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しばらくすると彼は一躍、この会社で王子と言われるぐらいになっていた。
なんせ、あの光信堂の営業というだけはある。
いつも彼は明るい声で、誰にでも挨拶をしてくれる。年下相手であろうと横柄さがなく、明るく爽やかに。
話せば嫌みのない丁寧な言葉遣いに、上手く人を立てる言い回しや立ち回り方。それはうちの社員から信頼を得られるには十分で。それに出張に行ってきた時は、必ずお土産を携えて来てくれた。何と私達裏方の人間にも、全員分だ。
そんな裏方の人間にまでお土産を買ってきてくれる取引先の人なんて、私は入社して以来彼にしか会ったことがない。長年勤めている先輩に聞いても、やはりこういうことをしてくれるのは彼だけらしい。
『本当に非の打ち所のない王子』
それが女子の間で飛び交う、彼に対する評価だった。
彼が会社に現れた日には、女子の皆は頬を染めながら彼の様子について話す。髪の毛が短くなっていたとか、珍しくメガネ姿だったとか、今日は何だか眠そうだったとかとか……。
みんながそんな話をしているのはまるでアイドルさながらで、当然私もその中の数多く居た一人だった。
『近付きたい』と思わない、と言うことはなかったけれど……でもどちらかと言うと別世界の人間で、あくまで目の保養。
それが彼に対する、みんなの共通の認識だった。
そんな彼との接点は、本当に些細な事。
彼を見かけるようになってから、半年程が経過した頃だ。
その日私は、外出帰りに休憩室でコーヒーを飲んでいた。
本当に休憩する間もなく、警察と役所の数ヵ所をハシゴ。気付けば二時間ほど歩きっぱなしの状態で帰社したのだ。
さすがにかなり疲れていたので、一服入れてから仕事に戻ろうと座っていた時だった。
「あれ、寺坂さん……?」
ふと名前を呼ばれ、振り向くと彼が居た。
初めて声をかけられて、彼は私の名前までも認識していたのか!と少し驚いた。
「あ、お疲れ様です……」
私は軽く会釈を彼に返す。
そしてこのまま彼は通り過ぎていくのかと思えば──彼は私に近付いてきたのだ。
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