1

2/2
64人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
クリネックスで互いの汚れを形ばかり拭うと、俺たちは乱れた上掛け(デュヴェ)の上に横たわった。 うつぶせのジャックの背中には、小さな汗の玉が幾つも浮かんでいる。 俺はサイドテーブルから、ライターとリトルシガーのパックを手探りで引き寄せた。 「吸っても?」 一応、ジャックの背中に声をかける。 同意の印として ジャックも律儀に片手を僅かに、そしてけだるそうに上げてみせた。 仰向けに横たわったまま、パックから飛び出しているフィルターを、直接唇で銜えてシガーを取り出し、ライターの火をシガーの先端に寄せた。 巻紙がかすかに燃える音がする。 ライターのフタを閉じ、デュヴェの上に放り投げた。 一口目の煙をゆっくりと吐き出していると、ジャックが俺の胸に腕を載せる。 「もっと『ゆっくり』したかった? スタン」 俺はただ黙って、ジャックの手の甲の上に、軽く掌を添えた。 ジャックが、俺の腕を掴んで引き上げ、手首の腕時計を見る。強化ゴムのベルトが付いた、無骨でタフな物だ。 「十五時……四十五分」 ジャックは呟くように時間を読みあげた。 「もう、出ないと」 不精をしてシガーを銜えたまま、俺は身体を起こした。 シーツに落ちた灰を払いながら、ベッドを抜け出す。 服装規程(ドレスコード)では、まだ長袖シャツ、濃紺(ブルー)サージジャケット(サージ)の着用が指定される時期とはいえ、今日の昼は汗ばむような陽気だった。 床に脱ぎ捨てたままの白のドレスシャツに袖を通すと、まだかすかに湿った感触が残っている。 カフのボタンを留めていると、ジャックが口を開いた。 「シャワー、浴びなくていいの?」 「勤務時間に抜け出してるんだ。こざっぱりしているより汗臭い方が、まだ言い訳がつく」 俺はタイを目で探していた。だが見当たらない。 とりあえず、先にスラックスに脚を通し、床に落ちているベルトに手を伸ばす。 かろうじてジャケットだけは、皺にならないよう出窓の上に置く暇があった。 ジャケットの襟を掴んで引き寄せると、その下からタイが滑り出てきた。 バスルームに取り付けてある大抵の鏡は、平均的なカナダ人の身長を随分とオーバーしている俺にとっては、位置が低すぎる。 軽く屈むようにして鏡を覗き込み、自分の黒髪をなでつけ、タイの結び目をチェックした。 壁の色のせいだろうか。ジャックのフラットのバスルームでは、自分の瞳がいつもよりもずっと青く見える。 ベッドルームに戻ると、シーツの上からシガーパックとライターを拾い集め、ジャックが俺に手渡した。 そして、裸のまま立ち上がり、俺のブルーサージのボタンをかけ始める。 ジャケットの襟を掴み、ジャックが匂いを嗅いだ。仔犬のように。 「男と寝てきた匂いがするか?」 「と言うよりは、タバコくさいかな」 ジャックはボタンをすべて掛け終わると、襟の埃を払うような仕草をしてみせる。 「では『タバコ』を吸いに出たことにしておこう」 俺はコートハンガーから制帽を取る。そして、ジャックの柔らかい金髪に、一瞬、指を滑らせた。 ドアに向かって歩きながら制帽をかぶり、背中越しに「後でまた連絡する」とだけ言い置く。 それから、そのまま振り向かず、俺はジャックの家を後にした。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!