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クリネックスで互いの汚れを形ばかり拭うと、俺たちは乱れた上掛けの上に横たわった。
うつぶせのジャックの背中には、小さな汗の玉が幾つも浮かんでいる。
俺はサイドテーブルから、ライターとリトルシガーのパックを手探りで引き寄せた。
「吸っても?」
一応、ジャックの背中に声をかける。
同意の印として ジャックも律儀に片手を僅かに、そしてけだるそうに上げてみせた。
仰向けに横たわったまま、パックから飛び出しているフィルターを、直接唇で銜えてシガーを取り出し、ライターの火をシガーの先端に寄せた。
巻紙がかすかに燃える音がする。
ライターのフタを閉じ、デュヴェの上に放り投げた。
一口目の煙をゆっくりと吐き出していると、ジャックが俺の胸に腕を載せる。
「もっと『ゆっくり』したかった? スタン」
俺はただ黙って、ジャックの手の甲の上に、軽く掌を添えた。
ジャックが、俺の腕を掴んで引き上げ、手首の腕時計を見る。強化ゴムのベルトが付いた、無骨でタフな物だ。
「十五時……四十五分」
ジャックは呟くように時間を読みあげた。
「もう、出ないと」
不精をしてシガーを銜えたまま、俺は身体を起こした。
シーツに落ちた灰を払いながら、ベッドを抜け出す。
服装規程では、まだ長袖シャツ、濃紺のサージジャケットの着用が指定される時期とはいえ、今日の昼は汗ばむような陽気だった。
床に脱ぎ捨てたままの白のドレスシャツに袖を通すと、まだかすかに湿った感触が残っている。
カフのボタンを留めていると、ジャックが口を開いた。
「シャワー、浴びなくていいの?」
「勤務時間に抜け出してるんだ。こざっぱりしているより汗臭い方が、まだ言い訳がつく」
俺はタイを目で探していた。だが見当たらない。
とりあえず、先にスラックスに脚を通し、床に落ちているベルトに手を伸ばす。
かろうじてジャケットだけは、皺にならないよう出窓の上に置く暇があった。
ジャケットの襟を掴んで引き寄せると、その下からタイが滑り出てきた。
バスルームに取り付けてある大抵の鏡は、平均的なカナダ人の身長を随分とオーバーしている俺にとっては、位置が低すぎる。
軽く屈むようにして鏡を覗き込み、自分の黒髪をなでつけ、タイの結び目をチェックした。
壁の色のせいだろうか。ジャックのフラットのバスルームでは、自分の瞳がいつもよりもずっと青く見える。
ベッドルームに戻ると、シーツの上からシガーパックとライターを拾い集め、ジャックが俺に手渡した。
そして、裸のまま立ち上がり、俺のブルーサージのボタンをかけ始める。
ジャケットの襟を掴み、ジャックが匂いを嗅いだ。仔犬のように。
「男と寝てきた匂いがするか?」
「と言うよりは、タバコくさいかな」
ジャックはボタンをすべて掛け終わると、襟の埃を払うような仕草をしてみせる。
「では『タバコ』を吸いに出たことにしておこう」
俺はコートハンガーから制帽を取る。そして、ジャックの柔らかい金髪に、一瞬、指を滑らせた。
ドアに向かって歩きながら制帽をかぶり、背中越しに「後でまた連絡する」とだけ言い置く。
それから、そのまま振り向かず、俺はジャックの家を後にした。
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