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そろそろ、オタワでの講義の準備に本腰を入れなければならなくなってきた。
朝からずっと、管区総本部のオフィスに籠もり準備の作業を続けていたが、一区切りをつけ、俺は外に食事に出る。
昼食の後、コーヒーをテイクアウトして水辺の緑地帯へと向かった。
夏の名残を思わせる日差しとは裏腹に、水面を渡ってくる風は、すでにひんやりと清々しい。
いつものベンチに腰掛けると、俺はシガーの先に火を回し、ポケットから携帯を取り出した。
呼び出し音。
数コールの後、ジャックの声が応答する。オン・デューティーの時の口調だった。
「ジャック、勤務中に悪いが、今話せるか?」
「大丈夫です、少々お待ちを」
そう言って、ジャックは通話を保留に切り替えた。
数十秒後、さっきよりはずっと明るい口調のジャックが、再び通話に戻ってくる。
「スタン、おまたせ。どうしたの、最近連絡なかったね」
「ああ」
「……忙しかった?」
「まあな」
俺は曖昧に言葉を返した。
「あのさ、スタン」
さらに声の調子を明るくして、ジャックが話を続ける。
「休暇の件なんだけど、僕、週末を含めて来週に取れそうなんだけど」
「……ジャック」
静かに、だがはっきりと、俺はジャックの話を遮った。
「何?」
「釣りの話は、無かったことにしてくれ」
ジャックはかなり長い間黙り込む。
だが、やがて気を取り直したように口を開いた。
「スタンが忙しいなら……仕方ないよね。残念だけど。またいつかさ、時間がとれたら……」
「『またいつか』も『なし』だ。ジャック」
「え?」
「そういうことだ。もう良い潮時だろう、お前とは、なかなか楽しかった」
「ちょっと、スタン。何だよそれ? 全然意味が判んないよ」
「お前のことだから大丈夫だと思うが、俺たちの件は、勘づかれるようなことにはなるなよ、互いのためだ」
「どうして?! 何かあったの?」
ジャックが声を荒らげる。
俺は黙っていた。
「そんなこと……許さないよ。覚えてる? スタン。勝手に僕を本気にさせておいて、今度は『はい、おしまい』で済ますつもり? 我儘にも程があるよ。これはスタンだけの問題じゃない……僕たち二人の問題だ」
これほど感情を露わにしたジャックの声は、初めて聞く気がした。
俺はさらに声を押えて、こう応じる。
「お前が許そうが許すまいが関係ない。勝手でも何でもかまわない。『終わり』は『終わり』だ」
「……スタン、僕は何か、スタンの気に障った?」
ジャックが、少し冷静さを取り戻す。
「そうだと言えば、お前は満足するのか?」
しばらくの間、ジャックの呼吸の音だけが耳元に聞こえていた。
「分かったよ、スタン。スタンの言うとおりにする」
そう告げたジャックの口調は、ほぼ平静に戻っていた。
「でも、もう一度だけスタンに会って、どうしても言いたいことがあるんだ」
「では今、済ませろ」
「ダメだ。顔を見て、きちんと伝えたいんだ」「無理だ」
「待ってる、部屋で待ってる」
そしてジャックはなおも続ける。
「世界中が敵だと思っても、スタンは、僕のことだけは怖がらなくていいんだよ」
俺は何も言い返せなくなる。
「僕は絶対に、どんなことがあっても味方だから。スタンを傷つけたりしない、守るから」
喉の奥が、締めつけられるように痛んだ。
「それを分かって欲しいって、今までもずっとそう思ってた。だから、会ってもう一度、それをキチンと伝えたいんだよ、スタンに」
俺たちはまた、しばらくの間、黙り込む。
そして、
「勤務中に時間をとらせて済まなかった、コーポラル=ミシェル」
それだけ言うと、俺は一方的に通話を切った。
空になったコーヒーのカップに吸い殻を入れ、ダストボックスに投げ入れる。
そして、ゆっくりと水辺へと近づいた。
ポケットからウォレットを出し、ジャックの部屋の鍵を取り出す。
俺は鍵を左手に持つと、テイクバックをつけ、サイドスローで川へと投げこんだ。
鍵は日差しを受けて一瞬煌き、数回水面を切り、そして、そのまま静かに沈んでいく。
腕時計に視線を向けた。
もう一本、電話しなければならないところがある。
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