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追想2ー⑵
物置の奥にある戸をそっと開けると、木箱やら農機具やらが無造作に積まれた空間が目の前に現れた。
「うん、見張りはいないようだ。奥に入ってみましょう」
流介は頷いた。さすがの天馬もここからは慎重にならざるを得ないようだ。当然だろう。誰かに見とがめられでもしたら、お縄になるのは自分たちの方なのだから。
「単純な間取りですね。部屋数も多くなさそうです。やはり倉庫を改装したんですね」
「建物の説明はいいよ天馬君。時間もないし、とにかく上に上がってみよう」
「そうですね。香田さん一人だと都合が良いのですが」
流介たちが軋む階段を上がってゆくと、上の方で床が鳴る音が聞こえた。
「僕らの気配に反応したようですね。驚かせないよう、気をつけましょう」
先を行く天馬はそっと二階に顔を出すと、振り返って流介に「いました。机に向かってます」と小声で囁いた。
「とりあえず、怖い人間じゃないってことだけは伝えた方がいいな」
「そうですね。でも驚かせてしまうのは避けられませんよ。なにしろ香田さんは我々に会ったことが無いのですから」
流介と伝馬は目で互いの意を確かめると、相ついで二階へ足を踏みいれた。
「……わっ、何だ?いつもの見張りではないようだが」
床の軋み音が耳に入ったのか、振り返った国彦は流介たちを見て驚きの声を上げた。
「香田国彦さんですね?我々は決して怪しい者ではありません」
天馬がいつもの呑気な調子を消して落ちついた声で言うと、国彦はいからせていた肩を下げ探るように二人を見た。
「露西亜人じゃない……さては「えぞぱぶり」の者か?」
「……なんですって?「えぞぱぶり」?」
天馬が聞き返すと国彦はなぜかしまったという顔になり、「何でもない」と口をつぐんだ。
「それにしても似顔絵の通りですね。時計は完成しそうですか?」
「……なぜ時計のことを?」
「ファベルジェの卵に取りつける時計を作ってらっしゃるのでしょう?早智さんや『五灯軒』のご主人が心配されていますよ。作業が一段落したら一度、牧場の外にお戻りになられた方がよろしいのでは?」
「なぜ早智さんの名を? ……それにどうして私が『五灯軒』で働いていることを知っているのです?」
「我々が早智さんの知り合いだからです。あなたが「卵」を探しに行ったきり戻ってこないので大層、心を痛めておられましたよ」
天馬が言うと国彦はがくりと項垂れ、「こいつを完成させるまではと思っていましたが……みんなに迷惑をかけてしまったわけだ」と言った。
「技術を持つ方が腕試しをしたくなるのは当然です。ただあなたの場合時計作りの腕だけでなく、パン作りの腕を待ち詫びている人がいることも忘れないでください」
「ああそうだ、パンも焼かなければならない。目を覚まさせてくれてありがとう。ええと……」
「私は水守天馬。こちらは飛田流介さんです。私は港で伝馬船の船頭をしています。そして飛田さんは『匣館新聞』の記者さんです」
「……新聞記者?」
新聞記者と言う言葉を耳にした途端、国彦の目がすっと訝しむように細められた。なにかあるな、と流介は思った。
「……とにかくこいつが完成した後で、ここを紹介してくれた露西亜人と相談してみます」
「なぜ露西亜人が?皇帝への献上品でも作っておられるのですか?」
「それはあなた方には関係のないことです」
国彦は目を閉じ頭を振ると「さあ、もし無断で入ってきたのなら見つからないうちにお戻りください。彼らは容赦のない人たちですから」と言った。
「容赦のない人たち?」
流介が聞き返した途端、下の方で扉の鍵を鳴らす音が聞こえた。
「これはいけない。退散しましょう」
天馬はそう言うと「またいずれお会いしましょう」と国彦に告げ身を翻した。
「まずいぞ天馬君。どうやら鍵が開いたみたいだ」
流介が叫ぶと天馬が「建物の外に出たら、振り返らず一気に駆けて下さい」と言った。
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