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十 鳥見役人
その頃。
昼八ツ(午後二時)。
月代を剃り上げた武家が白鬚社の番小屋を訪れた。
「私は吉田真介と申します。石田さんにお会いしたく、尋ねて参りました。
貴殿が石田さんですか」
「如何にも、私が石田です。お上がり下さい」
村上は今朝石田と話し合った通り、現われた武家を警戒して己が石田だと名乗り、武家を板の間に上げた。
川口と本木は吉原の見世の警護で出かけ、番小屋に残っているのは村上と森田だけだった。森田も状況を充分承知していた。
板の間に正座した吉田真介は、対座した村上と森田に改めて自己紹介し、
「今朝、ここに浪人風の武家が来て、依頼事を話したはずです。
何を話したか、教えて下され」
と言って懐から鑑札を取り出して村上に見せた。
鑑札は公儀若年寄が直に指揮する、鳥見組頭配下の役人を示す鑑札だった。つまり、鳥見役人で公儀の隠密役人を示す鑑札である。
「確かに今朝、浪人の来客があり申した。
ここでの依頼は全て北町奉行所へ届けて許可を得、その後に依頼を遂げている、と話したところ、客は依頼を話さずに帰ってゆきました」
「身元を明らかしましたか」と吉田真介。
「いや、身元は何も話しませんでした」
「身元を示す物を持っていましたか」と吉田真介。
「持っていなかったと思います」
此奴、あの男の身元が知られるのを気にしておる。彼奴、何をしでかしたのか。
「あの浪人、何かしでかしたのですか。差し支えなくばお聞かせ願いたい」
村上がそう言うと、吉田真介の目付きが鋭くなった。
いかぬ、とぼけるに限る。
「なあに、単なる興味本位に御座るよ。公儀の隠密役人が調べているとなれば、興味も湧き申す。年寄りの戯れ事とお聞き流し下され」
村上は警戒心を気づかれぬよう、心を無にして深々と頭を下げた。
村上がそう話すと吉田真介は、
「ここだけの話です。他言無用に願いたい」
と言った。
「心得ました」
「あの者は、ある大名屋敷の役人の倅です。放蕩が過ぎて百両を盗んで大名屋敷を抜け出したまま戻らぬ故、大名家からお尋ね者になった身です。
私は、大名家からあの者を探すように依頼されて、探しているのです。
あの者の居所が知れたら、公儀若年寄配下の鳥見組頭に知らせて下さい。
連絡先は」
吉田真介は連絡先を説明した。
「しかと承りました」
「然らば、これにて失礼いたします」
吉田真介は丁寧に礼を述べて立ち上がり、番小屋を出た。
村上は吉田真介を見送って番小屋の外へ出た。
風もなく穏やかな日和である。吉田真介は村上に見送られ、大川東岸の堤の街道を南へ下っていった。
吉田真介が見えなくなると森田が言った。
「本当は、何者でしょうか」
「あの鑑札は本物だ。公儀の鳥見役人だ。石田さんが気にしていた、今朝の男の関係者だ。
あの鳥見役人は
『今朝の男は大名屋敷の役人の倅で、放蕩が過ぎて百両を盗んで大名屋敷を抜け出したまま戻らぬ故、大名家からお尋ね者になっている』
と話した。事実だろう」
「鳥見役人は、これから何処へ行くんですかね」と森田。
「それだっ。目的があってここに来たのだから、目的を果すはずだ」
「で、目的とは何ですか」
「今朝の男の身元を知られたか確認に来た」と村上。
「身元を知られなかったと確認して帰りましたよ」
「見た目はそうだが、本音は分からぬ」
村上は鳥見役人の態度を懸念した。
「もしやして日野殿に会いに行ったのではありませぬか」
「何のためにか」
村上は驚いて森田を見た。
森田が言う。
「鳥見役人は、あの男の素性を知っているからここに来た。男が何をしていたか、男から聞いていただろうから、男と日野殿との間であった事も、男が逆恨みして日野殿に刺客を放とうとしていた事も知っていたはずです」
「それで、如何なる目的で、日野殿に会いに行くのだ」と村上。
「鳥見役人は、男が日野殿に会いに行かなかったか、日野殿に確認に行くと思います」
「刺客を放とうとする男が、日野殿に会いになど行くものか。
だが・・・」
村上はそう言ったまま考えこんだ。
「如何しました。途中で話をやめて」
「うむ。鳥見役人の目的が、男を探す事ではなく、男が刺客を放とうとした事を知っている者たちの抹殺だとしたら」と村上。
「ああっ、それだあっ。
鳥見役人が訊きだそうとしたのは、男の身元を知っているか、居所を知っているか、でしたよね。居所云々は、後から付け足しでした」と森田。
「では、刺客を放つ事を知る者を、鳥見役人が口封じしようとしているのか」
「そうでなければ、男の身元を知っているか、などと聞きませんよ。
あの男、鳥見役人を使い、己の不始末の後始末をしているのではあるまいか」
森田は、鳥見役人の吉田が何をしようとするのか気になっていた。
「有り得るな・・・。大いに有り得るっ。
森田っ、それだっ」
「然らば、如何しますかっ」
「うむ。日野殿に知らせてくれっ。鳥見役人に気づかれぬようになっ。
石田さんは、こうなるのを懸念していたから、心配はいらぬ。
鳥見役人に気づかれぬようにせねばならぬっ」
「はいっ、行ってきます」
直ちに森田は、日野唐十郎に会うため、白鬚社の番小屋から走り去った。
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