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暖かな雪の村
イリス王国東部。一年を通して温暖な気候で、広大な草原が広がるユータルム地方の外れにあるゴレス村に僕らは訪れた。
鬱蒼と茂るラーティアの森と、なだらかなラーナ丘陵を見下ろすユータルム山の麓にひっそりと佇むこの村では、暖かな雪とも呼ばれるゴレス綿が名産品としてよく知られている。
「へぇーすげぇ! 完全に綿じゃないッスか!」
「そりゃ完全な綿だからね…」
山を降り、馬に揺られながら、村へと続く道の左右に地平線の彼方まで続いているんじゃないかと言わんばかりに続く綿花畑を眺め、能天気な感想をこぼしたのは、僕の相棒であるマイラスだ。
褐色の肌に分厚い唇、そして整髪料を使わずして、ハサミでちゃちゃっと手入れするだけでコルクみたいな円筒状のトサカを作れるほどの強い癖毛。昨今ではマイラスのようなイフリキア人の傭兵も珍しくはない。
まぁ、パン屋の目の前で行き倒れているイフリキア人の大男を拾ったら、すっかり懐かれて、傭兵の登録や、ミッション受注や事後処理の流れなど、傭兵としての基本的な作業を手伝った後、恒久的なパーティを組んで…なんて経験は珍しいかもしれないけど。
「フィオさん、やっぱ畑仕事の手伝いなんて地味ッスよ。見てくださいよこの雄大な自然! この草原に駆り出さずに帰るだなんてガチでもったいなさすぎッス。だからもっとこう、血湧き肉躍るようなド派手なミッションやりましょう! 草原が俺らを呼んでるッス!」
「いまさらそんなことを言うなって。まぁいいじゃん? ここんとこずっと討伐ミッション続きだったし、たまにはのんびりした仕事もさ。それに僕は綿の摘み取りの手伝いという言葉を聞くだけでも十分血湧き肉躍ってるけどねぇ!」
「…花オタク」
「いやぁそれほどでもないって!」
「はいはい、褒めてねェッスよ」
そして僕はフィオーレ。友人や家族にはフィオと呼ばれている。王都の南部にあるソーロという小さな街の出身で、元傭兵である魔術師の母と、現役でフラワーデザイナーを営む父のもとに生まれた。
父の職業柄、草花に囲まれた家庭に生まれた甲斐もあってか、幼い頃からそれに対する愛着は人一倍強かった。
そんなわけで、カッセウ地方で毎年春終わりに行われているチューリップの刈り取り、フローリストギルドや宮廷庭師などが利用する生花卸市場での仕分け作業の手伝い、希少な植物の採取栽培など、草花に関するミッションは手当たり次第といった形で請け負っていた。
よって今回、綿の収穫時期である夏終わりから秋終わりにかけ、収穫補助のミッションが集会所に貼り出されるであろうことを予測してゴレス村へと赴いたということだ。
「止まりなさい。お前たちは何用で?」
そうこうしているうちに、やがて村の門へと辿り着き、僕らが門を通ろうとすると、すかさず槍を持った衛兵が立ち塞がった。傭兵の集会所があるところでは、どんなへんぴで小さな村だろうと(ゴレス村のことを言っているわけじゃないからね)、こうやって王国の兵士が駐在している。ミッションによっては莫大な金が動くことになるし。
「どうもー、傭兵の者です。僕はソーロのフィオーレで、こっちはイリスのマイラス」
「ウィッス。ども」
僕とマイラスはカバンから公認傭兵証明証を取り出し、衛兵に差し出した。証明証を見せるとき、自分の名前と証明証を発行した地名を言うのが慣しだ。まぁ「確かにこの証明証は自分のものですよ。偽造や盗品じゃありませんよ」という念押しみたいなものだろうか。
「ソーロのフィオーレに…王都のマイラスね。うむ、確かに。通っていいぞ」
「はいどもーお邪魔しまーす」
「ウィーッス」
僕らは衛兵から返された証明証を再びカバンにしまった。この王国公認傭兵証明証は、その名のとおり王国が存在を認めた傭兵だけに交付される証明証だ。楢木で作られており、表には所有者の名前と証明証の発行地とバツ印、裏には王国の国花である蘭の印章が押されている。
ちなみに表のバツ印は所有者のランクを表しており、ランクが上がるつれバツ印も増えていく。僕とマイラスはタラクサカム級だから二つだ。ローサ級傭兵になれば計六つになり、ローサ級の次の最上級ランクであるオルキス級傭兵になると、特別に王宮の庭に生えている紫檀を切り出し、王国有数の彫刻家によってデザインされた豪華な証明証が贈呈されるとか。
