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モレリ巡査部長が吹き出した冷や汗を必死に拭っている横へ、涼しい顔で歩いてくる。
さすがに俺の前まで来ると、バーグ巡査見習も少し表情をこわばらせて弁明を始めたが、サージ・モレリの言ったとおり、明らかに「何も考えていない」といった様子が、手に取るように判った。
「ジョー、あれほど『今日は遅れるな』といっただろう?」
モレリ巡査部長は、通常、このような場で言う必要のない小言を口にしている。
「バーグ巡査見習、君の勤務状況における問題点については、すでにモレリ巡査部長から十分に説明を受けた。このように勤務時間に遅れることについては、自分自身どう考えている?」
「どう、って」
バーグ巡査見習はサルバトーレ・モレリの方を窺いながら、言いよどんだ。
「つまり、自身が頻繁に遅刻する理由について、どう考えるかと尋ねている」
俺はモレリ巡査部長に口を挟む隙を与えないよう、重ねて質問した。
「睡眠が十分に取れないのか?」
「いえ、そう言うわけでは……」
「きちんと眠っているのだな?」
「はい」
バーグ巡査見習いはここだけは即答した。
「予定の時間に起床できないのか?」
「そういうことも、ないわけではないのですが。一応、予定した時間には起きています」
「では、なぜ遅刻する?」
「何と言うか、想定より色んなことに時間がかかるっていうか……そういうことがよくあって」
再びバーグの歯切れが悪くなる。
「ヨアキム・バーグ巡査見習、君の発言の意味が理解できない。具体的に説明してくれ」
「えっと、ですね……例えば、予定通りに自宅を出たところで、忘れ物をして引き返したりですとか」
「忘れ物をしないよう準備するか、もっと時間に余裕を持って出発すればよかろう?」
「そうですね、それで、もう少し早めに出ようと思ってそうするんですけど、そうしたら、ちょうど、渋滞に掛かってしまったりして」
「……他には?」
俺は、我慢強く質問を続けた。
「あ、あと、早めに署に着きそうだからと思って、コーヒーを買いに立ち寄ったら、レジスターがすごく混んできたとか」
「その程度で遅刻するようなら、それは『早めに着きそう』とは言わない」
バーグ巡査見習の要領を得なさすぎる回答に、俺はイラつくのを通り越し、いいかげん付き合いきれない気分になってきた。
「バーグ巡査見習、君の自宅からここまでの距離は? 通勤手段は? 自動車だな?」
「そうです。距離は二十五から三十キロメートルといったところです」
「では、道路の混雑を予想して、たっぷり四十分取ろう。プラス、予備で二十分」
「……はい」
「今日の面接開始時刻は十三時。君が制服着用にどれほどの時間を要するのかは知らないが、まあ十五分もあれば十分だろう? 署のパーキングに君の車がつくべき時間は、十二時四十五分だ」
バーグ巡査見習が口を開きかけたが、俺はかまわず続けた。
「十二時四十五分の六十分前は?」
「……十一時四十五分です」
「で、シャワーを浴びる、服を着る、飯を食うで、どれくらいかかる? シャワーが十五分、服が十分、飯は? 作って、喰って、片付けて三十分あれば良いだろう?」
バーグ巡査見習は、口をつぐんでいる。
「ああ、そうそう。腹が痛くなるかもしれないな。プラス十五分? 二十分か。合計で五十分。切りよく一時間としよう。君が起床しなければならない時間は? ヨアキム・バーグ巡査見習?」
「……十時四十五分です」
「よく出来たじゃないか、それで? 今日の君の起床時刻は? コンスタブル=バーグ」
「九時五分頃です」
俺は、思わず短い笑い声を立てた。
「計算が合わないな、バーグ巡査見習。なぜ今日は遅刻したのだ? しかも二十分も!」
隣に座っているモレリ巡査部長はもう、先から顔を拭うべき乾いた面がとうとうハンカチーフから無くなってしまったようだった。何度も何度もハンカチーフを折り返しては、次に顔を拭うべき場所を探している。俺は重ねて口にした。
「答えろ、バーグ巡査見習。なぜ遅刻した」
一体なんなのだ、これは?
これでは巡査見習の監督ではなく、まるで幼稚園の教員ではないか。
「あ、あの、今朝はかなり時間の余裕があったので。ちょっとテレビをつけてみたらですね、映画をやっていて。つい、観てしまって」
俺は呆れ果て、質問を続ける気も失せた。
そして「なにやってるんだよ、この支部は?」と言う表情で、モレリ巡査部長に視線を向ける。
しかしモレリは、もはや死んだ魚のような目をして、ただ壁を見つめているだけだった。
ヨアキム・バーグ巡査見習については、今回のインタビューの結果を元に詳細なメンタル・ヘルスの再検査とカウンセリングを設定させた上、問題の改善が認められなければ、研修停止または免職相当という評価を人事に提出する旨を決定して、面接を終了した。
バーグ巡査見習は、事態の大きさにやっと気が付いたようだった。
部屋を立ち去る俺の背中に向かい、困惑した様子で何事かを訴え続けたが、もう手遅れだ。
あまりにも不毛なインタビューだったためか、ここで相当長い時間を費やした気分になっていた。
けれども実際に、俺が制服を脱ぎ、サンダーベイ支部の建物を後にしたのは、まだ午後三時前。
呼んだタクシーが来るまでの間に、俺はジャックの携帯にメッセージを送った。
返信はすぐに来た。
今は勤務中で、二十時にシフト明けの後は、翌日の二十三時からの勤務だと言う。
俺は即座にサンダーベイでの宿泊のキャンセルを決め、空港で直近のトロント便の空席を探した。
むろん、ニーナには一泊の予定を変更したことを言わずに。
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