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 通りまで僅かな距離なのに、隣にいる戸川団を意識すると、有紀の胸の鼓動は早くなった。  顔立ちや身なりが地味なせいか、何かと弱気が過ぎる彼女は恋愛にも消極的。彼氏いない歴は優に十年を超え、面倒臭いからこのままで良い、と半ばヤケクソ気味に思っている。  その分、大人の男と肩を並べる感覚に馴れていない。    どうしても上がりがちなテンション、乱れがちな呼吸を抑え、努めて冷静に話しかけてみた。   「あの……あなたの、あの力……因果律を読む、だっけ? 超能力みたいな奴は生まれつきなの?」 「うん、僕にも良く判らない。何時の間にか、気が付いた時にはできるようになっていた」 「羨ましい。凄い才能じゃない」 「良い事ばかりじゃないさ。それに自覚しづらい才能の一つや二つ、誰でも秘めているだろ。例えば、君だって」 「……あたし?」  自販機の前まで来て、団は缶コーヒーを二つ買い、一つを有紀へ投げる。落としそうになり、オットット、と声が出た有紀へ穏やかな微笑を向けて、 「僕ね、実は結構前から、あの裏路地で君が猫と遊ぶ様子を眺めていたんだ」  とストーカー紛いの告白をする。 「あ~、ドン引きしても良いけど、もう少し話を聞いて。あそこ、夜にはご近所中の猫が屯するでしょ?」 「まるで集会所みたいにね」 「四日前、常連の一匹、年老いた黒猫が来た時の事を覚えているか?」 「え?」 「酷くやせ細った体で、何か漁る事も無く、他の猫の様子を眺めながら、アイツ、しばらく寝そべってたよね?」 「うん」 「で、フラリと立ち去りかけた時、居合わせた君は、彼の背中の方から駆け寄り、優しく抱きしめた」 「……あ、あれ、見てたの!?」 「翌日以降、その猫はもう二度と姿を見せる事は無く、因果律を見抜く僕には理由を察する事ができた。路地裏から出て行った後、人気の無い場所で体を横たえ、静かに息を引き取ったんだ」  自販機の横で壁に凭れた有紀は、缶コーヒーを飲まず、切ない溜息をつく。 「今度は驚かないんだね」 「……うん」 「彼が死んだ事、知ってたろ、君? 僕とは違う方法、違う能力で、君は猫の運命を察知したんだ。違うかい?」 「……そんなんじゃないわ」 「野良だった黒猫の行く末を悟り、そっと別れを惜しんでいる様に見えたけどな、僕には」 「ん~……ただ、寂しそうって思っただけ」  奥光りする瞳を旺盛な好奇心で一層輝かせる団から、有紀は目を逸らし、出て来たばかりの裏路地の方を振返った。 「猫って、死ぬ姿を誰にも見せないって言うでしょ」 「ああ、良く聞くね」 「でも最後の挨拶には来てくれるの」 「挨拶? 猫が?」 「田舎にある私の実家、昔からたくさん猫を飼ってたから、お別れに来る雰囲気が何となく、わかる。足元なんかヨレヨレで、もう何一つ恐れる素振りは無いのに、何処か寂しそうな感じがして」 「……へえ」 「見てたら、抱きしめずにいられなくなる。向うは迷惑かもしれないけど」 「ふふっ、今は僕も野良みたいなモンだからな。因果律とか抜きにして、彼らの気持ちが良くわかるよ」  団はコーヒーを最後の一滴まで音を立てて啜り、空き缶をゴミ入れへ投げ込んだ。ついでに指先の滴を舐める。  そんな貧乏くさい動作がすっかり板についており、今やテレビで見た姿とは別人だ。 「うん……彼ら、君に会えて凄く幸せだったと思う、猪又有紀さん」  貧乏臭い笑顔が何故か眩しい。  有紀は慌てて目を逸らし、また乱れそうな動悸を鎮めて、残る疑問をぶつけてみた。   「ねぇ、あなたみたいな人がどうして、あたしの名前を知ってるの? それと路地裏に通い、身を潜めてまで、様子を伺っていた理由は?」 「ウン、それはつまり、君が僕にとって運命の人だから」 「あ……えっ……はぁっ!?」  さらりと言い返す団の台詞は、有紀の胸へ鋭く突き刺さった。 「あの、それって……つまり……」  言葉はシドロモドロになり、真っ赤に染まって火を吹きそうな頬も、ドンドコ高まっていく動悸も、もう抑えが効かない。  有紀の中で共存するチキンと乙女が、足並み揃えてオーバーヒート。    ワナワナ震える指先から路上へ落ちたアルミ缶が耳障りな音を立て、アスファルトの路上を転がっていく。  団もハッと息を呑んだ。遅ればせながら、彼女の表情の変化と、その意味に気付いたのだ。    色々見通せる癖して、コイツも相当迂闊な性分らしい。意味深な言葉を使ってしまった事に気付くや否や、みるみる狼狽えた表情となり、   「あ、いや……運命って……え~、そういう意味じゃなく……」  そこまで言って、絶句する。 「そういう意味って、どういう意味よ!?」  団の狼狽は止まらない。目を白黒させつつ、大慌てで頭の中を整理し、 「え~、僕は今、ある仕事のトラブルに巻き込まれている。だから因果を見抜く力をフル回転させ、回避手段を探っていたんだ。 そして、僕の……いや、僕だけじゃない、多くの人の運命を左右する決定的な舞台に、君が関わっていると判った」  一気に話し、深呼吸。  深呼吸が必要なのは、有紀の方も御同様だ。 「あのぉ……あたし、只のしがないOLですけど……」 「いや、君だよ。君なんだ。僕は、どうしても君に頼まなければならない事がある。明日、職場である事をして欲しい」  もう一度深呼吸し、眦を決した団の表情は女をからかう雰囲気ではない。文字通り、命がけの気迫が滲んでいた。 「まさか、犯罪の片棒担ぎ!?」 「いや、むしろ人助けさ。行為自体はシンプル。大した負担にならないだろうし、君自身が傷つく可能性は殆ど無い」 「……それで、あなたも救えるの?」  有紀にとって、それは質問では無かった。  死にゆく猫を放っておけない様に、目前のさもしい野良オトコを見捨てる事も、お人よしの彼女には難しい。    それだけの切実さが、団の言葉には秘められている。    反面、やっぱり騙されてるのかな、と心の底で思いつつ……
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