四章

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 私は大声で叫んでいた。あたりが一瞬静まった。私は人生で初めて、カウガールという言葉を口にしたのかもしれない。男のカウボーイに対して、女のカウガール。カウボーイと違って、イラストなどでも目にする機会はほとんどない。 「フェチズムって、男女関わらず誰しもあると思うの。腕だけでも二の腕が好きとか、血管の浮いた腕が好きとかあると思うんだけど。その中で、特に男性は相手にコスプレしてほしい欲求もあると思うのよ。ベタなものだったら看護士の白衣とか、警官の制服とかね。つまり彼にとってのそれが、カウガールだったの」  私は世の中に多くのコスプレがあり、人間の個性の数だけその需要もあると思っていた。でもカウガールのコスプレが好きだなんて、聞いたことがなかった。 「彼からいきなりそれを言われたの。ラブホテルで。で、彼リュックから出したのよ。カウガールのコスプレを。私、思わずそれで引いちゃって。今だったら、まだ理解できるかもしれないけど、当時はまだ成人していなかったからね。一気にそれで恋が冷めちゃったの。で、彼はそんな私の気も知らず何度も何度も、これを着てみてくれと言うものだから、私ついに別れを言い渡すときに言っちゃったの。『そんなにカウガールのコスプレをしてほしいんだったら、まずは自分がそれに見合う男になりなさいよ!』って。今思えば、彼女に振られるし、そんなこと言われるしで、彼は少し病んでしまったのかもしれない。それから数ヶ月経った頃、彼と同じ大学に行ってる友達から彼の写真が送られてきたの。そこにはカウボーイになってキャンパスを練り歩く彼の姿があった。彼、私の言葉を真摯に受け止めて、実行してたのよ。なんかそれを見て、いたたまれない気持ちになっちゃったの、私。彼がこうなってしまった責任は、自分にあるんじゃないかって。でも、実際は何の行動に移すこともできなかった。私は逃げたのよ、彼から。それから何年後かに合コンに行ったら、彼が来ていて、しかも普通の服装をしているから余計にびっくりしちゃった。彼も私に気づいてないはずはないのに、何も私には話しかけてこなかったから、私もこのまま黙っていたほうがいいと思ったの。彼の新しい恋が始まるんだったら、応援しようと思った。彼の新しい彼女がカウガールの格好をするのに抵抗がないのであれば、それで良いとも思った。でも心の中では、彼に好意を持ってる人がいたら、いっほうがいいとずっと思っていたの。そして、遅くなってごめんだけど、やっとその機会がきた」  ミーシャは真顔でこちらを見た。珍しく、憂いを帯びた表情だった。私は色々な謎が一気に解けていくような、ある種の快感すら感じていた。ほつれていた紐がほどけていくような。  だから、彼はカウボーイの格好をしていたのか。  信じたくはないけど、ミーシャに未練が残っているのかもしれない。もしくは、ミーシャの最後の言葉を真摯に受け止めて、彼女にカウガールになってもらうためには、まずは自分からという発想からなのかもしれない。 「実際どうなの? 彼、今もカウボーイの格好してるの?」 「うん、してる。二回目のデートからカウボーイだった。ミーシャは味わったことないと思うんだけど、隣で歩いてると周囲の視線が凄いのよ。今日なんて、一緒に遊園地でメリーゴーランドに乗って、その後競馬場にも行ったんだから」 「メリーゴーランドに競馬場。なんか、両方馬がいるわね」 「そうよ! でもそれも謎が解けたわ。それもきっと、私にカウガールの格好をさせるためだったのね。栗毛や鹿毛の馬と触れ合うことで、徐々に私にカウガールマインドを埋め込もうとしてたんだと思う。信じられないような話だけど。食事も美味しそうにいつもホットドッグとかコーラみたいなテキサス感が強いものを食べていたけど、あれも私をカウガールに染めるためだったのね。さっきのミーシャの話を聞いたら、納得はする。もしかしたら、壮汰はある種病んでいるのかもね」 「どう? 彼に幻滅した? 別れたい?」  ミーシャの率直な質問に、私の脳は一瞬停止した。  私はどうなのだろう。  自然と、今回のことで出会った三人の男を思い浮かべた。  マサシ。彼には自分の好きなものを固定概念に惑わされるな、ということを教わった気がする。変なやつだったけど。でも彼のおかげで、私は今後も新しい味覚を知っていく気がする。  角山康晃。彼は私に危機感を与えてくれた。行動せずに逃げていると、本来の自分の輝きを失ってしまうのではないかということだ。その危機感のおかげで、私は今回色々と行動に移せた。  そういう意味では川端大斗には、個性や、自分の素直な気持ちを出すことの尊さを教わった気がする。彼に習って、私は今こそ素直な自分の気持ちを言えばいいのだ。 「私は、そんな壮汰も好き」  私の気持ちを聞いたミーシャは、まるで自分が言った言葉かのように、はにかんでいた。その表情は同性から見ても可愛く、私は口に出してそれを伝えた。 「ねぇ、もし葵からその言葉が聞けたら渡そうと思ってものがあるんだけど、いい?」  ミーシャはまたリュックをごそごそと漁り、中から衣装の数々を取り出した。  それはカウガールの服装だった。 「私もらったんだけど、着れなかったから。だから、これは葵に託すよ」  私はそれを快く受け取った。なんだか、部活の先輩後輩の伝承行事のように感じた。  家に帰ると、私はあらためてミーシャから受け継いだカウガールの衣装を出し、身に纏った。見たことのない自分がそこにはいた。  私はこれを着て、街に出ることができるのだろうか。  でもこれを着て、彼の隣を歩いて初めて、彼と心から結ばれる気がした。  周りからどう思われようと構わないではないか。迷惑さえかけなければ、周りの評価は関係ない。評価軸は自分たちにある。  私はその思いのまま、壮汰に今度は牧場に遊びに行こうと誘った。自分から目的地の希望を出すのは初めてだったかもしれない。  私は壮汰のどこが好きなのだろう。  未だにその答えは明確に出ていないが、これを着て一緒に歩きたいと思えるほど好きなのだ。それがわかっただけでも、よかったではないか。
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