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追想1-⒅
「あれっ、牧場の方に行くんじゃないのか」
外国人と牛乳屋が示し合わせて国彦を閉じ込めているのだとばかり思っていた流介は、牧場に入らず北の方へ向かってゆく二人を見て思わず声を上げた。
「となると、彼らの拠点はここだけではないということになりますね。これは面白そうだ」
流介はどこか愉快そうな天馬に「呑気だな、君は」と呆れつつ、二人の後を追い始めた。
二人の外国人は背後にいる流介たちを怪しむ素振りもないまま、山裾に沿って宝来町を抜け、末広町の方に歩いていった。
「天馬君、こんななりで怪しまれないかな」
流介はできるだけ先をゆく二人組の背を見ないよう気をつけつつ、天馬に尋ねた。
「飛田さん、僕らは道を歩きながら商談をしている商人です。頭の中まで商人になってください。彼らとはたまたま同じ道を歩いているだけなのです」
天馬は手にした外国製の鞄をこれ見よがしに掲げると、自信に満ちた顔で言った。
「商談ねえ……」
流介はつけ髭を撫でながらため息を漏らした。天馬によると、身分が一目でわかるようないでたちの方が怪しまれないのだそうだ。
「まあ、一度も振り返らないところを見ると、このやり方は案外正しいのかもしれないな」
「目的を成し遂げるのに必要なことは、大胆さと慎重さです飛田さん」
天馬は二人が見てないのをいいことに、身振りを交えながら大きな声で言った。
「あっ、二手に分かれたぞ。天馬君、どうする?」
二人組が坂の上と下に分かれたのは、二十軒坂を過ぎたあたりだった。
「似顔絵の方を追いましょう」
天馬は即座にそう返すと、坂の上へと目線を向けた。
「この先は確か……」
似顔絵の男の足取りを追ってゆくと、ほどなく見覚えのある建物――ハリストス正教会が目に飛び込んできた。
「教会に行くのかな」
「かもしれませんね」
流介は思わず歯ぎしりをした。日本人の商人が特に用もないのに教会に入っていったら目立つに違いない。こうなると手詰まりだ。
「参ったな、中に入られたらそれ以上、追いかけられなくなる」
「そうなったらいったん、引き上げましょう」
流介たちが追跡の終了を覚悟しながら歩いていると、外国人は教会の方には向かわずさらに少し上の角にある別の建物の前で足を止めた。
「止まったぞ」
「しっ」
外国人が石造りの倉庫のような建物の前で戸を叩く仕草を見せると、しばらくして中から女性らしき人影が通りを窺うように顔を出した。
「――あっ」
流介は人影を見た瞬間、思わず驚きの声を上げていた。戸口から覗いた顔は先日、刹那が見せてくれた似顔絵――「見知らぬ女」のそれだったのだ。
「飛田さん、今日はここで引きあげましょう。拠点らしき場所がわかっただけで充分です」
流介は袖を引きながら珍しく強い口調で言う天馬に、「あ、ああ」と短く応じた。外国人が建物の中に消えると、天馬はいったん足を止めて通りの左右を見回し始めた。
「どうしたんだい天馬君」
「建物について知っている人を探しているのです……あっ」
天馬は坂の下からやってきた小柄な婦人に目を向けると、いつもの口調で「あのう、少々物をうかがってもよろしいでしょうか」と声をかけた。
「はい、なんでしょう」
「あそこの石造りの建物、何かのお店か倉庫ではないかと思うのですがご存じありませんか」
「ああ、あそこは小麦の倉庫ですよ。よく外国の方が出入りされてます」
あっさりと答えを口にした婦人に天馬は「そうだったんですか、いや、これですっきりしました。ありがとうございます」と満面の笑みで礼を述べた。
婦人の姿が角の向こうに消えると、天馬は流介に「さあ、これで知りたいことは出そろいました。『匣の館』に戻りましょう」と言った。
「何の倉庫かを確かめることが、そんなに大事なのかい」
「もちろん、大事です。……あっ、ちょうどこの下が『五灯軒』ですね。帰りに寄って国彦さんに関する手がかりを集めて行きましょう」
天馬は呑気な口調で言うと、西日が照らす坂道をゆっくりと降り始めた。
――拠点がどうとか言うより、真に驚くべきはあの『見知らぬ女』の本物に出会ったことなんじゃないのかい天馬君。
流介は天馬の背中を眺めながら、ぼやきとも問いかけともつかぬ息を漏らした。
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