が口を開く。 優しい優しい声で囁いた。 「そう。だからさ。次は宇宙から。電話、してもいいかな」
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