第53話 僕は彼女を信じてる

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第53話 僕は彼女を信じてる

 僕の名前は黒葛川 猛(つづらがわ たける)。  一年のころは一般コースのEクラスだったわけだが、一念発起し、進学コースへの編入を希望。なんと二年ではAクラス。しかも友達が少ない中、委員長へと成り上がった。もともと学年でも総合一桁の成績を収めていた僕だから、何も驚くことではない――のだが、Aクラスの連中は本当に驚きもしなかった……。  ◇◇◇◇◇  進学コースであるAクラスは英数を中心とした特別授業が組まれ、三年では特進コースとして扱われるトップクラスだ。入学当時、僕はそんなギスギスした雰囲気の中で高校生活を送りたくなかったのもあって、特に進学コースへの希望は出さなかった。実際、一般コースでも高い成績を収めることができていた。  そんな僕にとっての転機が訪れたのは文化祭。あの、1-Aの演劇を観たことがきっかけだった。劇そのものは実に下らない内容だった。突拍子もないストーリーと下卑た復讐の物語だったと思う。観客にはウケていたようだが、僕にはちょっと理解できなかった。  物語はこの際置いておこう。僕に衝撃を与えたのはそのキャストだ。予め発表されていた配役を僕は確認していた。メインヒロインは新崎家の長女。この学校の敷地ももともとは新崎の土地だったと言うくらいの大地主だ。その長女なら当然の配役だろう。  そして二人目のヒロイン。鈴代という姓には聞き覚えが無かったわけではない。確か同中にそんな苗字の女子が居た気はしていた。ただ、どんな子だったかと聞かれると全く思い出せない。  三人目のヒロインは渡辺さんという、一年の間でもバレー部期待の星として有名だった。運動の出来る女子は下手に見かけだけの女子と違って、一般コースの生徒の間でも有名だったから僕も知っていた。尤も、1-Aには運動部に所属していないものの、運動の得意な女子が多いと言う話も耳にしたことがあったのだが。  僕も前評判通り、二人目のヒロイン役には目もくれていなかった。  ――だが、実際は違った。  二人目のヒロインは、メインヒロインを食いかねないほど感情が溢れていた。捨てられる、正にその瞬間まで勇者を信じて慈しみ、裏切られてしまったことで憎しみへと裏返った感情をぶつける。その激しさに、勇者役のキャストは涙さえ流していた。  カーテンコールでは彼女は愛おしそうに勇者役の腕を取っていた。その時、僕の胸がチクリと痛んだ。そう、僕は彼女に恋をしてしまったのだ。  それからというもの、鈴代さんの噂に耳を傾けるようになった僕は、彼女に学校外の恋人が居ると聞いた。まあ、あれだけの器量好しだ。当然だろう。だが、次に耳にしたのはその彼女が同じクラスの男子と付き合い始めたという話だ。  ――なるほど、学生のうちは自由恋愛。結婚に縛られているわけではない。最終的なゴールが誰と一緒かなんて今からわかるわけが無い。  そう考えた僕は、前述のとおり進学コースを希望したわけだ。  ◇◇◇◇◇  だが、Aクラスという存在自体、僕の想像からは大きくかけ離れていた。  最初、当然のように僕はそのクラスメイトたちと張り合うつもりで初日から意気込んでいった。だが登校してきて挨拶を交わす彼らは和気藹々としたものだった。それどころか、同じクラスになれたことを泣いて喜ぶ生徒まで居る。ただまあ始業式の日くらいはこんなものかとも思っていた。  クラス委員を決める。当然、僕は委員長の座を争うために立候補するが、対抗馬は冴えない男子一名。昨年の委員長らしき女子は興味も無さそうにしている。マウントを取るには委員長と言う立場は有利。当然、その座を巡って激しい争いを覚悟したのだが、彼らにとってはどこ吹く風。おまけにこの冴えない男子と争って僅差で勝利すると言う屈辱を味わった。  ともあれ、委員長の座を得た僕は、進学コース編入の目的たる宣戦布告を行う。  ――鈴代 渚への告白だ。  この一年をかけて彼女の心を射止めるつもりだった僕は、フラれることも、まあ想定内ではあった。じっくりと自分をアピールしていくはずが、とんでもない事実を突きつけられることとなった。彼女は既に恋人を親族へと顔合わせしていたのだ。つまりは婚約者。何という事だ……。  絶望に打ちひしがれた僕を、クラスメイト達は優しく慰めてくれた。  僕の代わりに副委員長の星川さんは上手にクラスをまとめてくれた。  昼食の時間は皆、気の合う者同士で机をくっつけ合っていた。  試験直前ならともかく、普段は皆、のんびりとしたものだった。  彼らには余裕と言うものが感じられ、小学生低学年かのような仲の良さをみせていた。  最初からいろいろな面で争うことを考えていた僕には衝撃的だった。  鈴代さんの事は残念だったが、主にクラスの男子が仲良くしてくれ、僕の居場所はちゃんと残っていた。  ◇◇◇◇◇  鈴代さんとその恋人の瀬川というやつは、想像以上に仲の良いカップルだった。  お互いを大事にしていると言うのが、他人の僕にもよく見て取れた。  おまけに周囲の友人たちが皆、二人を大事にしていた。  問題が起きても一体となって支え合っていた。  ――なるほど、これは敵わない  ようやく鈴代さんを諦めることに踏ん切りがついた頃にはもう、四月も半ばを過ぎていた。  ◇◇◇◇◇  ある日、僕はアーケードゲームを嗜みに、繁華街のアミューズメントパーク――いわゆるゲーセンに来ていた。ゲームはいい。パズルを解くだけのような勉強に、不確定さという刺激を与えてくれる。  勉強で疲れた肩を程よく解すことができた僕は、近くのカレー専門店に向かう。これは中学の頃の友達との付き合いでできた習慣のようなものだ。歩行者天国のアーケードから一本奥に入った少し狭い通りにあるその店へと向かう。  ふと、目の前の曲がり角から歩み出てきたカップルの後ろ姿が気になった。  普段なら何と言うことはない光景。そこの筋を奥へと歩くと、さらにもう一本向こうの通りはアーケードからも少し離れ、ラブホテルがいくつか立ち並ぶラブホ街として有名。中学の友人たちとも度々目撃し、――リア充爆発しろ!――なんて馬鹿馬鹿しい陰口を友人たちは叩いていた。  そのカップルが気になった理由。  それは何より、カップルの女性の方が鈴代渚、その人だったからだ。  まずい、まずいぞ。胸の動悸が止まらない。  見てはいけないものを見てしまった僕は、おもむろにスマホを取り出し、そっと録画を始める。何食わぬ顔でその二人の後を付いて行ったつもりだが、手汗がべったりで平静を保てているかわからない。  その二人はなんと、僕の目的地だったカレー屋に入った。  僕も少し空けて後に続く。  二人は四人掛けの席に座り、僕は二人の様子が覗き見られる二人掛けの席に着いた。  男の方は明らかに瀬川ではない。背はそれほど高くはないが細身。全体的に黒系でまとめているが、ところどころアクセントに柄物を身に着けている。優男風なのに似合わない口ヒゲなんか生やしていてちょい悪って印象。  鈴代さんは涼し気な少し透けたレース柄のブラウスに細身のシルエットの紐かけのワンピース。おとなしめだけど少しの大人っぽさを感じさせる私服姿だった。ただ、相手の男との組み合わせでどうしても悪い奴に引っかかった大学生というイメージが強い。  鈴代さんは学校ではあまり見せないような楽し気な笑顔を相手の男に見せていた。学校での彼女はどんなときもいくらか緊張した面持ちで会話してることが多い気がする。もしかしてあの瀬川にもあんな顔は見せないのではないのか……。  ――やはり自由恋愛。婚約者がいるとはいえ、正式な取り交わしではないのかもしれない。何より目の前の彼女の振舞いがそれを示していた。  ここで僕は悩む。どうするべきか。  A.証拠はこの手にある。これを瀬川に送り付け、恋人の浮気を教えてやる。  B.黙って見過ごし、鈴代さんの浮気性をあてにして僕も恋人に。  C.浮気をネタに鈴代さんとお付き合いを迫る。  いやいやいや、Cはマズいだろう。どこの悪漢だ。下手を打てば高校を追放……いや、退学させられかねない。思わず爪を噛んでしまっていた。これはよくない。  鈴代さんたちが何を話しているかは聞き取れないが、彼女は運ばれてきたプラウライスを頬張っていた。そこに男の方が自分のタンドリチキンの載った皿を差し出す。彼女は嬉しそうに受け取り、箸で器用に解し始めた。チキンはそのまま食べるのかと思いきや、彼女は皿を差し戻し、二人の間に置いて仲良く箸でつつき始めたのだ!  二人の関係の近さを感じ取ってしまった僕は眩暈を覚え――ムルグコルマ ネ。イジョデ オソロイ? ナン オカワリアルヨ――いつものネパール人の店員さんがカレーのセットを持ってきてくれる。そしてこの時間はただでさえ大きめのナンがお代わりフリータイム! 店員さんも手が空くと自分でラッシー作って飲んでるくらいのこの緩さが良い!  ふぅ――ナンのお代わりまでしっかり堪能してしまった。カレーの量的にナン二枚は厳しいが、バターの甘さがあって単品でもおいしく食べられる。満足した僕の席の横を通り過ぎていくカップル。  ――しまった! カレーを堪能している間に鈴代さんたちは食事を終え、会計を済ませようとしていた。  慌てて店を出た。鈴代さんたちは来た時と同じ道を引き返していく。  出てきたところの筋を曲がると、そのままラブホ街へと。  ――カレーを食べてまた一戦交えようと言うのか!? そんな、鈴代さん……。清楚可憐な女の子だと思っていたのに。  二人は楽しそうに話しながらラブホ街へと消えていった。  ◆◆◆◆◆  土曜日、久しぶりに一人でのんびりと過ごしていた。  