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終章
◇
都内にある低層ビル。
少し年季の入った建物の一階で、その個展は開催されていた。
透明の両扉を開けると、部屋の隅で彼女が二人の女性と会話しているのが見えた。美大の友人か、はたまた何処かしらの企業からのオファーか。答えを出すより先に、その人達は軽く手を振って別の絵のもとへと歩いて行った。
「先輩」と声をかけると、一人絵の前に残ったその人は笑顔のままこちらに振り返ってくる。が、僕の顔を見た途端に驚いたように目を見開いた。まあ、無理もないだろう。あれから三年も経っていれば、容姿も大きく変わってくる。
先輩が今何処で何してるのか、情報を得るのにだいぶ苦労したんですからね。
「お久しぶりですね。ああ、そうそう。個展開催、おめでとうございます」
「あ、ありがとう……えっと、結構垢抜けたんだ、ね」
指摘されて、ああ、と耳に触れる。銀色のイヤリング。ネックレス。ワックスとヘアアイロンでセットした黒髪。確かにいずれも高校時代の僕とはあまりにも無縁なものばかりだ。
「今日先輩と久々に会えると思って、少し張り切っちゃったんです。高校の時、急に音信不通になっちゃいましたし」
「それは、ごめん。ちょっと色々バタバタしちゃってて……にしても、すっごくかっこよかったよね! 思わず惚れ直しそうになった、みたいな?」
動揺しつつも、昔の調子を取り戻したように先輩は笑った。
惚れ直した──またまたご冗談を。あの時、一度たりとも僕に振り向いてくれなかったくせに。
まったく、先輩は相変わらずだな。
小さく笑って、僕はぐいと先輩の顔を覗き込む。芽生えかけていた余裕な態度が、彼女の顔から一瞬で消えたのが見て取れた。
「先輩も、前と比べて雰囲気変わりましたよね? 安定してるというか、心の底から今の生活を楽しんでるというか。良かった、安心しました。ちょっぴり嫉妬しちゃうけど」
平静を保とうとしているのか、先輩の赤い唇が微かに震えた。
「本当に変わったね、乾くん。もちろん良い意味で。もしかして、ピッタリなお相手さんでも見つかった感じ?」
「さあ、どうでしょう……ああ、そうだ。この後先輩って時間空いてます?」
一歩身を引きながら彼女にそう問いかける。思わず頬が緩みかけるのを必死で抑え込んだ。沸々と煮え滾る腹の中では、蛇の如く黒い執念と愛憎が鎌首をもたげている。駄目だ、まだ抑えろ、と胸中でほくそ笑み囁いた。
内なる獣に身を委ねる愉悦感が、じわじわと全身に染み渡る。
「せっかくですし、良ければゆっくりお話しませんか? 近くで良さそうなカフェ、見つけたんですよ」
恋情を燃やし好機を窺う。
かつて恐れた先輩や母と同様に、今の僕は一匹の醜い獣だ。
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