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すれ違いの原因
目の前のひとは、本当にリウトだろうか。
湿ったせいでいつもより艶めく銀の髪も、伏せると頬に濃い影を落とす銀の睫も、月の雫で染めたように美しい。
リウトにしか見えない。
「だがそうすると、毎晩が理性との戦いになる。耐えようにもすぐ隣にシャルフィがいるわけで。それで、俺の理性が負けて無理をさせて寝込ませたりしたら、俺は死ねる」
なのに、その口から出る言葉は、リウトのものではあり得ない。
もう、シャルフィは開いた口が塞がらない。口も、目もまん丸にして、急に人が変わったような夫を凝視した。
ゆっくりと、瞼を持ち上げたリウトの薄灰色の目と、目が合う。
と思うや、さりげなく寝台ににじり寄っていたリウトは、シャルフィの片手を握った。シャルフィの動揺を宥めるようでもあり、混乱に乗じるようでもあった。
「シャルフィ、もし俺が君を気遣うことができなくなったら、俺を刺してでも止めてくれる? そうしてくれると助かる。大丈夫、シャルフィに刺されたくらいでは俺は死なないから」
枕を支えている手まで奪われそうになって、シャルフィは必死に枕へ顔を押しつけた。
こんな至近距離では、直に空気を吸って無事でいられるとは思えない。
はあ、と切なげなため息が聞こえた。
「やはり、俺が嫌いになった?」
「(ち、ちがう、でも今は離れて!)」
枕を押しつけたまま叫んでも、言葉は聞き取れないかもしれない。それでも、リウトがシャルフィの拒絶を汲み取れないはずはないのに。
握られたままだった手に、呼びかけるように触れる指を感じて、シャルフィの背中にきゅっと力が入った。
ただ皮膚をそっと撫でているだけなのに。まるでその奥の血の流れを操るかのように、辿られるところだけが熱く脈打つ。行きつ戻りつする指は、その熱をゆっくりとシャルフィの中心へ押し戻そうというように、するりするりと腕を辿り、ゆったりした寝衣の袖を引っ掛けてたくし上げながら、震える肩へ。
そこで、ぴたりと指が止まった。
「……もしかして君が嫌なのは、中年男特有の、いわゆる親父臭? 貴女よりだいぶ年が上だからな。貴女に恥ずかしくないように、嫌がられないように、気をつけてたんだけど。気を使わせたかな。もしそうなら臭い消しの薬草を……」
「ちがう!!」
なんてことを、言うのだろう。
年経た人間からは独特の臭気がする、というのは聞いたことがあるが、あの甘く包み込むように濃厚なにおいが、一般に疎まれる悪臭だとは、シャルフィには思えない。なにしろ女性ものの香水かと一度は疑ったほどだ。
それに。
「どうして、私に恥ずかしいとか嫌われるとか、変なこと言うの!? 私、私は初めて会ったときからずっと、ちゃんと好きなのに!」
叫びが口から迸り、そして入れ替わってリウトのにおいが、好機とばかりにシャルフィの中に押し入――。
いや、その直前。口から外れた枕はどこかへ放り投げられ、代わりに、首に巻き付けたままだった布で荒々しく鼻と口を覆われた。
間一髪、なんとかにおいは回避した。
けれど浅い息をついて、足りない空気を喘いで取り込んで気がつけば、いつの間にかリウトに跨がられていた。
顔の下半分を大きな手で布ごと塞がれて、荒々しい感情を隠さない眼にじっと見下ろされていた。
「シャルフィ、ちゃんと好きって、俺を男として好きってこと? それで合ってる?」
強く寄せられた眉がかすかに震えているのに、シャルフィは目を見開いた。
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