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退職願いを指差す佐伯さんの綺麗なネイルを見下ろし続けながら口が動いていく。 「高校も大学も会社もお兄ちゃんと同じ所を選んだのにはちゃんとした理由がある。 剣道の全国大会の決勝で逃げ腰になったのにも戦うことを辞めたのにもちゃんとした理由がある。 女の子達からの本気の愛を受け取らなかったのにも勿論ちゃんとした理由がある。」 私の指には似合わないような綺麗で可愛くもあるネイルを見詰め続けながら口が勝手に動いてしまう。 「私なりにだけどちゃんとした理由がある。」 「どんな理由なの?」 「それは言えない。」 「どうして?」 「佐伯さんに言っても絶対に分からない。」 「そんなの言ってみないと分からないでしょ?」 「分かるよ。」 「どうして分かるの? 言ってみないと結果は分からないのに。 そうやって誰かにちゃんとした言葉を言うことからも逃げてたの?」 「それは・・・。 ちゃんとした言葉を言えていたとしても結果は同じだった。」 「言ってもないのにそんなことは分からないでしょ?」 「同じだった・・・!! 同じだったんだよ・・・!!! 佐伯さんには分からない!!! 私のことなんて絶対に分からない!!!!」 まるで自分の頭ではないかのように頭が勝手に動き、私のことを真っ直ぐと見下ろしている佐伯さんのことを見上げてしまった。 佐伯さんの綺麗で可愛い顔を見て思わず泣いてしまった。 今日2回目に会った人の前でこんなにも涙を流してしまった。 でもこの口は止まらなくて。 全然止まってくれなくて。 「綺麗で可愛い佐伯さんには私のことは絶対に分からない・・・。」 「今は服を着ているから綺麗で可愛いかもしれないけど、裸の私は綺麗でも可愛くもなかったでしょ?」 「そんなことない・・・。」 佐伯さんの背中にある大きくて深い痣を思い浮かべながら口が動いた。 「あの大きくて深い痣が佐伯さんのことをもっと綺麗で可愛くさせた。 佐伯さんの魅力にもっと引き込まれた。 あの痣があってもどんなにキツイ言葉を投げ込んできても、佐伯さんはその全てを魅力に変えられるくらいに綺麗で可愛い女の子だと思う。」 勝手に出て来てしまった私の本音に、佐伯さんは凄く驚いた顔をした。 “そんな顔も凄く綺麗で可愛いな”と思いながら見上げ続けていたら・・・ 佐伯さんが初めて見る砕けた笑顔で笑った。 「なるほど~。」 初めて聞く可愛らしい声が佐伯さんの口から出て来る。 「園江さんは凄く優しくて良い子なんだね。」 私の退職願いから指を離した佐伯さんは私の足元にしゃがんだ。 そして可愛らしい顔で私のことを見上げてくる。 「私のことを“可哀想”と思わずに“綺麗で可愛い”って本当に言ってくれたのは園江さんが初めて。 ありがとう、凄く嬉しい。」 驚くことに佐伯さんが顔を赤らめながら私のことを見詰めてくる。 「これは参ったな~と思ったんだよね、初めて会った時。 写真よりもずっと綺麗で格好良い人で、女の私から見ても“そういう好き”になりそうで。」 「そうだったの・・・?」 「そうだよ~、大変だったんだから!! そして今も大変なことになってる!! もうキュンキュンしちゃってヤバいです~!! ひっさしぶりにキュンキュンしちゃってるから尚ヤバいです~!!」 高くて可愛い声で佐伯さんが悶え始め、その後に困ったように笑った。 「園江課長もそうだったけど、園江さんもやっぱりうちの営業で成績を残してる人だよね。 演技力という感じでもないけど、顔も身体もちゃんもコントロールが出来てる。 園江さんに会うのは今日で2回目なのに全然分からないから教えて?」 佐伯さんが照れたような可愛い顔で私を見上げ、言いにくそうに口を開いた。 「私は佐伯和香(わか)、社会人3年目で今年25歳。 父親は誰か分からなくて認知もされてなくて、母親は女優の和泉かおりなの。」 「そう・・・なんだ・・・。 和泉かおりにお子さんがいたんだね。」 