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 結構な量の残業をやっと片付けた後だったので、結構な時間になっていた。  藤井の部屋の玄関前に立った松島は呼び出し音を鳴らす前に、平たいビジネスバッグの中へと手を突っ込んだ。 引っ張り出したものを素早く頭と手とに装着し、準備は完了。  藤井の部屋は、玄関を入ってすぐ右がキッチンになっている。 シンクに向かって立っているのだろう。 集合住宅の通路に面している小窓のすりガラス越しに、藤井の頭が松島には見えた。  「特に手入れをしているわけではない」と本人が言う割には、藤井の髪は滑らかだった。 サラサラなのにしっとりとした手触りは、松島も大のお気に入りだ。 ベタベタとやたらとよく触っては、藤井によく怒られていた。  藤井の髪の感触を思い出している指先で、チャイムのボタンを押す。 ほとんど音速と同じ速さで、玄関のドアが開いたように松島には感じられた。 「――わざわざチャイム鳴らさなくても、勝手に入ってくればいいだろ。合鍵、持ってんだし」  その隙間から顔を覗かせた藤井は、松島の姿を見て、開口一番そう言い放った。
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