この所、鈴木ショックのせいもあって渚が離してくれなかったのだけど、昨日見た限りでは渚もずいぶんと鈴木に心を許していた様子だった。良きにしろ悪しきにしろ、鈴木がいろいろと裏で手を回してくれていたことが原因だろうな。  母は時々ハウスキーパーさんを雇って家の掃除を頼んでいるけれど、今日は僕が手隙ついでにリビングや台所の掃除をしている。家はただでさえ僕と両親だけが住むには広いうえ、母はほとんどの日が夜から朝までしか居ないし、父は外泊も多い。かといって両親の仲が悪いわけでもなく、最近では僕をほったらかして外でデートしていることも多い。  レンジ周りは使う度に掃除しているのでそこまで汚れていない。特に最近は渚と使うことも多く、そんな時はたいてい渚がピカピカに仕上げたりするからだ。僕の母の領分だから、借りる以上は綺麗にしておきたいとか。母はそんな事気にもしていないけれど、渚はお母さんから教え込まれたからと言っていた。  まあ、そう言うわけでそこまで掃除は大変ではない。  ペコ――床を掃除しているとスマホの通知音が鳴る。  差出人は黒葛川だった。  黒葛川は渚に近づくべく進学コースに入ってきた。まあ、初日に撃退されたわけだが。最初はちょっと嫌味なやつかとも思ったけれど、意外とすんなり僕たちの関係を受け入れてくれていた。  そして彼はあれでも委員長である。クラスメイトたちも時々星川さんを委員長と呼んでしまっているが、黒葛川は紛うことなき2-Aの委員長である。彼は委員長として男子全員と連絡先を交換していた。星川さんのアドバイスだそうだ。  僕はスマホを開く。 『瀬川、実はいまほど鈴代さんを見かけたのだが通話いいだろうか』  黒葛川は何故か渚の話を持ち出してきた。  僕が返事をすると着信がある。 『せ、瀬川、おおおちついて聞けよ』 「いや、まずお前が落ち着け」 『落ち着いている場合ではない!』 「いや、どっちだよ」 『今、繁華街に居るのだが、鈴代さんが男と二人で歩いていた』 「あ、ふぅん……」 『ふぅんておま! 何とも思わないのか!』 「いやだってさあ……」  何となく想像がついたが黒葛川に説明するのも面倒くさい。 「――それ、渚はどんな様子だった? 緊張してたり様子が変だった?」 『いや、ものすごく楽しそうで仲が良さそうだったぞ』  なるほど。確かにちょっとは嫉妬するけれど、嫉妬したらその相手の思う壺だと思った。 「思うところ無くも無いけど、まあ、大丈夫だろ」 『なんだって! 自分の恋人が心配じゃないのか!』 「うっさい、怒鳴るなよ。渚に限ってそんな心配するようなことは無い」 『あの子に限ってなんて言っていると……現に二人はその、ラブホ街から出てきてまた戻っていったんだぞ』  なるほど。繁華街の地下駐車場がいっぱいだったとしたら、ラブホ街の裏の駐車場とかに停めたのかもな。あるいは――。 「もしかして、渚たちはカレー屋に行ってなかったか?」 『なぜわかるのだ!? その通りだ』  やっぱりな。 「その近くにカレー屋提携の駐車場があるんだよ。つまりカレーを食べに寄っただけだ」 『なん……いや、それはただの偽装かもしれんぞ。カレー屋とみせかけて本当はラブホに……』 「大丈夫だ」 『どうしてそう思える』 「僕は彼女を信じてるんだ……」 『な………………』 『――そうか…………瀬川、僕は君を侮っていたようだ。君がそこまで信じると言うなら何も言わない。ただ、もし……もし鈴代さんが何か間違いを犯したとしても…………許してやれよ』 「ああ」  そうして黒葛川は通話を切った。  スマホを見ると通知が来ていた。  相手は件の()からだった。  開いてみると、画像とメッセージが。  画像はラブホをバックに渚と肩を組む髭の男。 『はぁ~い、彼氏クン見てる~? 今から彼女サンと、このキラキラした娯楽施設に入りまぁす!』  僕はスマホの画面に指を滑らせた。 『高校生をラブホに連れ込むのは犯罪なので通報しますね』 『彼氏クンは冗談が通じないなあ』 『あっ……と手が滑った。通報しちゃった』 『またまたぁ、彼氏クンたらぁ』  二十分後、スマホに着信があり――。 「ちょっとぉ!? 汐莉さんから電話かかってきてめっちゃ怒られたんだけどぉ!?」 「通報するって言ったじゃないですか。劇団に送らなかっただけ温情だと思ってください」 「あー、そっちは無理無理。日常過ぎて誰も相手にしてくれないから」 「ロクでもない劇団だなおい!」  そういうわけで、渚は今日一日、満華さんを買い物に付き合わせていたらしい。  満華さんはカレー大好き。おまけに車を買ったばかりで春休みは渚と一緒に何度か乗せてもらった。少し離れたところまで出るなら車で出かけたことだろう。黒葛川には悪いが、ああいう面倒くさい知り合いが居ると言うのは伏せておいてもいい情報だと思った。
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