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Ⅱ
「……それにしてもこの番組も長いよなあ」
父親がしみじみとした様子で一人ごちた。「そうねえ」母親が反応する。マコはといえば相変わらず目をこすり、あくびをかみ殺すのに忙しい。
「そうねえ、私たちが結婚する前からやってるものねえ」
「と、するともう10年以上になるのか」
「あら、確かにそうね。私も年を取るはずだわ。ほほほ」
『爆笑! 漫才アワー!』を見ながら年を越すのも今年で10回目を迎えていた。毎年出る演者の顔触れは変われど、番組の構成は変わっておらず、多くのお笑い芸人が入れ替わり立ち代わり己の芸を演じている様は、よくいえば安定感があり、悪くいえば新鮮味に欠けるものであった。
「ねえねえ、ワンちゃんって人の言葉をしゃべれる子もいるの?」
「あ? どうした急に?」
「いいから、そんなワンちゃんもいるか聞いてるの!」
ともすれば落ちてしまいそうな意識を無理やりつなぎ止め、マコは先ほどから気になっていることを父親に聞いてみた。
多少口調が荒いのは、幼いなりに眠気に抗った結果にすぎない。
「そうだなあ。もしかしたらいるのかもしれねえなあ」
腕を組みながら、相変わらずのにやけ顔で父親が答える。テレビの向こう側では男と犬が会話を続けている。【ワハハ】胡散臭い合成音じみた観客の笑い声。「ちょっとやめなさいよ」そう窘める母親の表情もどこかやわらかい。
「ええ!?」マコの目が驚きで大きくなった。
「わたし、そんなワンちゃん見たことないよ!?」
「そんなこと言っても、現にこうして出てるじゃねえか」
「わたしも会いたい!」
「どうだろうなあ、なかなか難しいかもしれねえなあ」
「会いたい! 会いたい! 会いたい!」
「今はテレビで我慢しろやい。そもそも滅多にお目にかかれないからこうしてテレビに出られるんだろうが。マコも長生きしてりゃあ、コイツみてえに人間の言葉を話す犬に出会えるかもしれねえよ」
「ほんと!?」
父親が【よっこらせ】といった調子でコタツから抜け出す。
「どこ行くの?」
「トイレだ」
いたたた、と顔をしかめ腰をさすりながら障子を開けて部屋を出る父親の後ろ姿をマコは見送る。「帰ってきたらまたいろいろ教えてねー!」「ああ、わかったよ」父親の返事に無垢な希望をしたため、満足気な表情でいる娘を見て、母親がそっとため息をつく。
──まさか、本気にするなんて……。
小学3年生ということを考えれば、それは仕方がないことなのだろう。とは思う。しかしながら自身、サンタクロースの正体にまつわる苦い記憶があったため、どうしても娘の近い未来を心配せずにはいられなかった。
心配しすぎ、なのかもしれない。
夫の軽口につい乗ってしまった己の浅はかさに後ろめたさを感じつつ、母親は視線をテレビに向けた。
〈そろそろ時間になるが、最後に何か言っておくことはないのかい?〉
〈そうだなあ、せっかくの機会だし僕の外国語をまた披露しようか〉
画面の向こうでは相変わらず犬が人語を話している。ように見える。
「ねえマコ?」
「……」
「マコ?」
「……」
〈にゃあ!〉
【ワハハ】
〈ウキー!〉
【ワハハ】
〈ワンッ!〉
〈だからそれは違うって!〉
【ワハハ】
「あら」
マコはいつの間にか寝てしまったらしい。「ふふふ」娘の隣にそっと移動し、自身の膝に乗せ両手を小さな尻に添えた。
規則正しく断続的に聞こえる、小さな寝息がとても愛おしい。
〈以上! 腹話術師コウジ&タローでした!〉
時刻は0時を迎えようとしていた。今年もあと少しで終わる。口を開けたまま気持ちよさそうに眠る娘を見ながら、来年はどんな年になるのだろう、と思いを巡らす。
家族3人とも健やかに過ごせればそれでいい。
そう思った。
障子の向こう側、廊下の先からトイレの水を流す音が小さく鼓膜を揺らした。
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