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 私は、半休をもらうと急いで病院へと向かった。 「尚哉!」  部屋に入ると、尚哉は体を少し起こしてもらっていていた。 「尚哉、良かった。私ずっと心配してたんだよ」  私は、尚哉に近寄ると手を握った。  しかし、尚哉から出た言葉は、あまりにも残酷だった。 「君は、誰?」  尚哉は、私を忘れていた。 「何言ってるの!梓さんでしょ。あなたの彼女じゃない」  お姉さんは、尚哉に必死に話しかけたが全く思い出せないようだった。  私は、ショックのあまり何も言うことが出来なかった。 「梓さん、きっと尚哉も混乱しているだけよ。大丈夫すぐ思い出すわ。今日は、一度帰りなさい。また夕方に連絡いれるから」  そうお姉さんに促され、私は、病院を後にした。そのあと私は、どうやって家に帰ったのか思い出せなかった。気がついた時には、部屋に座り込んでいて、お姉さんからの着信で携帯がなっていた。 「梓さん、大丈夫?」 「はい、何とか」 「あのね。頭を打った影響からか、ここ数年の記憶がほとんどないみたいなの。だから、梓ちゃんの事とか、建設現場で働いていたこととか覚えていないみたいで」 「そんな…」 「先生も、思い出せるか分からないって」 「私、何度も病院に行きます。尚哉に思い出してもらえるように頑張ります」 「梓さん…」 「お願いします」  それから私は、時間があれば何度も病院に足を運んだ。二人で撮った写真を見せたり、たくさんの思い出を尚哉に聞かせたり、何か思い出してもらおうと必死に頑張った。  しかし、尚哉は何も思い出さなかった。そして、私が話をするとごめんなさいと悲しそうに謝るばかりだった。  手や足に障害が残ったが、体は順調に回復していった。リハビリすれば、手や足も少しずつ良くなるだろうとのことだった。  しかし、私の事は思い出さず、数ヶ月がたった頃、お姉さんに呼び出された。 「梓さん、ごめんなさい。もう、尚哉のところにくるのは終わりにしてくれないかな」 「どうしてですか」 「尚哉に何も思い出してもらえなくて、苦しむ梓さんを見るのも辛いし、尚哉もそんなあなたに申し訳ないと苦しんでいるの」 「そんな…」 「お願いします。尚哉を解放してあげてください」  そういうと、お姉さんは頭を下げた。  私は、尚哉のそばを離れたく無かった。でも、そんな私が尚哉を苦しめているなら離れなきゃいけないとも思った。  だから、私は、最後にお姉さんに一つだけお願いした。  それは、最後に尚哉の車椅子を押しながら病院の庭を散歩することだった。 「尚哉、今日は暖かいね」 「うん」 「尚哉は、私の事何も思い出せないんだよね」 「うん…。ごめんなさい」 「しょうがないよ。本当に尚哉が生きていてくれてよかった。それだけでいい」 「…」 「尚哉、私あなたに会えて本当に幸せだった。ありがとう。もう私は、大丈夫だから。尚哉も頑張ってね」 「うん…」  数日後、二人のアパートから私は、引っ越した。そして、アパートの鍵を渡す為にお姉さんに会った。 「梓さん、ごめんなさい。あんなに尚哉を大切に思ってくれたのに」 「大丈夫です。尚哉の事よろしくお願いします」 「ありがとう」  そして、私は乗り越える為に仕事に打ち込んだ。でも、尚哉を忘れることなんて出来なかった。  テレビや街角で流れてくる音楽は、すべて尚哉との事を思い出させてばかりだった。 (尚哉が、いろんな歌を路上で歌ってたせいだよ。どんな曲聴いたって尚哉の顔浮かんじゃうよ)  そんな時、テレビから聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。 『今、大人気のアーティストです。年齢も顔もいろいろ非公開な事が多く謎めいたアーティストなんですが、優しいメロディーとその歌声にたくさんの人が癒されると話題です』  流れてきたメロディーは、彼の背中で聞いていたあの曲だった。 「尚哉なの?どうして、あの曲が。ねえ、思い出したの?」  私は、テレビを見ながら涙が止まらなかった。 「尚哉、会いたいよ…」    目を開けると、リクエストした曲が終わっていた。 「この曲すごい人気ですよね。よくリクエストされます」 「そうなんですね。私の一番大好きな曲なんです」  私は、お金を入れると、彼にお礼を言って歩きだした。 (あなたの曲みんなに愛されているよ。良かったね)  少し前に、茜ちゃんに街で会い、尚哉の話を聞いた。実は、記憶を失っていたというのは、嘘だったらしいと。  障害をおってしまった自分では、私を幸せには出来ないと思い、あんな嘘をついたというのだ。  きっと私の事だから、尚哉が何を言っても別れるということは受け入れないと思ったのだろう。ならば、記憶を無くした事にして距離をおけばいいと考えたのだ。  正直、悲しかった。私の尚哉に対する愛はそんな事で忘れられるはずないのに。どうして、分かってくれなかったのかと。  でも、今さら何を言っても遅かった。  私と尚哉をつなぐものなんてもう何もないんだから。結局、最後に手を離したのは私だったのだと自分を納得させるしかなかった。  そんな事を思い出しながら信号待ちしていると、駅前の大型ビジョンにあの曲が流れた。  私は、渡るのやめ画面を見上げた。すると、横から声が聞こえた。 「いい曲ですよね」  いつの間にか私の横の人も、その画面を見上げていたようだ。 「そうですね」  そう答えると、私は、ふと横の人を見た。   そして、涙が止まらなくなった。  そんな私を見て、横に立つ彼は呟いた。 「相変わらず、梓は、泣き虫だな」
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