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明け方に、ふと目を覚ました。
チェストの上の置時計の音が響いている。
時計はポーセリンのアンティック。ニーナの趣味だ。
ただし、ムーブメントの方が、すっかり安物に入れ替えられていることは、この神経に障る秒針の音から自ずと知れる。
その時計の側に、人の気配があった。
ゆっくりと瞼を開ける。
部屋の中は、既に朝日で薄明るい。
立っていたのはニーナだった。
ガウン姿で佇み、じっとこちらを見つめている。
だらりと下げた右手には、拳銃が握られていた。
昨晩、俺が持ち帰ったサイドアームのグロックのようだ。
ニーナが立っているのは、上体を起こさなければ手の届かない位置だった。
「何をしている?」
ごく低く、俺は声を出した。
ニーナは黙ったまま、俺を見つめている。
「ニーナ、そのまま動くな」
俺はゆっくりと起き上がった。
次の瞬間、ニーナがはじかれたように飛び退る。
そして、右手を上げ、銃口を俺に向けた。
拳銃を持つ腕は震えてこそいなかったが、呼吸は荒く、ニーナの身体は、全体が上下に大きく揺れていた。
ニーナが、右手だけで持っていた拳銃に、ゆっくりと左手も添える。
「何の真似だ?」
「『何の真似だ』? 『何の真似だ?』ですって?! 今までよくもコケにしてくれたわね、スタンリー!!」
甲高い声。
ところどころで声が裏返るほどの大声だった。
「浮気してることくらい、ずっと前から気が付いてたわ、でもあんたは、最初からわたしを騙してたのよ、最初っからね! この下種野郎!!」
ニーナの人差し指が、トリガーを求めるようにさまよう。
俺は拳銃から目を離さずに、少しずつ身体を動かしていく。
「ああ、スタンリー? 大丈夫よ、心配ないわ。ちゃんと弾は込め直してあるから」
そう言い放って、ニーナは神経質に笑い声を立てる。
自宅に持ち帰ったグロックは、いつもマガジンから弾薬を抜いて、銃とは別の場所に保管していた。
「あんたの相手は分かってるわ。あの騎馬警官でしょ? 緑の目の。まさか相手が……『男』だったなんてね」
背筋が総毛立った。
ジャックと俺を結びつけるようなモノを、ニーナの目に触れさせるようなヘマはしていないつもりだった。
なんなのだ、これは?
ノースウッドのアーマンドがらみなのか?
しかし、マテバの部下どもに周囲を嗅ぎ回られて気づかないでいられるほど、俺もボケてはいないはずだが。
しかしともかく。
今は、この「面倒な状況」を何とかすることの方が先決だ。
俺はベッドから、そっと立ち上がる。
「何をそんなに逆上する必要がある? ニーナ。お前だって、色々楽しくやってるだろう? まあ……家にまで連れ込むのはどうかと思うがな」
ニーナの顔色が変わった。
だがすぐに、
「ホモよりマシよ!」と罵声。
「わたしとの結婚も、カムフラージュだったわけね」
「お前に何か不自由をかけたか? 機嫌を取ってまともに暮らさせてやったはずだ。その上、男を作ろうがどうしようが、好きにさせてやっているだろう?」
そして、さまよっていたニーナの人差し指が、完全にトリガーガードの中に入る。
「RCMPの警官が、同性との浮気が原因の痴話喧嘩で発砲騒ぎなんて。いい面汚しね。一生ついて回るわよ」
金切声。ニーナは完全にヒステリー状態だった。
俺は溜息をつく。
「で、そうやって、お前に何か得になることでも?」
言いながら、ゆっくりとニーナに近づいていく。
こんな早朝に、ニーナの大声が、隣近所に響き渡ってはいないだろうか?
