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10   木曜日の午後、その日の最後のインタビューを始める前。 コーヒーカップを持ち、自室へと向かっていたところで、俺は事務員に呼び止められた。 「ハンセン準警部、明日のサンダーベイへの出張の件なのですが」 「ああ、エイミー。手間をかけさせるな」 俺は、振り返りざまに彼女の胸に留めてあるIDをチェックして返事をした。 やはりいつまで経っても、彼女のファーストネームが「エイミー」だったか「エミリー」だったかが思い出せない。 彼女の外見はそのどちらであったとしても全く違和感の無い、典型的なアングロサクソンの女性だった。 もし、彼女がわざと「エミリー」と書いたIDを首から下げていたなら、俺はその日は一日中、彼女を「エミリー」と呼ぶに違いない。 「お帰りのチケットの予約が、翌日の午前になっているようなのですが……サンダーベイまでの距離ですと、規定では宿泊は認められないようですわ」 エイミーは少しばかり申し訳なさそうに言った。 「翌日は土曜で、わたしはオフだ。帰りのフライトが翌日でも、特に問題は無いのでは?」 俺が答えると、エイミーは慌てて、 「勿論、それは問題ないのですが……」と言い足す。 「ホテルには私費で泊まるつもりだから、心配してくれなくても良い」 俺は、コーヒーを飲みながらわずかにエイミーに向かって微笑んだ。 別にエイミーの機嫌を取りたかったからではなく、杓子定規な規定がバカバカしかったからだ。 ロンドン市のこの管区総本部からサンダーベイ支局までの直線距離が、宿泊旅費が認められるキロメートル数に「ほんの僅かばかり」足りないのだ。 「何か他にお手伝いすることがあったら、おっしゃってください」 エイミーは書類を俺に手渡しながら、そう付け加えた。 微笑みの意味を少々誤解したのかもしれない。 「では、次のインタビューの相手が来たら、先に奥の部屋に通しておいてくれ。その後、わたしに電話をくれないか。少しオフィスで休んでいるから」 俺はエイミーにそう頼むと、そのまま自分の部屋に入り、ドアを閉めた。 指導担当警官からの申入れで面談をした場合のほとんどは、単に、巡査見習側の問題というよりは、むしろ両者の人間関係に問題があると見受けられた。 特に、指導担当警官側がその関係に不満を有している場合に、面談の申し入れにまで発展する。逆に巡査見習の方は、自身に対する処遇に不満があっても、仮採用中の身分であり申立はしづらい。 研修期間中を何とかやり過ごす方が、揉めるよりはマシ、と割り切っている者も多いのではないだろうか。 だがサージ・トンプソン達の場合と異なり、今日の最後の面談は、俺自身のチェックで「引っかかってきた新人」だった。 インタビュー用に作成した資料に、もう一度ザッと目を通す。 軽く目を閉じ、左手の中指と親指で両のこめかみを押しながら脚をデスクの上に載せたところで、電話が鳴った。 俺は溜息をついて脚を下ろし、左手を受話器に伸ばした。 *
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