五 与力の藤堂八郎への報告

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五 与力の藤堂八郎への報告

 霜月(十一月)三日。晴れの朝五ツ半(午前九時)過ぎ。  日野徳三郎の説明が終わった。  石田は尋ねた。 「では、その加藤貞蔵が騒ぎを起こした折、あかね様も唐十郎殿と御一緒だったのですか」 「私は用がありましたので、一足先に神田横大工町の長屋に帰宅しておりました。  帰宅した唐十郎様から家紋の事を聞きました」 「では、やはり、男は加藤貞蔵ですか」  男は加藤貞蔵に間違いない。日野唐十郎殿に刺客を放つつもりだ。 「間違いなかろう。石田さんの報告、しかと承りました。必ず唐十郎に伝えます。  此度の知らせ、誠に忝う御座った」 「ありがとうございまする」  日野徳三郎とあかねは石田に礼を述べた。 「唐十郎殿によろしくお伝え下さい。  私はこの件を与力の藤堂様に伝えますので、これにて失礼仕り(つかまり)ます」  石田は日野徳三郎とあかねに礼を述べて日野道場を辞去した。  昼四ツ(午前十時)前。  石田は北町奉行所の、与力の藤堂八郎の詰所に居た。 「如何なされた。始末承諾証文でないなら、火急の用件と判断致すが、如何か」 「その通りです。実は」  石田は、今朝の番小屋での出来事を詳しく説明した。 「その脇差しの家紋は加藤貞蔵に間違いない。よくぞ日野道場に知らせてくれた。  唐十郎さんの事だ。心配には及ばぬと思うが、刺客が放たれる事を事前に知っておれば何よりだ。  加藤貞蔵は評定所の裁きを受けながら、まだ唐十郎さんを逆恨みしているのか。  そのような事をしておると、越前松平家からきつい咎めを受けるだろうにのう。  報告、相分かり申した。  石田さんにいろいろ報告して貰うので、私も助かっています。  ありがとうございまする」  藤堂八郎はそう言って石田に頭を下げた。 「藤堂様。面手(おもて)をお上げ下さい。また、異変がありました知らせます」 「相分かり申した。  今日は、番小屋へ帰るのですか。と言うのも、加藤貞蔵が、家紋を見られたと思って、何やら仕掛けはせぬか、気になりました」 「ここまで来たので石田屋へ寄って、明日、番小屋へ戻ります」 「そうでしたか。くれぐれも気を付けなされよ。  石田さんも私のように、親が増えて、家が二つになりましたからなあ」  先月神無月(十月)二十四日。  小夜と夫婦になって一年と半年後、石田は石田屋幸右衛門と親子の縁を結ぶ固めの盃を交わし、小夜と共に幸右衛門の養子になったばかりだった。 「はい、藤堂様をはじめ、皆様のおかげです。  では、これにて失礼仕りまする」 「報告、御苦労様でした」  そう言う藤堂八郎に、石田は礼を述べて北町奉行所を辞去した。  石田は、徳川の世で石田光成の名が災いして浪人となった身で、吉原の石田屋の主、幸右衛門の遠縁である。石田が隅田村の白鬚社の番小屋から、石田屋の帳場を預る妻の小夜の元に通ってくるには訳がある。  小夜は上州の郷士の娘で、借金の形で石田屋に奉公していた。  昨年、卯月(四月)六日。  石田が未払いの花代を取り立てて石田屋に届けた折、石田と小夜は互いに一目惚れし、石田が小夜の借金を肩代りして夫婦になった結果、小夜は石田屋の上女中になった。郷士の娘の小夜は読み書き算盤の才に長けていた。  石田の遠縁である主の幸右衛門には子どもが居らず、ゆくゆく石田と小夜に石田屋を任せたいと思い、小夜が石田と暮せるよう、小夜に家人用の部屋を与えて石田屋の帳場を任せるようになったのである。  だが、石田は小夜と夫婦になる以前から、隅田村の好意によって浪人仲間四人と共に隅田村の白鬚社の、以前は商家の寮だった番小屋に暮し、隅田村の好意に応えるため、白鬚社と境内を管理しながら隅田村の衆に読み書き算盤を教えて村を警護し、万請負いをしていた。  幸右衛門は石田と仲間たちに、吉原の小見世仲間専属の始末屋と警護人になるよう勧めたが、石田と仲間たちは隅田村に恩があるため、白鬚社の番小屋から吉原に通って始末と警護を請け負っている。仲間たちは小見世での評判も良く、皆、奉公人の女たちに好かれていた。
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