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会社からの帰り道、どこからかギターの音が聞こえてきた。
その音があまりにも懐かしくて、私は、音に釣られるようにストリートミュージシャンの元へと足を向けた。
そこには大学生くらいの男の子が一人で歌っていた。
「リクエストありますか」
「じゃあ、○○で」
「わかりました」
私は、静かに目をつぶった。
そして私の目にはひとりの男性が浮かぶ。
私が彼に会ったのは、25才の時。
その日、私は、とにかく荒れていた。
仕事帰りには、お酒を飲みながら同僚に散々愚痴を聞いてもらったが、それでもなかなか怒りが収まらないでいた。
「はあ、課長の伝達ミスのくせに、なんでそれが私のミスになるわけ。もう、やってらんない。こうなったら、家でやけ酒だわ」
私は、まだくすぶる怒りをぶつけるために駅前のコンビニでお酒を買い、家へ帰ろうと考えていた。実際にお酒を買いコンビニを出ると、どこからかギターの音色が聞こえているのに気がついた。
(どこから聞こえるんだろう...)
周りを見渡すと、どうやらロータリーの方から歌声が聞こえているようだった。いざ近づいてみると、私と同じくらいの男性がギター片手に歌っていた。
(なかなか上手いかも)
私は、少し離れた階段に腰を下ろして、買ったお酒を飲みながらそのミュージシャンを見ていた。
流れてくるメロディーは、流行りの曲とは違ったが、ささくれた私の心を優しく包んでくれるような気がした。
だから、私は、目を閉じながら、静かに耳を澄ませながら曲を聞いていた。
「起きて!大丈夫?」
私は、誰かに揺り起こされた。
目を開けると、さっきまでギターを弾いていた男性が目の前に立っていた。
「よかった~。駄目だよ、こんなところで寝ちゃ」
「すみません。私、いつの間に...」
「びっくりしたよ。静かに聞いてくれてる人がいると思ったら、突然手がダランってなるから」
よくみると、さっきまで持っていたお酒の缶が足元に転がっていた。
「もう大丈夫そうだね。気をつけて帰りな」
男性は、演奏していた場所に戻ると片付けを始めた。
「すみません。邪魔してしまって」
私は、男性に近寄ると頭を下げた。
「大丈夫。もう帰るつもりだったから。気にしないで」
「でも…」
「じゃあ、また聞きにきてよ。毎週金曜日の夜にここで弾いてるから」
そういうと、男性は荷物をまとめ帰っていった。
次の金曜日、私はあの男性の歌を聞きに来ていた。
「こんばんは。歌を聞きに来ました」
「あっ、この前の。本当に聞きに来てくれたんだ。ありがとう」
「先週弾いていた曲、また聞かせてください」
「今日は、寝ないで聞いてね」
そういうと、彼は笑ってギターを弾き始めた。
「もちろん、ちゃんと聞きます…」
これが、私と彼との出会いだった。
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