十三 偽の加藤貞蔵

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十三 偽の加藤貞蔵

 霜月(十一月)三日。夕七ツ半(午後五時)  その頃。 「主と話したい。お取り次ぎ願いたい」  吉原の大門を如何にして潜ったか分からぬが、石田屋に女連れの浪人と思われる男が現われた。 「なんでございましょうか」  石田屋の主の幸右衛門は、見世の広い取り次ぎの間に座って男と応対した。 「私は加藤貞蔵と申します。私とこの者を、こちらの見世で働かせてくれまいか」  男は言葉穏やかに連れの女を示したが、態度は場所柄を(わきま)えず威圧的だった。 「まあ、お上がりください。よく大門を通れましたな」  大門を通れるのは遊郭の客だけだ。女は通れない。幸右衛門は男と女を幸右衛門の客用の座敷に上げた。 「はい。こちらで働くと偽って入りました」 「して、働かせて欲しいとは、どう言うことでしょうか」 「私とこの女を、こちら、石田屋で働かせて下され」  幸右衛門は女を見た。二十歳を遥かに過ぎている。 「正直に申します。花魁として働くには歳を取り過ぎております。  ここで働いている女たちは、皆、子どもの折より下働きをし、行儀作法など様々な習い事をした者ばかりです」  そう言う幸右衛門に男が言った 「この者は沙織と言って深川で芸者をしていた者です。一通りの芸事を身に付けています。私も共に働くから、五十両を工面して貰えまいか」 (当時の一両は、現代の十二万円から二十万円程と言われている。五十両は六百万円から一千万円ホほどだろうか・・・)  やっと男が本音を漏したと幸右衛門は感じた。 「この方を身売りなさると言うのですか」 「そうは言わぬ。金子を貸して欲しいのだ」 「少々お待ちを。倅と相談しますので・・・」  金子を貸す事などできぬと言う前に、幸右衛門は部屋を出て廊下の先の小夜の部屋へ行き、襖越しに、 「石田さん、すまぬが、助けてくだされ」  と声をかけた。 「お入り下さい。義父上、如何なさりましたか」  石田は襖を開けて幸右衛門が部屋に入るよう促した。石田は小夜と共にお茶を飲んでいた。まもなく夕餉の刻限だ。 「実は・・・」  幸右衛門は部屋に入ると加藤貞蔵と名乗った男について石田に説明した。 「分りました。私がその客に会いましょう。  小夜。まもなく夕餉です。その後、ゆっくりしましょう」  石田はそう言って刀(打刀と脇差)を帯びた。 「はあい。待ってますね。旦那様」  石田は小夜に見送られ、幸右衛門と共に部屋を出た。  石田は幸右衛門と共に廊下を客間へ歩いた。  客間の入り口で、石田は刀(打刀)を腰から外して右手に持ち、脇差しを帯びたまま客間に入った。刀を己の右側の畳に置いて幸右衛門と共に男と女の前に座った。 「この方が金子を工面して欲しい、代わりにこちらの方とともに、ここで働かせてくれと言いますので・・・」  幸右衛門は男と共にいる女を石田に示した。  男が石田の立ち居振る舞いを見て改まった。隣に座っている女を示して言った。 「私は加藤貞蔵と申します。  実は、この沙織が実家へ送ろうとしていた五十両を無くし、困っていました。私はどうなってもよいが、市川の沙織の両親と弟妹を助けたい・・・」 「加藤貞蔵と名乗られたが、お手前は、越前松平家家家臣の加藤貞蔵で御座るか」 「如何にも。越前松平家家家臣に御座る。恥を忍んで説明申す・・・」  加藤貞蔵は深川芸者の沙織と深い仲になり、加藤貞蔵の国元の越前へ二人で駆け落ちするつもりでいた。しかし、沙織は雪国を知らぬ。そこで加藤貞蔵は沙織を連れて沙織の里である市川へ行く事にした。ところが、住んでいた深川の家に、越前松平家の家臣たちが加藤貞蔵を探しにきたので、駆け落ちのために蓄えた五十両を持ち出せずに慌てて沙織と共に逃げてきた。加藤貞蔵はそう説明した。 「もしやして、住んでいた家は深川の永代寺門前町か」  石田は驚いて聞き返した。 「如何にも」 「隣の住人は何と言った」 「芸事教授をしておる安芸と華と申す親娘でした。この沙織は、娘の華と懇意にしておりました」  加藤貞蔵は隣に座っている芸者の沙織を示した。  安芸は元深川芸者で、永代寺門前町で娘の華と二人住まいだ。謡や三味線、踊りなどを芸者たちに教えている。安芸は、呉服屋を営む越前屋福右衛門から、正妻になって店の女将になってくれとせがまれているが、頑として断り、妾のままである。  かつて石田と仲間たちは、越前屋福右衛門の依頼で、安芸と華の親娘の住いの隣に仮住まいし、安芸と華の親娘を警護した事がある。加藤貞蔵が住んでいた家は、石田たちが仮住まいしていた家だった。 「加藤さん。近くに・・・」  石田は策を思いついて加藤貞蔵を身近に呼んだ。  加藤貞蔵は膝立ちで石田に近づき、膝詰めで石田に耳を傾けた。 「何で御座いましょうか」 「外に出ましょう。ここでは話せぬ事もあります」 「分かりました」  加藤貞蔵は石田と共に刀を帯びて外へ出た。
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