一 内密の依頼

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一 内密の依頼

 霜月(十一月)三日。晴れの早朝。  隅田村の白鬚社の番小屋に、浪人風の男が現われた。 「万請負と始末をしておる石田の家はここか」  人を見下した男の態度に、石田は、ろくでもない依頼だろう、と思った。男の身なりは浪人風だが月代(さかやき)は剃ってある。どう見ても浪人ではない。屋敷詰めの侍だ。最近、この様な無頼漢まがいの武家の依頼が増えている。 「如何にも、私が石田です。お上がり下さい」  石田は男を板の間に上げた。  男は板の間にいる川口と本木に挨拶せず、板の間に座った。  石田は男が依頼を話す前に、張ったりはったりを利かせて話した。 「御上の御達しにより、ここでの依頼は全て北町奉行所へ届けて許可を得、その後に依頼を遂げている。その事を承知で依頼を話して下され」  男は困り顔で、 「内密にできぬか」  と言った。 「北町奉行所に、内密、だと話します」  石田は大真面目でそう言った。 「それでは困る」 「では、他を当たって下さい。  私はお手前の名も家も知りませぬ。お手前は依頼内容を話しておりませぬ。  御安心召されよ」  石田は丁重に言った。 「しかし」  石田が言った「お手前」の言葉で、男は石田から、石田と同じ身分の武士に扱われ、一瞬、むっとしたが、己の風体を思ったのか、対等以下の相手を指す「貴公」や、目下の相手を指す「其方」よりはましだったらしく、怒らなかった。  この男の態度は、己の地位が上だ、と示している。己が浪人ではないと暴露した事に気づいていない。私が男の脇差しに『丸に笹と違え鷹の羽の家紋』があるのを一瞥した事にも気づいていないようだ。  石田がそう思っていると、 「致し方ない。じゃましたな」  男は、板の間にいる川口と本木に挨拶せず、土間の雪駄を履いて番小屋から出ていった。  奥の二間の十畳の座敷に居る森田と村上はこの経緯を聞いていた。板の間に出てきて、 「また、どこぞの屋敷詰めの下っ端役人の小倅が、日野殿に諫められて、逆恨みしたのであろうよ。あの手の輩は己の立場で何でもできる、と過信しておる。侍として、武家の地位を分かっておらぬ。世も末かのう」  と村上が愚痴を溢した。  日野殿とは浅草熱田明神傍の日野道場で師範代補佐を務める日野唐十郎である。  日野唐十郎は柳生宗在公儀(幕府)剣術指南役の補佐を務め、各大名家上屋敷に剣術指南に出向いている。一方、難事件を解決するための公儀勘定吟味役配下の特使探索方に所属している。  特使探索方は難事件を隠密裏に解決するため、今は亡き大老堀田正俊によって組織された、勘定吟味役荻原重秀直属の探索方である。指揮するのは日野道場主で、日野唐十郎の伯父、剣の達人の日野徳三郎である。  日野唐十郎が 柳生宗在公儀剣術指南役の補佐を務めるのは、特使探索方の隠れ蓑である。  確かに村上さんが言うとおりだ。日野唐十郎殿にこの事を伝えねばならぬ。  石田は先ほどの男の態度が気になった。 「この件、私は日野唐十郎殿と与力の藤堂八郎様に報告してきます。  もしやして、あの男の関係筋の者が来るやも知れませぬ。警戒して下さい。  仕事の依頼が来たら、村上さん、聞いておいて下さい」 「相分かった。北町奉行所と日野道場へ行くなら、今日は向こうに泊り、女房に会って参れ。儂らも吉原の警護の日毎に、そうしておるのだ。  あの男の関係筋が参ったら、私が石田さんの名を名乗って応対しておこうぞ」  石田の仲間たち村上、森田、川口、本木は、吉原の小見世の始末を請け負いながら、交代でこれら小見世の警護をし、ここ番小屋では隅田村の衆に読み書き算盤を教えている。  近頃、仲間たちは、警護している吉原の見世の奉公下女たちと理無い(わりない)仲になっている。 「分かりました。ではその様に致します。よろしく頼みます」 「任せておけ。今日は、川口と本木が見世の警護番故、何かあれば二人が石田さんに加勢する」 「はい、午後から見世に参ります。何かあれば私たちが加勢します」  川口と本木が石田に頷いている。 「はい。頼りにしています。よろしく頼みます」   石田は村上たちに御辞儀して番小屋を出た。
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