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その後で、俺たちは遅めの夕食を準備した。
買っておいたテンダーロインを焼くだけのことだったが、ジャックは何かしたそうに、隣でうろついている。
「手伝いたいのか?」
ジャックは大きく頷いた。
「じゃあ、この前、買ってきた赤を開けて、グラスに入れてくれ」
そう命じて、俺はステーキ肉を冷蔵庫から取り出した。
ジャックは短く「イエッサー」と応じると、棚からボトルを取り、ポケットから俺がやったアーミーナイフを手にする。
ナイフの刃を繰り出し、キャップシールを剥がすところまでは、順調に進んでいるようだった。
俺は肉を室温に置きながら、付け合せの準備を始める。
インゲンを洗い、玉ネギを剥いていると、背後から、
「スタン……ごめん。失敗しちゃった」と、ジャックの情けない声がした。
振り返れば、アーミーナイフの柄が突き出たままのボトルを手にジャックが俯いている。
「何をやっているんだ?」
タオルを取って濡れた手を拭い、俺はジャックの持っているボトルを奪い取った。
「スクリューを深く入れすぎだ」
ナイフの柄を少しひねって調節してみたが、そもそもスクリューがコルクに対して、かなり斜めにねじ込まれていた。俺は軽く眉間に皺を寄せる。
「コーポラル・ミシェル、『てこの原理』を習わなかったか? 学校で」
たっぷりと棘を纏わせた皮肉を言い捨ててから、俺はをタオルの上からボトルを掴み直した。
「コルクスクリューはまっすぐ、この辺りまで入れて、ここに引っ掛けてから軽く引くんだ」
俺は力を加減しながら、揺らすようにして開栓する。
スクリューを外した途端、抜いたコルクは下の方から粉々に砕けていった。
持っていたタオルでボトルの注ぎ口を丁寧に拭っている俺へと、ジャックがグラスを一つ、おずおずと差し出す。
「レモン絞りか、肉を叩かせるかぐらいを頼んでおけば良かったな……」
そう、苦笑しながら皮肉の仕上げをしてやれば、
ジャックは「え、叩くの?」と目を見開く。
「バーベキューもしたことないのか?」
俺は自分でワインを注ぎ、ゆっくりと一口目を含んだ。
「……あんまり」
「ガキの頃、休みの日に、何やってたんだ?」
もうひとつグラスを出して、ジャックの分も注いでやる。
ジャックはグラスを受け取ると、口はつけず、視線を下に落としたまま答えた。
「日曜は、教会学校にいったり……バスケットボールやったりとか」
「教会学校?」
「住んでた施設が、教会の一部だったから……」
ジャックはゆっくりとグラスに口をつけ、飲み込むと顔を上げる。
「あ、これ。美味しいね、苦くないや」
一体、今までどんなワインを飲んできたんだ、お前は? と。
心の中でそう呟いてから、俺はレモンを取って、ジャックに放った。
「絞っとけ」
「絞ってって……どうやって」
「好きなように絞れ、レモンぐらい」
俺は背中越しに答え、自分のグラスをシンクに置くと、調理を再開する。
テンダーロインにナイフを入れ、軽く叩いてならした。
「……ジャック、レモンはまだか?」
痺れを切らして呼びかければ、ジャックはひしゃげたレモンを手にして近づいてきた。
どうやら、半分に割っただけのレモンを、握力訓練用のグリッパーと同じ方式で絞ることにしたらしい。
本当に、どこまでも苦労の多い道のりを好むヤツだ。
「肉の焼き方を教えてやる。見ていろ。テンダーロインみたいに柔らかくて筋が少ない部分は、そんなに思い切り叩く必要はない。だが縮ませないで均等に火が通るように、こういう風にナイフを入れるんだ」
俺はもう一枚のテンダーロインにも軽く刃を入れて、押さえつけるように数回叩いた。
それを見ながらジャックは、「ふうん」と、トリビア・コラムでも読んだ時のような感心の声を上げる。
「皿を二枚出しておけ」
ジャックに命じてワインをひと口飲み、俺はフライパンをレンジに掛けた。
ついでに好みの「焼き具合」を尋ねてやれば、ジャックは、
「『ミディアム』だと『生』すぎる」と応じやがる。だから、
「俺が焼くと『ミディアム・レア』以上は、全部『ウェルダン』になる」と告知しておいた。
焼きすぎの肉など、好みではない。そもそも。
肉を焼き終わり、付け合せのソテーもできあがる。
俺はスツールに座り、「さて、喰うか」とジャックに声を掛けた。
テーブルにやってきて、ジャックはナイフとフォークを手にしたが、食べ始めようとはせず、俺の方を見つめている。
「何だ?」
ひと言告げて、俺は自分のレアのステーキにナイフを入れた。
「あのさ……この、僕が絞ったレモンってどうするの?」
不服気に言って、ジャックは、シリアルボウルに入ったレモン汁と俺とを交互に眺めやる。
「『どう』って。肉か野菜にかけて喰え」
俺は肉を切り分け、口へと運んだ。
「……だったらさ。レモンをいくつかに切っておいて、その時に絞ればいいんじゃないの?」
「別にそれでも良いが。俺は食べながらレモンをテーブルで絞るのは好きじゃない。手が汚れる」
「そんなこと?」
ジャックは、愕然とくちびるを震えさせる。
「ジャック。お前はいつも、黙って物を喰い始めるってことがないな」
俺の皮肉に、ひと声低く呻くと、ジャックは大きく肉を切って思い切りよく、口へと運び始めた。
俺は例のデリのグリッシーニを取り出してきて、手近にあったソーサーにあけ、テーブルの真ん中に置く。
「焼き具合はどうだ?」
グリッシーニをちぎりながら、俺はジャックに視線を向けた。
「え? うん、美味しいよ。すごく」
ジャックは顔を上げると笑った。
「お前、結局、『何でもいい』のだな?」
「そんな! だってさ、スタンが作る物っていつも美味しいし……」
「まったく、喰わせ甲斐のないヤツだ」
そう言いながらも俺は、自分の顔が、微笑んでいることに気がついていた。
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