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知恵
前を走るジェシカという名のオオカミはさすがボスの娘だけあってすごい身体能力だった。軽々と高いところにジャンプし、走るのも超速かった。ぼくもついていくのがやっとだったが、何とかついていける。怒られないよう愛想よくしなくっちゃな。
ぼくらは森の奥深く、獲物を求めて分け入っていく。オオカミの狩りは通常小グループ、そのほとんどがペアと呼ばれる単位で、ふつうは夫婦がそれをするという。
「おい」
「なんですか?」
「あたいはしょうがなくチームを組んだんだ。ボスに言われてね。つまりそいつがペアだからってあんたとあたいはなんの関係もないんだからね!きやすく近づいて来たり馴れなれしくすんなよ!」
「はい」
「それにしたって足手まといなんだからね!邪魔になったら殺すからな」
「はいはい」
「はいは一回!あたいをなめてんのか?」
「ノーサー!」
「じゃあぶっ殺されないうちにそいつを証明しな!」
「イエスマム!」
軍隊か!ぼくは軍用犬になったのか!てかなにこのオオカミのおねえちゃん。メチャメチャ怖いんですけど。愛想よくなんてしたらきっと殺される。
それでもジェシカはいろいろぼくに教えてくれる。オオカミの狩りの基本。それは連携だ。個々の役割を認識し、忠実、そして着実にそれをこなす。ときに失敗することもある。それを共有し、意識し、さらに連携を深めていくのが優秀なチームというわけだ。
「群れと言ってもムース(ヘラジカ)やビッグホーン(オオツノヒツジ)みたいに集まってなきゃ生きていけないやつらとあたいたちは違うの。あいつらは常に恐れている。何にって?そりゃ決まってるわ。あたいたちにね」
そう言ってウフフと笑った。いやほんと、オオカミを誇りに思っているんだね、この娘。
「でさあ、あんたなにができんの?」
「へ?」
「だからさあ、狩りよ。一撃でオスのムースを仕留められる牙の力とか、どこまででも追っていける足の力とかあるんでしょ?」
「さあ…そういうのはないと思います」
「はあ?あんたここになにしに来てんの?」
何しに来てるって言われても、困りますけど。遭難したんですから、ぼくは。
「と、とにかくぼくは生きていかなければならないんです。そうぼくの頭のどこかでぼくになにかが叫んでいるんです。そのなにかはわかりませんが、きっとそれはぼくの本能なんだと思います」
「ふうん、あんたインテリなんだね。こ難しいことはあたいにはわかんないけど、ボスも言ってるよ。本能に従え、生きることを最優先に、とね。あたいはよくわかんないけど」
ふうん、やっぱあのボスはすごいやつなんだな。生きることは生命全体の本能なんだ。飛行機事故、そして山林での生活。みんなそうだった。生きることが一番だいじで、それ以外なかったよな。
「とにかくお昼にしましょう。腹が減った。リスでも狩るかなあ」
リスは樹の上で生活します。地上でウロウロするのは師匠のマーモットだけです。それにしたってこの真昼間、狩るなんてたぶん不可能です。
ジェシカの獲物を見つける能力はすごいと思った。たとえどんなところに隠れている獲物も、ちゃんと見つけ出すことができるんだ。まあ、そいつを狩れるかは別問題なんだけれど。
「ちっ、また逃げちゃった」
ハイイロリスを逃したジェシカは悔しそうに鼻を鳴らした。
「やつらすばしっこいですからね。木の上に昇られたんじゃどうしようもないですよ。それにさっきのカナダグースも、狙いは悪くなかったですが、やつらは飛べるんです。姿見られた時点でおしまいですね」
「てめえ、なに気取ってんだよ!なにもできねえくせに威張ってんじゃねえ!」
「威張ってなんかいませんよ」
「じゃあ何か獲って来いよ」
「はあ、まあそれじゃ」
ぼくは川のそばを少し探して、なかなかいいものを見つけた。
「ジェシカさん、川下に行っててくれませんか?さっきのビーバーの巣まで」
「なんで?」
「ごちそうをね、用意するんで」
「はあ?こんなしけたところでかよ?なんもねえぞ」
「いいから。お願いします」
「てめえ、ウソこいたらただじゃおかねえからな。いくら親父、じゃなかったボスに目をかけられてるからって、いい加減なことしたらただじゃおかねえからな!」
そう言ってジェシカは川下に向かって走っていく。あれ?ぼくってボスに目をかけられているのか?いやいまはどうでもいい。とにかくお昼ごはんだ。
ぼくは川のそばの倒木にそっと近づいた。ちょうどいい具合に手ごろな大きさに朽ちている。そいつを後ろ脚で蹴飛ばす。うまく川に落ちたようだ。ぼくは急いで茂みに身を隠した。思ったとおり怒ったスズメバチの大群がそこらじゅうに飛んで、ぼくを探している。だが蜂は茂みの中には飛んで入って来れない。葉っぱが邪魔して飛べないのだ。葉にとまって近づいてくるやつだけ頭を噛み砕いてやる。こいつはオードブルだね。
巣を失ったスズメバチたちは超怒ってブンブン唸りながら飛んでいる。だがもう遅い。巣は流されて行った。あとはブンブン飛んでいるだけ。ちょっとかわいそうだと思ったけど、ぼくも生きていかなきゃなんないんだし、巣はまた作ればいいだけだ。まあ女王蜂が水死してたら無理っぽいけど。
ぼくはそっと茂みを伝って川下に走って行った。あの倒木はうまい具合に流されてビーバーの巣に引っかかっていた。あのビーバーの巣はここに来るまでに見つけたやつ。ジェシカがビーバーを狩ろうと必死になっていたが、巣に入られたビーバーなんて捕まえられない。
「なにやってたんだよ!昼飯はどうしたのよ」
手ぶら、というか獲物を何もくわえていないぼくを見てジェシカは唸った。ご立腹のご様子。
「お昼ご飯はあそこです。取ってきますね」
「は?」
かまわずぼくは川に入り、ビーバーの巣に引っかかってる倒木をくわえ引っ張った。岸に近づくと、なにか察したジェシカも手伝ってくれて、一緒に引っ張り上げることができた。
「で、なにこれ?あたいはシロアリじゃないんだから腐った木は食えないからね」
「シロアリって…まあ似たようなもんですが、今日はこれです」
ぼくは丁寧に倒木を噛み砕いた。なかから不思議な形をしたものが出てくる。
「こ、これって…」
「うん、蜂の巣。おいしいよ」
それからふたりでその蜂の巣を貪り食べた。幼虫のプチプチした食感がたまらなく、そうしてなによりも、あまーいはちみつがすっごくおいしかった。ジェシカなんてもう唸りながらそれこそ狂ったように巣にかじりついていた。かなり大きな蜂の巣だったんで、ぼくらはお腹いっぱいになることができた。
「ま、まあ今回はお手柄だけど、あんまり調子に乗んないでね。こんなのはたまたまの偶然なんだからね。まあ、それでも、あんたはまあいい線いってると思う。あ、あたいのことはジェシカって呼んでいいよ」
顔についたはちみつをなめながらジェシカはそう言った。なにこのツンデレさん。素直においしかったっていえばいいのに。まあちょっとはぼくのこと認めてくれたみたいなので、それで良しとしよう。しかしうまくいったなあ。師匠と別れたあのとき、たくさんのスズメバチに襲われたことを逆手に取ったんだけどね。うっしっしっし。ああ、これもあの師匠のおかげだね。こんな知恵を授けてくれた師匠と、そして森の女王…いまごろどうしているんだろうなあ。
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