「うん、隠し子がね。」 「そっか・・・。 隠さなくて大丈夫なの?」 「園江さんのことを教えて欲しいのに、聞く私が隠し事ばかりじゃダメでしょ?」 「そっか・・・ありがとう・・・。」 「うん、いいよ。 ちなみに初体験は高校1年生の時で相手は幼馴染み。」 「そうなんだ・・・。」 「あとは生まれた時から心臓に色々あって、二十歳まで生きられないかもって言われてたの。 今ではそんなことはない病気なんだけど、私が生まれた当時はそう言われてて。」 「だから二十歳の時に終わったって言ってたんだ?」 「うん、二十歳まで精一杯生きた。 やり残すことがないように本当に精一杯。 それでもやり残したことばっかりだけど、それらは間に合わなかったからもう仕方ないの。 この命をちゃんと終わらせて、また来世で続きが出来ればもうそれで良い。」 「そっか・・・。」 「私の秘密はこんな感じ~。」 佐伯さんは子どものような笑顔で笑い、優しい顔で私のことを見詰めた。 「園江さんのことも教えて? 何が園江さんをそんなにつまらなくさせてるの?」 優しい優しい声で佐伯さんが聞いてきて・・・ 「私は聞き上手なタイプじゃないんだけど、ちゃんと聞くから。 分からないとしても分からないなりにちゃんと聞くから。 だから教えて欲しい。 優しくて良い子な園江さんの人生を何がつまらなくさせてしまっているのか。」 数分前とは別人のような佐伯さんのことを見下ろしながら、また自然と口が動いてしまう。 別人のような佐伯さんだけど、やっぱり私は佐伯さんにこの命もこの身体も奪われているのだと改めて思う。 「お兄ちゃんと同じ進路に進んだのは女の子達にお兄ちゃんのことも見て貰う為。 女の私があの子達の気持ちを受け取るなんてことは出来ないけど、本物の男であるお兄ちゃんならそれが出来るから。」 泣きながらこの口が必死に動いていく。 「大好きな剣道の決勝の途中では考えちゃったの。 このまま優勝したらもっと私は男に近付いてしまうって。 そう思ったらあれ以上は戦えなかった。 戦いたくないと思ってしまった。」 結局変わらなかった未来に泣きながら笑う。 「女の子達の本気の愛を受け取らなかったのは女の私に返せるモノは何1つないから。 見た目は男みたいだけど、私の心は男ではなくて。 だから私はあの子達の本気の愛を受け取らなかった。 本気だからこそ逃げ続けていた。 見返りを求めてしまって辛いだけの恋にはなって欲しくなかった。」 女の私に恋をしていたあの女の子達も、今ではちゃんと異性と恋をしたり愛を育んでいたりしているらしい。 そんな“普通”の女の子達になれているであろうみんなの姿を思い浮かべながら口にした。 「私は“普通”ではない女だから・・・。 男みたいな見た目で、男よりも女の子からモテて、男の人から“女の子”として愛して貰ったことがない。 私はどこをどう見ても“普通”の女ではない。 だから見て欲しくない。 こんな私のことなんて誰にも見られたくない。 ・・・営業先で私のことを“女”でも“人”でもなく、“男”として見られるのは嫌だ。」 綺麗で可愛い顔を苦しそうに歪める佐伯さんに向かって嘆いた。 「昔から凄く嫌だった・・・!! でも今は昔以上に嫌だ・・・!! 私・・・私、片想いをしていた人がいて・・・当たり前だけど全然ダメで・・・。 あの人から全然ダメだった理由を改めて実感するのがどうしても嫌だった・・・っどうしても無理だった・・・!!!」 感じたことがないくらいに胸が苦しくなってくる。 あまりにも苦しいから心臓を放り投げてしまいたいくらいに苦しく・・・。 「見ないで欲しい・・・!!! 私のこんな姿なんて誰にも見ないで欲しい・・・!!! 私はもう疲れたくないから・・・!!! 疲れた時に私のことを受け入れてくれていたあの人はもういないから、私は少しも疲れたくない・・・!!!」 今日で会うのは2回目の佐伯さんに、嘆き続けた。
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