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その騎士が、今の夫だ。
シャルフィが、募る恋心を持て余してきたころに、両親からどうかと問われ頷いてみれば、あっさりとリウトは婚約者になり、そしてそのまま夫となった。
両親も侯爵も、おそらくはリウト本人までも、初めから婿として子爵家に入る前提だったのだと気がついたのは、その後だ。
リウトは子爵家を取り仕切るための教育をいつの間にか受けていた。結婚して二年、リウトの取り仕切る子爵家は侯爵家とのよき関係のもと、順風満帆、領土も豊かに平和になっている。
すべては、大人たちにとっては予定調和だったのだ。
シャルフィとしても、恋する相手が夫になって、不満はないはずだった。
三日前の夜会で、こんな言葉を耳にするまでは。
『いつまでも姫と騎士のようで、清き恋物語のようですわね』
直接言われたわけでもなく、悪意もなかったかもしれないけれど、シャルフィの心には煙草のにおいのように黒く染みた。
他人からの見かけだけならばいざ知らず、夫婦は真実、今でも主従のような関係のままだと気づいてしまったからだ。
閨事は、初夜の時から週に一度、安息日の前の夜に。
穏やかで、静かな愛情の感じられる営みだと、そう思っていた。
初めての夜さえ、怖いと思ったことは一度もない。ただただ、湖に浮かぶ小舟のようにゆらりゆらり、どこまでも快く、春の陽溜まりに手足を伸ばすように、全身がとろけそうな幸せな時間だ。
けれど、抱き合うのもキスをするのも、寝台の上、閨事の時だけ。
つまり、週に一度だけ。
気づいてしまえば、営みは礼儀正しく義務をこなすものとしか思えなくなった。
定められた夜に、全身を清めたばかりの姿で来て、礼節を持って妻に触れると、夫はまた自室へ戻ってしまうのが常だ。
だからシャルフィは、リウトの寝顔を見たことがない。
寝起きの顔も、生えかけたヒゲも、欠伸すら見たことがない。
そして、鋭敏なシャルフィにとっても、リウトは限りなく無臭だ。
子爵家ではシャルフィに配慮して、浴用も洗濯も、石鹸には柔らかな香草のにおいだけがついているものを使用している。これも、リウトが見つけてきてくれた品だ。リウトからするのは、この石鹸のにおいだけ。いや、それだってシャルフィも同じものを使っているから、どちらのにおいかも、もうわからない。
どれほどシャルフィが閨で乱れようとも、リウトは静かに落ち着いていて、汗のにおいも肌のにおいもしてこない。気を失うように眠ったシャルフィを置いてリウトが去った後は、寝台に残る香りもない。
もしかして、リウトは幻なのだろうかと思うことがある。近いと思っても実は手の届かない、空の月のように。
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