「俺がRCMPを辞めさせられたとして、お前に何かメリットは? 仕事は見つかるのか? どうやって暮らしていくつもりだ」
ニーナは不気味に黙り込んだ。
「アーマンドと結婚でもするか? あいつにその意思はなさそうだが」
アーマンド。
その名に驚き逆上して、ニーナの口から短い叫び声が発される。
グロックを注視しながら、俺は話を進めた。
「ああ、もしRCMPをクビになったら、アーマンドの所にでも雇ってもらおう? ノースウッドはなかなか大手の探偵事務所だ、ひとつくらい、俺にも働き口があるだろう」
「アーマンドのこと、調べたのね?」
愕然と固まる頬。
ニーナは心底、驚愕していた。
その瞬間、俺は、このうっとおしい女に「どどめ」を刺してやりたい誘惑に勝てなくなる。
だから――
「そういえば、アーマンドもなかなかいい味だった。腰使いが秀逸だ」と、言い放ってやった。
無論、口から出まかせの皮肉だ。
だが、それを聴いて、青ざめていたニーナの顔色は、瞬時に深紅に染まる。
ニーナが引き金に、しっかりと指を掛けた。
それと同時に、俺は左手を伸ばし、横からスライドを握りしめる。
グロックの銃口を右下へ抑え込むと、すかさず右手でパンチを繰り出し、ニーナの眉間すれすれで止めた。
ニーナが顔をのけぞらせてよろめく。
続けて、右手でグリップとトリガーガードをすくい上げ、両手を捻って、ニーナの手から銃を奪い取った。
「早朝の住宅街に派手な銃声が響き渡る」という面倒ごとが回避され、とりあえず、俺は安堵する。
キャッチを押し、マガジンをリリースした。
ニーナの言ったとおり、マガジンには弾薬がしっかりと装填されている。
俺はマガジンをサイドテーブルに置き、スライドを軽く引いた。
予想してはいたが、チェインバーに弾薬は「入っていなかった。
床に座り込んだままのニーナを見下ろしながら、俺は派手に音をさせてマガジンをグリップに押し込む。
「さてニーナ、ここまでは良くできていたがな? セミ・オートマティックを撃つ時は、こうやって薬室に弾薬を『給弾』するんだ」
そして俺は、左手で目一杯、グロックのスライドを引く。
「もっとアクション映画を観ておけば良かったな?」
こう言い添えて、俺はグリップを握る右手の上に、ゆっくりと左手を重ねた。
完璧なフォームで、しっかりグロックをホールドすると、照準をニーナの額に合わせる。
ニーナが唇を奇妙な形に歪めた。
そしてそのまま、声も出せずに身体を凍らせている。
俺は再びマガジンをリリースし、ベッドの上に放り投げた。
グロック本体の薬室から9ミリを抜き取って、銃本体と一緒にサイドテーブルの上に置く。
もちろん、本気でニーナを撃つつもりなど無かった。
だが、発射可能な拳銃の銃口を無抵抗の人間に向けるなど、警官としてはあるまじき行為だ。
アカデミーの授業で、訓練生がこんなバカげた悪ふざけをしようものなら、良くて厳重注意の上で追加トレーニングを科されるか、最悪、放校処分にされるだろう。
俺はニーナに背を向ける。
手を伸ばして、ドレッサーの上に置いてあるニーナの携帯を手に取った。
まだ、床に座り込んだままのニーナの前に「それ」を放る。そして、
「ロックを解除しろ」と静かに命じた。
二度以上、命じる必要はなかった。
ニーナはわずかに表情を堅くしたが、震える手で携帯を手に取った。
そのまま暗証番号を入力し、携帯電話を床に戻す。
俺はそれを拾い上げた。
電話帳、SMS、着信、通話記録をスクロールしていく。
ずっと――
ずっと「俺をハメたがっていたヤツ」の番号が、そこにはあった。
そうだ。
あいつは俺をハメたがっていた。昔から。ずっとだ。
「で?」
こう発した瞬間に、思わず口元に苦笑が浮かぶ。
俺は軽く唇を噛んでから、あらためてニーナを見据えた。
「いつから『つながって』いる? レオン・マクロードとは」
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