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Ⅰ
〈僕ね、外国語をマスターしようと思ってるんだ〉
〈外国語? いいじゃねえか。これからはグローバルな世界になるみてえだし、しゃべれるもんはしゃべれたほうがいい。ただな……〉
〈なんだい?〉
〈おめえは犬っころだろう? まさか、人間さまのように英語や中国語を学ぶってわけにもいかねえじゃねえか〉
〈ふふふ、なんだそんなことかい。それなら心配には及ばないよ。だって僕はすでにいくつかしゃべれるようになってるんだからね〉
〈おっ、そりゃたまげたな。それじゃあ、なにかしゃべってくれよ〉
〈にゃあ!〉
テレビ画面の向こう側で【ワハハ】と、どこか合成っぽい若干ウソめいた笑い声が起こる。
「んー」
コタツに入り蜜柑をほおばるマコには、何が面白いのかサッパリわからなかった。
「ねえ、今のどういうこと?」
隣に座る母親に尋ねる。
「そうねえ……」形の良い眉をひそめ、小首をかしげながら少しばかり考える様子を見せたあと、母親もマコと同じように蜜柑をほおばりながら、
「犬からしたら猫の鳴き声が外国語ってことなんじゃない?」
と、答えた。
「ふーん」
なんだそれ? という言葉を蜜柑と一緒に【ごくん】と飲み込む。
画面には一人の男と一匹の柴犬がセンターマイクを挟んで左右に立っている。男の様子はどこか胡散臭い。
小学3年生のマコにとって、次々とテレビに映る芸人たちの話はどれも難しく、母親の説明があっても理解できないものばかりであった。
「ようはあれだ、『犬のおまわりさん』って歌があるだろう? あれと同じだよ」
マコの向かい側に座る父親が言う。
「『犬のおまわりさん』?」
「ああそうだ。あれだってお前、迷子の子猫がなに言ってるのかわかってないだろう? 『にゃんにゃんにゃにゃーん、にゃんにゃんにゃにゃーん』ってさ。犬にとったら猫の言葉は外国語と同じってことなんじゃないか?」
「ふーん」
と、相槌を打ったものの、マコ興味はすでに違うところに移っていた。
〈それにしてもまさか猫の言葉だとは思わなかったぜ〉
〈ふふふ、そうかい? ちなみに僕は他にも外国語を話すことができるよ〉
すなわち──。
〈おっ、なんだい?〉
〈ワンッ!〉
〈……っておいおい、このタイミグで吠えるなよ、そうじゃないだろう?〉
【ワハハ】
〈ウキー!〉
〈猫の次は猿か、お前もなかなか忙しいねえ〉
犬が人間の言葉を話していること、についてである。
「……ふわあ」目をこすりながらマコはあくびを何とかかみ殺す。
時刻は夜の11時前。普段であればとっくに寝ている時間であったが、今日だけは違った。
大晦日。
この日は(マコの家では)、1年のうちで唯一夜更かしをしても良い日となっていた。
だからマコは起きている。全然眠くなんてないよ、といった様子で頑張って起きている。
「ふふふ」
娘の様子を見た母親が優しく微笑む。ねえねえと夫の視線をテレビから正面へと向けさせる。
父親の表情が柔らかく、そしてゆっくりとゆがんだ。
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