追想1-⑴

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追想1-⑴

                序章    なだらかな緑の斜面に立ち八端十字架と呼ばれる形の墓標ごしに湾内を見つめると、穏やかな水面を挟んで遠く駒ヶ岳の姿がおぼろげに見えた。  ここ露西亜人墓地は今からさかのぼること三十余年、匣館の港を視察中に亡くなったペリー艦隊の水兵を弔うための墓地であるという。  墓地にたたずみ海に目をやった飛田流介は、その美しさにしばしぼおっとなった。  凪いだ湾内をゆっくりと行き交う漁船や貨物船を眺めているうち、流介は丘を下りようという気持ちが薄れてゆく自分に気づいた。ここで生涯を終えた外国人をしのびながらこんな風に日がな海を眺める暮らしもいい。  ――この美しい眺めが、あの奇妙な男に浮世離れした霊感を与えているのだろうか。  流介はこの街で最も優れた頭脳と、もっとも奇妙な性格を併せ持つ人物のことを思い浮かべた。  ――いやしかし同じ景色を眺めたところで、俺の如き凡夫にはあの男の千分の一のひらめきすら望めまい。  新たな奇譚の手がかりを求めて少しばかり高い場所に足をのばした流介だったが、心が晴れやかになってゆくのとは裏腹に、巷をあっと言わせるような霊感は得られぬままだった。  ――やれやれ仕方ない。いつものように碧血碑か実業時にでも言ってお茶を濁すとしよう。  流介はため息をひとつ漏らすと、歩いている最中にひらめきが訪れることに一縷の望みを託し魚見坂を下り始めた。
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