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彼から夜釣りに誘われたのは、橋での別れから三日後だった。
あの日から二日間、彼はS先生のもとにも訪れず、三日目になってからふらりと現れると、何もなかったように話しかけてきた。私も特に断る理由もなかったので、誘いに応じた。
彼は釣りが好きだった。暇になると、釣竿を手に川に出かけた。一度など、あの橋の付近で腹の黄色い大きな鰻を釣り上げ、評判になった。自分では捌くことができないとS先生の家に持って行き、夫人が近所の鰻屋に頼み込んで料理してもらっていた。たまたまその場に居合わせた門下生たちは、図らずも極上の鰻にありつけた。釣り上げた彼は「長いものは苦手だ」と言い、他の人が鰻に舌鼓を打つのを、杯を傾けながら朗らかに眺めていた。
また、ある時、あまりにも釣りばかりしているので、他の書生から『太公望』と揶揄された。彼は「その通り、俺は魚よりも大きなものを狙っているんだ」と臆面もなく言い募り、相手を鼻白ませていた。
そう言うだけあって釣りは上手く、彼と一緒に釣りをするのは楽しかった。
日も暮れ、居待月が東の空に昇るころ、連れ立って川へ向かった。いつも渡る橋から更に上流に川をさかのぼり、彼の言う穴場を目指した。
「この頃は何が釣れるんだ?」
「さあ、何だろうか。まあ何でもいいさ」
何とも頼りない言葉に拍子抜けしたが、飄々とした彼の普段通りの調子に安堵した。
道端にはぽつぽつと待宵草が咲き、月に照らされて街灯のように淡く光っていたのを、今でも覚えている。
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