四章

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 イタリアンで料理の修行をしてきた店主が、なぜか日本に帰国して地元で和食居酒屋をオープンしたのが葉奈美だった。  店主曰く、その名前は娘の「葉奈」と妻の「奈美」からきているらしい。商売っ気はあまりないが、当時学生の私達にもフランクに話しかけてくれた店主が、当時は貴重な喋れる大人だった。  私たちの同世代ではないが、お父さんというには若く、近所のお兄ちゃんといった雰囲気が、男兄弟のいない私にとっては新鮮だった。  イタリアで修行してきたのに、店には一切その名残がなく、「あの修行は失敗だった」と過去を自虐ネタにするところも好感だった。  今夜私は、社会人になって初めて葉奈美に来た。中は変わっていなかった。私は日本酒が飲めないが、日本酒の瓶がズラーと揃っている、この店の雰囲気も好きだった。 「久しぶり」と照れくさそうに言う店主に、二階席を案内される。もうミーシャは来てるようだった。  二階に上がると、隣との間隔がほぼない二人席にミーシャは座っていた。その姿は男性比率の高い周りから見ると浮いていたが、羨ましい浮き方だった。周りの席にいる男は皆、ミーシャのことが気になっているように見えた。  私は、その男たちに「なんだ、友達は普通なのか」とガッカリされているような気がして、少し嫌だった。 「お待たせ。ミーシャ、早かったのね」 「うん、もうすっぴんでもいいかなって」  すっぴんでこの綺麗さなんだから、私は自分が嫌になる。それにミーシャはそんな皮肉で言ってるわけではないのに、勝手に卑屈に受け取る自分もまた嫌になる。  ミーシャはまだ何も注文していないようだったので、私は急いでメニュー表を見て、マンゴーサワーを頼んだ。 「珍しいね、マンゴーサワー? いつも生か梅酒だったのに」  そういうミーシャは、いつも頼むざくろサワーを頼んでいた。ざくろサワーがない店では、アセロラサワーを頼む。それもなければ彼女はいつも梅酒を頼んでいた。 「なんかね、意外とおいしいのよ。マンゴーって。私これまではマンゴーどころか、マンゴー味もほとんど食べたことなかったんだけど」  私の話を、ミーシャは少し興味なさげに聞いていた。 「じゃあ早速本題にいこっか。きっと葵が考えてる通りだけど、私と壮汰は付き合ってたよ。高校時代の話だけどね」 「やっぱりそうだったんだ」  いきなりミーシャが明かした事実。たしかに予想していたとはいえ、それでも少しショックだった。でもなぜか、そのことを隠していたミーシャを責める気にもならなかった。  ミーシャは、いつものより少し大きいカバンから卒業アルバムを取り出した。泉野北高校のものだった。  三年二組のページに、池之宮壮汰と宇田川ミーシャは隣同士で写っていた。こうして見ると、男女関わらず出席番号が近い人同士は惹かれ合いやすいのかもしれない。  私は馬渡くんとも三島さんとも、特別仲良くはなかったが。  高校生の壮汰の姿は、また新鮮なものだった。私は今の壮汰の姿と、小学校の卒業アルバムの彼の姿しか知らなかった。ようやく、空いたパズルのピースが埋まった気がした。 「彼とは三年のときに初めて同じクラスになってね、席が近かったこともあってすぐに仲良くなったの。で、席替えしても、また近くにいる人っているじゃない? まさに彼がそうだったの。だから席が替わって、また振り出しとかではなくて、ずっと仲良い状態が保存され続けたの。一度、古典の授業で少テストした時だったかな。隣の席の子と答案を交換して丸つけしあったのよ。ほら、よく中学とかでもあったでしょ。そのときに彼の採点をしたんだけど、彼が満点だったから点数の横に『ブラボー!』って書いてあげたの、筆記体で。そしたら彼凄い喜んでくれたの。後で聞いたんだけど、それから私のことを異性として意識するようになったんだって。変よね、男子って。実際それから一気に距離が縮まって、いつのまにか付き合ってた。三年の終わりごろに付き合いだしたから、クラスの皆に隠れて付き合うっていう楽しいイベントを体験できたのは、少しの間だけだったけどね。で、私こう見えても真面目だってことは葵も知ってると思うけど、高校のときはキスまでしかしなかったの。彼もそんなに迫ってくるタイプでもなかったしね。で、気づけばお互い大学生。別々の生活をするようになって、そこでお互い初めて相手への執着心が出たのかもね。身体の関係を持つようになったの。ごめんね、こんな話して。大丈夫?」  私は深く頷いた。あまり聞きたくない話ではあるが、彼を理解するためには避けて通れない話なのだろう。私はミーシャに任せることにした。  そして、二人が大学時代も付き合っていたということで、一つ謎が解けたこともあった。  マサシのことだ。彼は壮汰と同じ大学ということもあり、ミーシャとの関係を知っていたに違いない。  だからマサシは先日私と会ったとき、ミーシャのことをやけに訊いてきたのだ。きっと、友達の元彼女を知りたいという欲求で。 「それで、お互い別の大学に通いながらも関係は続いていたある日、彼が奇妙なことを訊いてきたの」 「奇妙なこと?」  このタイミングで、バイトの女の子がドリンクを持ってきてくれたので、小声で乾杯をした。マンゴーサワーに口をつける。ほんのり甘くて美味しい。 「そう。ある日彼が真顔でこう言ったの。『カウガールの格好してみないか?』って」 「カウガール!」
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