六 小夜

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六 小夜

 昼四ツ(午前十時)過ぎ。  石田は妻の小夜が待つ吉原の石田屋に戻った。 「今朝、番小屋に、日野唐十郎殿に刺客を放とうとするらしき男が来たので、日野道場の日野唐十郎殿は留守でしたが、大先生と御新造さんに経緯を伝え、与力の藤堂様にも報告しました。  もしもの事があると困りますから、義父上にお話しておきます」  石田は帳場がある部屋で、改まって石田屋幸右衛門にそう言って説明した。 「うむ。大先生と御新造さんの話は、藤堂様の話と合致していますな。  石田さんが脇差しの家紋を見たのを、男に気づかれなかったのですね」 「視界の片隅に脇差しの家紋を確認したので、気づかれたやも知れませぬ」 「この件、小夜さんに話しますか」  幸右衛門は石田の身を案じている。 「はい。話しておきます」 「今、部屋にいます。早う会いなされ。待ちわびてますよ。  今宵はこちらに泊まれますな」 「はい。是非とも、そのように致しとう存じます」 「そのように堅苦しく言わずとも良いではありませぬか」 「そう言う義父上こそ何を仰るのですか。いつまでも石田さんでは妙で御座る」 「ならば、いかように・・・。ええい、そんな事より、早う、部屋へ行きなされ」 「忝うございます。義父上」 「ほれ、それが堅苦しいのですよ、もう、じれったい。  小夜さんっ。旦那様がご帰宅ですよ。  小夜さんっ」  幸右衛門は帳場から一階の廊下の奥へ声をかけた。  廊下を小走りに歩く音がし、満面笑顔の小夜が部屋に跳びこみ、石田に抱きついた。 「お帰りっ、旦那様。義父上と待ってたんだよっ」 「ささ、ここでは、ゆっくりできませんから、小夜の部屋でゆっくりしてくだされ。  小夜。あとで、昼餉を運んでおあげなさい。  今日の帳場は、私と美代がします。小夜は旦那様の相手をしてください」 「はあい、義父上。ありがとうございます。  旦那様。はい、立ってくださいな」  小夜は石田の手を引いて立たせ、 「はい、義父上と義母上に挨拶してね。  義父上、義母上、ありがとうございますっ」  幸右衛門と、隣の部屋にいるであろう義母の美代に聞こえるように言って、丁寧に御辞儀すると、石田を引っぱって部屋を出た。  隣の部屋から美代で出てきた。 「早う孫の顔を見たいですわね」 「今から尻に敷かれおって石田もなかなか良き男ぞ。小夜も男を見る目があったな」 「はい、良き夫婦ですこと」  帳場から出て、二人を廊下の先に見送りながら、幸右衛門と美代は笑顔でそう言った。  季節は霜月(十一月)三日。晴れて戸外は暖かいが部屋は寒い。  石田を連れて部屋に戻った小夜は、石田を炬燵に入らせ、隣に座って抱きついた。 「会いに来てくれなかったから、寂しかったんだぞ」 「このところ始末がありませんでしたが、小見世仲間の警護で五日に二度はここに来ていますよ。ですが、私も、思いは小夜さんと同じです」  そう言って石田は小夜を抱きしめた。 「あたし、うれしいっ」 「では、昼餉までに、今朝の話をしておきます」 「はい、伺いまする。うふふふっ」  小夜は石田の腕を解いて、石田の横で正座し、石田の腕を抱きしめた。 「今朝早く、浪人を装った武家が、仕事を依頼に現われ・・・」  石田は今朝の一件を説明した。 「大先生や、あかね様や、藤堂様の言うとおり、男は越前松平家の加藤貞蔵だね。  家紋入りの脇差しを帯びてるなんて、頭隠して尻隠さずだね」  小夜は加藤貞蔵の間抜けぶりに呆れている。 「そういう男だから懲りずに悪事を重ねるのです。私を狙っているやも知れませぬ」 「家紋を見られたと思って口封じですか。  そうなると、加藤貞蔵の依頼が刺客だとはっきりしますなあ。  番小屋は危ないから、今夜はここに居てね」  小夜は石田に抱きついた。 「相分かりました。小夜さんをこうして抱いていよう」 「うれしい。もっと、きつく抱いてください。そして・・・」 「もしかして・・・」 「はい」 「昼餉は」 「では、そのあとですね」 「分かりました」 「みつなりぃ。あたし、うれしいぃー」  小夜は石田に抱きついた。
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