九 借家の住人

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九 借家の住人

 斬殺現場である居間の隅に、大家が座った。 「ここに住んでいた加藤貞蔵とこの男の関係を知らぬ、と言ったが誠か」 「・・・」  藤堂八郎の問いに大家は黙秘している。 「事実を言え。さもなくば、北町奉行所で詮議するぞっ」 「申し訳ありません。ここを借りたのは、ここに住んでいた加藤貞蔵です。  仏さんはしばしばここに来ていたようですが、私は直に顔を合わせておりませぬ」  大家は藤堂八郎に言い訳している。 「では、誰が仏の顔を見たのだ」 「はい。うちの下女が、あの脇差しの家紋を覚えておりまして・・・」 「ここに住んでいた加藤貞蔵は、何を生業にしていたのか」 「はい、用心棒のような仕事だと言っておりました。武家屋敷へ出入りしていると」 「他に何をしていた」 「それだけでして」  大家の額に汗が滲んでいる。 「訪ねてくる者はいたか」 「あの仏さんくらいでして・・・。ああ、ここの深川の芸者が来てました。  それと、一度、紋付羽織の武家が、風呂敷包みを届けた事がありました」 「一人でか」 「はい・・・」  と言って大家が目を反らした。  大家は、仏が何度もこの家を訪ねた事を知っている。やはり大家の話は偽りだ。  藤堂八郎は大家を睨んだ。 「名を名乗ったか」 「いえ、何も・・・」 「その武家に、何か変わった事があったか」 「何もありませんでした。ここを、どうしたらいいでしょうか」  大家は話を変えた。斬殺現場のこの六畳間を気にしている。  大家は仏になった男と顔見知りだ。しかも男の素性を知っている。詮議にかけるか。そう思いながら、藤堂八郎は言った。 「掃除して、新たな借り手を探すしかなかろう。  隅田村の白鬚社の番小屋に、石田という万請負屋が居る。  私から紹介されたと言って、ここの片付けを頼んでみるとよい。  だがな。畳を入れ換えるだけで、事は済むだろう」 「それもそうですな・・・」  大家は自分で後始末する気になっている。  そんな事ならいちいち私に問うまでもない。血で汚れた畳を始末するのは一人でできるが、床板まで貼り替えるとなればそうはゆかぬ。  そうかっ。床下に何かあるのかっ。 「また、訊きたい事が出たら、答えて貰うぞ」 「わかりました」  大家はその場を立って居間から去った。  大家が家を出ると藤堂八郎は言った。 「先生方は大家の話を如何お思いですか」 「藤堂様のお考えの通りでしょうぞ」  日野徳三郎がそう言うと、医者の竹原松月も頷いている。 「やはり、そう思いなさるか」  そう言いながら藤堂八郎は同心たちを近く呼び、声を潜めた。 「仏を大八車に乗せる前に、床下を調べろ。  調べた事を大家に気づかれぬよう、仏の血潮をあちこちに付けるでないぞ」 「分かりました」  同心と手下たちは仏を畳みごと移動して床板を見た。  床板は釘が抜かれてあり、すぐさま取り外せた。  床下には壷があり、中に五十両が入っていた。 「野村。台所から味噌瓶を持ってこい」 「はい」  同心野村一太郎が、台所の棚から味噌瓶を持ってきた。床下にあった壷とほぼ同じ大きさだ。 「味噌瓶を壷があった場所に置け。床板と畳を元通りにしておけ」  野村は味噌瓶を床下に置いた。  床板が戻され、畳が仏と共に元の位置に戻された。 「この五十両、吉田真介が加藤貞蔵から渡されたものであろうか」  と日野徳三郎。 「もしそうなら、ここに住んでいた浪人が吉田真介と言う事になりますな。  金子を床下に隠しておいたのは、なぜでしょうか」  と竹原松月。 「大家がその事を知っているのも、解せぬ。いずれ、大家をしょっ引いて詮議する」  そう言ったものの、藤堂八郎は何のための五十両か気になった。
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