義理で結婚してくれた大好きな騎士

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義理で結婚してくれた大好きな騎士

 始まりは、週に一度の夫婦の夜。  その日は、何故だか少し気分が乗らなかった。  少なくともシャルフィにとっては、幸せな時間のはずだったのに。  *****  シャルフィは、この子爵家の一人娘だ。  金茶の髪と温かみのある茶色の瞳、小さめの鼻と口のわりに目が大きく、童顔。結婚した今でも、子供のように見られることが多い。  それは生まれつき体が弱く、細く小柄なせいかもしれない。幼少期には理由もなくよく熱を出し、生死の境を彷徨った。  不安に苛まれ続けた両親は、十の歳を超えて人並みの端に引っかかるくらいの健康を手に入れてからも、シャルフィを過剰に心配した。  シャルフィ本人はといえば、体力に見合わない旺盛な好奇心を抱えた子供だったので、倒れるまで庭で遊び、熱を出すまで本を読みたがった。  シャルフィにとって、今ある体力はすべて今使うべきものだったのだ。  困り果てた両親は、シャルフィに専属の騎士をつけた。  騎士といっても馬を駆って戦場で働く者ではない。シャルフィがどこへ行くにも付き添って、身の安全だけではなく体調まで気遣う。まさに物語のナイトのような護衛騎士だ。  子爵家の令嬢には分不相応。けれど、子爵家の主筋である侯爵家の当主が、病弱な子を思う親心に同情し、縁を結んでくれたという。  その騎士は、夜会でも隣に居られる男爵家の三男という身の上で、荒ぶらない穏やかな性質、そして騎士服に包まれていても貴公子にしか見えない繊細な美男子ぶりが、箱入りの令嬢にも受け入れられやすいだろうと推薦されたそうだ。  確かに。  すらりと姿勢の良い長身に、月のように麗しい銀の髪と、真昼の月のような灰青色の目。  初顔合わせの場となった程よい木陰のテラス席に、月が落っこちてきたのかと思うほどの存在感を放つ騎士が現れて、シャルフィはぽかんと口を開けた。 「はじめまして、シャルフィ嬢。私は、リウトと申します」  見惚れてばかりで挨拶もできないのに呆れた様子も見せず、丁寧に自己紹介をしてくれたのに。 「私、騎士なんて、いらないわ」  挨拶を受けて我に返り、ツンと顔を背けたシャルフィは、さぞ小生意気で面倒な子供だっただろう。でも、シャルフィは絶対に譲るわけにはいかないと意気込んでいた。 「私、もう走っても胸は痛まないし、夜更かししても吐いてしまうほど頭が痛くなったりしない。友達とお喋りしても喉が切れたりしないわ。だから、自由でいたいの!」 「そうですか。――いいと思いますよ」  あっさりそう返されて、拍子抜けした。 「お嬢様は好きなことをなさってください。どうしても限界だと思った時にだけ、お止めします。自由でいて、いいんですよ」  次に、適当なことを言う人だと腹を立てた。大人は大体、嘘つきだ。 「庭で、犬と遊んでみたい。かけっこしたり、投げたものを拾わせたり。湖で泳いでみたい。裏庭の湖の対岸まで、泳ぎ着きたいの。あと、夜だけ舞うという蝶を見てみたい」 「私の見ているところでなら、挑戦していいですよ」  シャルフィの試しのような我儘をリウトはすんなりと受け入れた。  そして、にこりと口元だけの笑みを差し出して。  たったそれだけで。  当時19歳だった月のような騎士は、息を吹きかけて羽毛を飛ばすほどの容易さで、12歳の少女の心を奪い去ってしまった。  このあと、限界を知っておきたいと言われ、足が前に出なくなるまで屋敷の廊下を歩かされたり、片手に乗る程度の物を繰り返し上げ下げさせられたり、歌を歌わされたりと、散々大変な目にもあったけれど。  リウトは、宣言通り、シャルフィをいつも自由にさせてくれた。自由にさせた上で、守ってくれた。最大限に。  大人になって思い返してみれば、きっと彼の苦労は大変なものだったはずだ。何しろ、病弱な時代の名残でシャルフィの体力は微々たるもの。際限のない飢えのような好奇心には、到底見合うものではなかったのだから。  おとなしくしていれば、熱も出さず不調もなく過ごせただろう。けれど、走れば足が攣り、泳げば手足は萎え、夜更かしをすれば翌日頭が重く起き上がれなくなる。  騎士はシャルフィの手足をやさしくほぐし、日々少しずつ筋力をつける指導をしてくれたが、少しでも良くなれば限界まで体を酷使して数日寝込み、体力は逆に落ちることも多かった。  苦労の種はもうひとつ。リウトの苦心の甲斐あって、シャルフィが一進一退を繰り返しながらもじわりじわりと体力をつけ、少しずつ行動範囲を広げるにつれ判明したこと。  シャルフィの嗅覚はひどく過敏だ。  茶会ではきつい香水にあてられ席に着く前に気が遠くなり、苦手な植物のにおいに植物園の真ん中で発疹を出し、葉巻のにおいに吐き気を催し夜会の入り口でとって返す。そんなことが日常茶飯事だった。  リウトはその度に険しい顔でシャルフィを抱え、脂汗を拭い、冷え切った体を温めながら、家路を急いでくれる。そして同じ事態を繰り返さないよう細心の注意を払ってくれた。  つまり危険なにおいを予め避けて移動し、空気のよい場所で息継ぎをさせてくれたり、あるいはにおいを打ち消す薬草を探してきたり。  茶会に出るな、夜会に行くな、とシャルフィのやりたいことを制限をすることは一度もない。むしろ、あれこれと口を出す親から、庇ってくれることも多かった。  ――だからシャルフィには、初めての恋から逃れる機会などひとつもなかった。  恋の花は月の光を浴びて咲き、香りを放つ。香りは濃度を増し、密度を増し。  年頃になる頃には、シャルフィの心は息苦しいほどの香りで湖のように満たされていた。  物思う時はいつも、水底に咲き乱れる恋の花と一緒に、その湖底に埋もれるように仰臥して遠い水面の向こうの月を見上げる。そんな有様だった。
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