対決

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対決

延々と森がつづく。ぼくはウイットナプを探して深い森の奥に入って行った。グリズリーの縄張りを示す古い跡とかあったけど、そんなのは当てにならない。 ――あいつは狡猾で凶暴で、そして意地汚い。テリトリーを逆手にとって獲物を誘い込むような真似を平気でするからな。 リグドは群れから離れる前にぼくにそう言った。この森の最強生物だって頭を使う。それに勝つためには、ぼくはあいつ以上に頭を使わなけりゃダメだ。 いまぼくが有利なのは、あいつを狙っているやつがいるってことが知られていないことだ。油断しているってことじゃないけど、警戒はされていないはずだ。おそらくあいつが恐れているもの、そいつは人間だけだ。 人間は気の毒なくらい嗅覚と聴覚が弱い。それに視覚だって鷹や鷲ほどじゃない。それならなんでグリズリーやオオカミを狩れる?答えは簡単だ。人間には知恵がある。馬よりも早く地上を走ったり、空だって飛べる。遠く離れた獲物を倒すこともできる。知恵こそ弱さを克服できるのだ。 「とはいうものの、どうしていいのか…」 ぼくはウイットナプを見つける知恵もなかった。ただ歩き回るしか仕方なかった。いくつかのクマの巣穴があったが、どれもいまは使われていなかった。きっとあいつは巣穴にはこもらず、そこらを歩き回っているに違いない。 数日たった夜、匂いがした。血の匂いだ。それに混じって獣の匂いもした。やつだ。近くにいる。やつが獲物を狩って、それを食っているんだ。 ぼくははやる心を押さえ、その匂いの方にそっと進んで行った。いた。やつだ。獲物はどうやらシカの子どもだ。夢中になって喰らいついているようだ。いまならやつの首筋を狙って頸動脈をかみ切れば仕留められそうだ。 落ち着け、ぼく。音を立てるな。そっと近づくんだ。こっちは風下だし、あの血の匂いだ。ぼくなんかには気づかないさ。もう少し。あと少し…。 「死ねっ!」 あいつの首筋が見えた。もう届く!ぼくの牙があいつの首に! いきなり目の前が明るくなった。同時に肩にすごい痛みが走った。気がつくと、ぼくは地面に投げ出されていた。失敗した。やつはとうにぼくのことがわかっていたんだ。ぼくが襲いかかるとわかってて、わざと隙を見せていたんだ。そうしてぼくがとびかかった瞬間、カウンターをくらわせてきたんだ。 ぼくの肩からすごく血が噴き出している。もう前足に力が入らない。ああ、おしまいだ。ぼくはこいつに食われちまうんだ。もう、ロバートにも…ジェシカにも会えないんだ…。ああ、なんてバカなんだ。もっと知恵を働かせればよかったよ。もう遅いけど。 「なにやってんの!はやく立て!」 え?誰? 「ほらウスノロ!ぼやぼやすんな!」 すぐそばにジェシカがいた。ハイイロオオカミがグリズリーに立ち向かっている。どうして? 「ジェシカ?」 「いいから立ちなさい!逃げるのよ」 「でも」 もう走れないよ。こんなケガをしているんだ。痛くて走れない。 「あんた死にたいの?こんなとこで!ロバートに会いたいんじゃないの?」 「でも…」 「いいから逃げるわよ!痛くて死にそうなら、走って死になさい!じゃないとあたいまで死ぬわ!」 なんだかわからない理屈だけど、ここでジェシカを死なせてはダメだ。そうだ、どうせ死ぬなら走って死んでやる! ぼくら二頭は必死で逃げた。だがグリズリーは追って来る。すごいスピードだ。追いつかれる。そう思った矢先、数頭のオオカミたちがグリズリーに襲いかかった。ボスたちだ。 「ボス!」 「いいから走れ!ここから下りだ。熊は下り坂では速く走れん。転がっていくつもりで駆け下りろ!」 グリズリーに牙をたてながらボスはそう言った。だがグリズリーは平気な様子で走っている。狙いをきっとぼくだけに定めているんだ。ボスたちはグリズリーに振り切られるように散らばり落ちていく。みんなケガしてなきゃいいけど。 「リック!この先はダメ!谷があるわ」 ジェシカが走りながら振り向いてそう言った。ああわかってるさ。それが狙いなんだ。これがぼくの知恵でもあるし、命を代償にした賭けでもあるんだから。 「いいからこのまま走る。きみは横に逃げるんだ!」 「バカ!あんたなにする気?」 「ぼくを信じて!」 「リック!」 ウイットナプはもうすぐそばまで迫って来た。やつの荒い息づかいが聞こえてくる。ああ、やつの勝ち誇ったような感情がもろにぼくに流れ込んでくる。ぼくの心のなかは、なんだか真っ白になって行った…。
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