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初めての転生を経験した時も、確かに戸惑った。けれどすぐに自分が「死ニ愛」のヒロインだと気付いたし、流れもゲームと同じだったから難なく順応出来たのだ。
それがいきなり縁もゆかりもない人物に生まれ変わってしまったのだから、戸惑うのも当然だろう。
今後どうすればいいのかと考えあぐねていると、部屋の扉が控えめにノックされた。
「マーガレットお嬢様。おはようございます」
「マ、マーガレット?」
「どうかなさいましたか?」
私の侍女らしき女性が、きょとんとした顔でこちらを見つめている。優しげなタレ目で少しふっくらとした、メイド服のよく似合う女性。
「私って、今何歳かしら」
「えっ?お嬢様は先日六つになられたばかりではないですか」
名前はマーガレットで、歳は六つ。いきなり根掘り葉掘り自分のことを聞き出しても違和感しかないだろうから、後は少しずつ理解していくしかない。
「いつもとご様子が違いますね。お体の具合がよくないのですか?」
「そ、そんなことないわ。支度をお願い」
病人扱いされては、自由に動き回れなくなる。ここが「死ニ愛」とは別の世界なのか、マーガレットとは何者なのか、きちんと調査しなければ安心出来ない。
「あの、えっと」
「はい、お嬢様。いかがなさいました?」
「貴女の名前は、何だったかしら……?」
一瞬迷ったけれど、思いきって尋ねてみる。案の定渋い顔をされたので、即座に後悔した。
「お嬢様、やはり具合が……」
「ち、違うの!これは、あれよ。貴女が私の質問になんでも答えてくれるのか、ちょっと試してみたくなったの。私のことを本当に好きなのか、不安になったというか」
ああ、話せば話すほど支離滅裂になっていく。コミニュケーション能力の低い人間にはよくある、焦るととんでもないことを言って場を凍りつかせるあの現象。
「ふふっ、そんな可愛らしいことを考えていらっしゃったのですね」
渋い顔をしていたのは、どうやらマーガレットを案じてのことだったらしい。目の前の侍女は私の小さな手を取り、ふんわりと微笑んだ。
「心配なさらなくとも、メリルはマーガレットお嬢様が大好きですよ」
「……ありがとう、メリル」
こんな風に接してもらえたのは前世を含めても初めてかもしれないと、少々背中がむず痒くなる。ヒロイン二人に転生していた頃も、もちろん侍女は何人もいた。けれど私がゲームとして捉えているからかなんなのか、どこか事務的で温かみを感じられなかった気がする。私自身も、完璧にプレイしようと必死だったから、余計な行動をしてズレが生じるのを嫌って心を開こうとはしなかった。
「さぁ。まずはお顔を洗いましょうね」
「うん」
素直にこくりと頷くと、彼女はきりりとした顔つきで非常に手際良く私の身支度を始めたのだった。
メリルと他数人のメイドを連れて、螺旋階段を降り食堂へと向かう。道中怪しまれない程度に屋敷を観察したけれど、やはりこれまでとは違う。近世ヨーロッパ辺りという世界設定は同じだけれど、見知った顔が一人もいない。
「あっ、お姉様!おはよう!」
私が最後の一段を降りきるよりも先に、どんっと誰かがぶつかってくる。驚いて目を瞬かせると、くりくりとした茶色の瞳が私を見上げていた。
「お姉様?どうかした?」
「え……っと、その」
「あらあら、ライオネル。マーガレットを困らせてはダメでしょう?」
目の前から、気品たっぷりの優しげな貴婦人がこちらに向かってやってくる。どうやら、二人とも私を迎えに来たらしい。さしずめ、マーガレットの弟と母親といったところか。先程自室の姿見でみた自分と、瞳も髪も色が同じ。
家族仲のいい雰囲気で、マーガレットはさぞかし幸せに暮らして……。
「ん?ちょっと待って。今、なんて?」
ぐりぐりと私に体を押し付けてくる弟の肩を掴み、私は真剣な眼差しで問いかけた。
「貴方、ライオネルって言うの?」
「えっ?」
「ライオネルという名前なのって聞いてるの!」
姉から突然名前を尋ねられたら、それはもう恐怖でしかないだろう。案の定彼の瞳には、みるみるうちにクリスタルのように透き通った涙が溜まっていく。
「お姉様、僕を忘れちゃったの……?」
「い、いえ。そうではなくて」
しまった。あまりに驚き過ぎて、つい後先考えずに行動を起こしてしまった。
「それとも、頭を打った?怪我?病気?一体どうしたら」
「ち、違うの!これはその……っ」
今にも溢れ出しそうな涙顔で詰め寄られて、どうしたらいいのか分からず困っていると、後ろからメリルがさり気なく私達の間に入った。
「ライオネルおぼっちゃま、落ち着いてください。お嬢様は怖い夢を見たようで、不安で胸がいっぱいなのです。大切な方が何でも許してくれるのか、少し試してみたくなったのでしょう」
「そうなの?お姉様」
「ええ、ええ!メリルの言う通りよ!」
先ほど私が彼女に使った言い訳を上手く引用して、彼を宥めてくれたようだ。メリルの起点に感謝しつつ、私は小さな唇が言葉を紡ぐのを、今か今かと待ち侘びた。
「なんだ、そっか。僕を忘れたわけじゃなかったんだね。良かった」
「ご、ごめんなさい」
「ううん。僕はお姉様が大好きだから、どんなことでも受け入れるよ」
細い指できゅっと目元を拭うと、彼は途端に紳士的な振る舞いをしてみせた。
「僕の名前は、ライオネル・フォーサス。貴女のことがとても好きな、可愛い弟だよ」
「……ふふっ」
あざとい表情で自分を可愛いなんて言うものだから、ついおかしくて笑ってしまう。そんな私に、ライオネルはぷくっと頬を膨らませた。
「ありがとう、よく分かった」
「だったら良かった」
二人で微笑み合っていると、柔らかな手が私達を包み込んだ。
「さぁ、私の大切な子ども達。そろそろ食事にしましょう。お父様もお待ちかねよ」
そのまま優しく手を引いて、食堂へと向かう。次こそは変な態度を取らないようにと気を引き締めつつ、部屋へ戻ったらすぐさま考えをまとめなければと、内心そわそわしっぱなしだった。
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