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 私が生まれた時に両親はすでに離婚していました。さすがに名前は知っているのですが、写真もなく私は父の顔を知らずに育ちました。当然と言えば当然ですが父に頭をなでられた記憶も、描いた絵や作文が上手だと褒められたこともないのです。  今はシングルマザーも少なくないし子供への配慮もありますが、当時は保育園で「お父さんの顔」をよく描かされました。私は毎回近くに住む祖父を描いたのですが、友達に「なんでおじいちゃんかくの?」と聞かれます。なんでと言われても、お父さんいないからと言う他ありません。「なんでいないの?」と聞かれ、いないものはいないと堂々巡りです。  祖父……と言っても祖母の再婚相手で大衆芸能をしていた人です。そこにも複雑な事情があるのですが、母を含め存命の親戚もいるので省かせてもらいます。それが諸々の発端かもしれないけれど何ぶん生まれる前のことなので…………。  私は人の出入りが多い祖父の家で、保育園の後は仕事から帰る母を待っていました。演芸家も何人か住んでいて楽器や舞台の道具などもある家でした。保育園はそう遠くない場所にあり、たいていは自宅で商売をしている祖父が迎えにくるのです。  ある日迎えにきた祖父に、友達とブランコをもう少ししたいと遊んで帰ったら家に鍵をかけられていたことがありました。泣いて謝って開けてもらったのですが、迎えに来たのに帰らせた自分も悪いかもしれないけど保育園児相手にそれはないよねとも思います。  後に祖父の葬式の折り、久々に会ったあちらの親戚には「お前は父によく面倒をみてもらった」と言われました。でもそれも私に手がかからなくなってからだと母は言います。赤ん坊の私を置いて母が仕事に行く時に替えたオムツは、昼休憩に戻るとぐっしょりで(紙オムツもあったのですがまだ高価でした)また夕方帰宅するまで誰にも替えてもらえなかった話は何度も何度も聞かされました。  祖父には色々なことを教えてもらったし、子供ですからおねだりして何おもちゃを買ってもらったことも我儘を言ったこともありました。可愛がってもらった記憶もあるし子供のころ面倒を見てもらったのも事実です。  ただ他人の中で暮らすのは幼いなりに気を遣うものです。大好きなアニメも自分から見たいと言い出せませんでした。残念ながら祖母も祖父に気を使うほどには私に関心を持ってはいなかったのです。
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