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彼はあの時のまま、時間を止めた。私はまた、今年も一年分年を取る。
私はあれから、貴子と結婚した。貴子と共に、一年ずつ年を重ねていく。そうして、年に一度、月の奇麗な晩に彼と逢瀬をする。
若い姿のままの彼と連れ立って歩く私は、すでに十六年、年上になっている。その筈なのに、彼に会うと、あの頃の気持に立ち戻ってしまう。
「今年もまた、貴様は来たんだな」
そう語りかけると、彼は最後に見たのと同じ透明な笑顔を浮かべた。瞳もやはり、深く澄んでいる。
街灯の周りを飛んでいた蛾が、その翅ではもう重力に逆らいきれなくなって地面にぽたりと落ちた。
天頂からやや西へずれた月が冷たく冴えわたり、星々は光を失っている。
「月が奇麗だな」と彼が言う。
私はどうしようもなく、下を向いた。道の上には月からの光でできた人影が一つ、伸びていた。
最初に、彼の手を振り払ったのは、私だ。
最後に、私の手を振り払ったのは、彼だ。
私たちは、お互いに相手を想いながら、相手の手を取る勇気がなかった。
私は、私をこの世に置き去りにした彼を憎む。彼は、この世での私の裏切りに対して復讐する。こうして、毎年、私に『月が奇麗だ』と告げることで。
その度に私の心は、取り返しのつかない過去と、手にしたかもしれない未来の、両方に引き裂かれる。それでも私は生きていて、生き続けなければいけないのだ。
「家内にも、そう伝えておく」
私の応えは毎年同じだ。彼も毎年、そうか、と応える。
堪らなくなり、顔を上げて彼を見た。昔と変わらず私を見詰めるその姿に、思わず口を開いたが言葉は出てこなかった。その刹那、月が雲に隠れ、辺りが闇に包まれた。
どのくらいの時間だろうか。ごく短いようにも感じたし、非常に長かったとも思う。雲間から、月の光がまた万物に等しくふりそそいだ時、彼の姿はかき消えていた。
私は一人、道を歩いていた。
空を仰ぐと、月もたった一人で中空に懸かっている。私は口を噤み、墜落した蛾を踏まぬよう気を付けて、もと来た道を戻った。
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