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ジャックからの連絡は、予想以上に早かった。
トロント市内での邂逅から二日後の月曜日。
昼近くに、俺の携帯に見慣れぬ番号からのメッセージが着信した。
俺はオフィス自室で「O」管区内で実務訓練中の巡査見習達のデータチェックをしているところだった。
メッセージを開くと一文だけこうあった。
「結婚してたんだ? JBM」
ジャックからだ。
俺は返信した。「今の住所は?」
そして、携帯をデスクの上に置き、再び書類のチェックを続けた。数名の巡査見習については、指導担当警官から面談の開催依頼が来ている。
ジャックからの返信は、なかなか来なかった。俺は書類のチェックを半ばほど終え、時間を見た。
正午を回っていた。
俺は昼食へ出ることにし、コートハンガーから上着を取った。
今の俺のオフィスは、ロンドン市のO管区総本部にある。
ここからトロント市内へは、車で二時間近くかかるため、仕事の内容によっては、ニューマーケットにあるトロント北局やなんかに、自宅から直接出向くことも多い。
だだっ広い「O」管区と「A」管区をも含む、セントラル地域全体が俺の担当だった。
おかげで配属以来、このオフィスにゆっくり座っていられるような暇は、あまりない。
表に出ると、週末より幾分か冷え込みが緩んでいて、日差しだけは二月とは思えぬ明るさだった。
俺は適当な店でワンプレートの昼食を済ませ、コーヒーをテイクアウトし、川沿いの緑地に向かう。
ポケットからリトルシガーのパックを取り出し、火を付けた。
そして、一番日当たりの良さそうな、ひと気のないベンチを選んで腰掛けた。
ジャックからの返信はまだ来ない。
コーヒーを飲み終え、一本目を吸い終わる頃には、さすがに身体が冷えてきた。
俺はオフィスへ戻ろうと立ち上がる。
その時、コートの下に鈍い振動を感じた。
手袋を外すのももどかしく、大急ぎで携帯を取り出す。着信番号も確認せず耳に押し当て、通話ボタンを押した。
「ハンセンだ」
電話は繋がっているようだ。だが、何の応答もなかった。
俺は再び、ゆっくりと言った。「ジャックだろう?」
「今、仕事中でしたか?」
ジャックの答えが、やっと返ってきた。沈んだ声だ。
「オンだ。だが昼飯の帰りで、今は外にいる」
俺は携帯を持ち替え、再び手袋をはめた。
「外に? 寒くないですか?」
ジャックの声のトーンが急に戻った。
「ジャック、お前は? 非番か?」
ジャックの質問には構わず、俺は続けて尋ねた。
「僕はオフです。明日の夜まで……」
またしても、ジャックの声の調子が沈んできた。
「今はどこに住んでいる? ダウンタウンか?」
俺はオフィスへと歩き始めた。ジャックは再び押し黙った。
「聴こえてるのか? ジャック」
ジャックは相変わらず口を開かない。俺は思わず溜息をついた。
「僕がどこに住んでいようと、あなたに何か関係があるんですか?」
やっと口を開いたかと思うと、ジャックは拗ねるようにこう言った。
「関係? 大ありだ」
俺は軽く吹き出す。
ジャックはまた黙り込んだが、俺は気にせず続けた。
「いいさ、どうせ、お前の住所など調べれば、すぐに分かる」
「……調べてどうするんです?」
「シフトは、明日の夜からなんだろう?」
すると突然、ジャックは声を荒げた。
「さっきから、あなたときたら、僕の質問には何一つ答えないで。一方的に勝手なことを言ってばかりですね!」
「『質問』? 何だ、何が訊きたい」
俺はニーナの機嫌を取り繕うときに使うような声音で答えてやる。
「酷いな。人の話、ホントに何も聴いてない」
ジャックはますます沈んで言った。
「『結婚してたんだ?』って訊いたでしょう?」
「おととい会った時、言わなかったか? 『これが女房のニーナだ』って。そんなことが何だっていうんだ」
「『そんなこと』? 奥さんがいるのに、僕にこっそりモヴァの番号を渡すのって『そんなこと』なの?」
「だったら、なぜお前は俺に連絡してきた? ああ、ニーナとデートしたいなら、いちいち、俺に許可を取る必要はない。ご自由に」
何やら女の泣き言のようなことを言い出したジャックを無視して、俺は続ける。
「で、他には何が訊きたいんだ?」
一瞬息をのんだ後、ジャックは溜息をついた。
「本当に! 勝手な人だ」
その声は明るかった。
「次の質問は『外、寒くない?』だったでしょう?」
「寒いに決まっているだろう? 今は二月で、ここはバハマじゃない。何だってそんなつまらないことばかり尋ねる? 次は?」
ジャックは、すぐさま続ける。
「住所を教えたら、どうするつもり?」
「明日の日中は、家にいろ」
「え?」
「行くから。家にいろ」
俺は吹きさらしの中、これ以上の長話続ける気も、ジャックのつまらない質問に答え続ける気もなくなっていた。
「寒いんだ。早く、住所を言え」
ジャックは、ヨークの住所を読み上げるように言った。
「セントクレア・ウェスト駅の辺りか?」
俺が尋ねると、ジャックは「そう」とあっさり答える。
管区総本部の門が見えてきた。
通話を切る前に、ふと思いつき、俺は付け足した。
「『セントクレア・ウェスト』なんて、随分と可愛いところに住んでるんだな? 学生ばかり住んで居そうだ」
「学生なんだよ、僕」
そんなジャックの答え。俺は意味を測りかねる。
「なんだって?」
ジャックは問いには答えず、「じゃあ」と一言だけ返すと、一方的に通話を切った。
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