さて、村の門を潜った僕らは、そのすぐ横手にある馬屋に馬を誘導し、荷物や諸々の馬具を外したあと、桶にたっぷりの飼葉を入れ、旅の労ってやった。
僕の愛馬の名はケローシャ。陽の照り具合では濃赤色にも見える赤みの強い毛色や、たてがみがケイトウみたいに逆立っているからそう名付けた。
ちなみにマイラスの馬はラマドン。奴の故郷の言葉で灰色を意味するらしい。由来はどうせ芦毛の馬だからだろう。安直すぎ。
「あっどうもーお邪魔させてもらっています傭兵の者です。集会所ってどこにありますかね」
「ああ、あっちだよ」
馬屋を出て、たまたま出会した村人に尋ねると、彼は北を指差した。
「ずうっと奥の端っこ。大きな木が目印だよ」
「そうでしたか、どうもありがとうございます」
親切な第一村人と別れ、村の広場に出ると、次に僕らを出迎えたのは喧騒だった。
ガチョウやニワトリの鳴き声や、吠える犬、泣く赤ん坊、遊ぶ子供たち、荷車を引く馬の蹄、鉄を叩く鍛冶屋のハンマー、水車の水しぶき。
収穫祭が間近に迫る今は、それだけに止まらない。出来立ての麦酒をちょびっと試飲するつもりが、最終的にがぶ飲みした挙句、完全に出来上がってしまった男たちのろれつの回らぬ歌声。家を守る女性たちが振るう鍋や包丁の小気味の音、笑い声。行商人が物を売り歩く声。豚や羊の脳天をかち割るハンマーの鈍い音、その直後響く家畜の悲鳴。
ソーロや、それこそ王都のような都市生まれにかぎって「のどかで平穏な農村生活」に憧れるものだが(僕もその一人だった)、実際は騒々しくて忙しないのが村だ。
そんな溢れる音の中、行商人の客引きや、酔っ払いのダル絡みなどをかわしながら五分ほど歩くと、村人の言ったとおり、大きなマテバシイが見えてきた。
「え、まさかあれが集会所ッスかね」
「ああ、こりゃまた…年季が入ってるなぁ」
より巨木に近づいてみると、その下には一見物置きと見紛わんばかりの石置屋根のボロ小屋があった。扉の上に葡萄が描かれた看板があるから間違いない。この小屋がゴレス村の傭兵集会所だ。
「お邪魔しまーす」
やっぱり。集会所の中も受付台に、テーブルと椅子が数セットあるだけだ。今時、こういった酒場やバールを併設していないタイプの集会所は農村でもなかなか珍しい。
「はいはい、ただいま」
台に置かれた真鍮のベルをカラカラと鳴らすと、裏口の外から声がし、やがて土にまみれた中年女性が現れた。畑仕事でもしてたのかな。
「あっどうもー傭兵の者です。僕はソーロのフィオーレで、こっちはイリスのマイラスです」
「ウィッス、ども」
「はいよ…っと。ええっと、バツ二つだから…タンポポさんね。今日の仕事はこんなもんかね」
女性は僕らに証明証を返却すると、彼女の後ろの壁にかかった食器トレーくらいの大きさの掲示板を受付台に乗せた。
「はいはいでは拝見…」
掲示板に貼られたミッションはお馴染みリムスの討伐に薬草の採取、カプコルヌ肉の納品、きのこなどの採取…って随分アバウトだなぁ。うへぇこの辺にもマルムが現れるのか。いやだなぁ…って。
「あのぉ、綿の摘み取りのお手伝いとかって…」
ハタキであちらこちらを叩いている女性に恐る恐る尋ねると、彼女は「あぁーそれなんだけど」と言い、腰に手を当てた。
「確かにお手伝いの仕事もあるんだけどさ。ええとなんて言うんだったっけ…村の仕事はクローバーさんだけにしてもらうことになってんのよ」
「えっ…」
「あぁー逆制限かけてるんスね」
「そうそうギャクセイゲン! 祭り終わるまでギャクセイゲンかけさしてもらってるのよ」
普通、下級ランクの傭兵が不相応な難易度のミッションに挑んで痛い目に合わないように、一定ランクに昇級しないと受けられない仕事があるのだが、逆制限とはその名のとおり、特定のランク以下の傭兵以外は受注できないミッションのことだ。
ようするに、僕が楽しみにしていた綿花摘みは、トリフォリウム級すなわち最下級ランクのみが受けられる特別なミッションということになる。
「だってよフィオさん。いやぁー残念でしたねぇ!」
「そっそんなぁ…。潜りで、というか報酬いらないのでお手伝いさせてもらったりとかできませんか…?」
「やぁだそんな申し訳ないことできないわよ! それに近頃お上の目が厳しくってねぇ、傭兵さんを集会所通さないで仕事させると色々うるさいのよ。ごめんなさいねぇ」
ということで、僕の念願であった綿花摘みは幻に終わったのでした。
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