天使の羽根

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まただ、、。背中が痛い。 子供の頃から、時々、背中が痛くなる。 ぶつけたのか? 筋肉痛か?、、転んだっけ?、、いや、記憶にないのだから。 気のせいか?   体からのSOSの様な、、、どこかで、わかっていた様な、、が、原因は解らずじまい。 医者は、「疲れからくるものです。異常はなかったので、様子を見てみましょう。」 そう言われるなら気にしないように、自分の脳をコントロールするしか術はないか、、、「支配されないように、心を強く」 〝ハート(こころ)vs 脳“ ハートに素直にならないと、脳がハートを支配する。 いつになったら、和解出来るのか⁉︎ 私は、こころと脳が和解できる日が来ることが待ち遠しかった。どうしたら、、、よいのか、、、? 遠い昔に、ココロという国と、ノウという国との戦いを収めるために、私は、自身のハネをなくすしかなかった。 ココロと言う国で、最弱だったからだ。 戦いを丸く収めることなど、むずかしい世界だ。 ハネを無くしたところで、大きく何かが変わることはなかった。 それは、その国の中で、自分たちのことしか考えない、想像力が乏しい、歩みよりもない、優しくない、愛がない、 なにも考えないように、深入りしないように、誰かがなんとかしてくれる、都合のいいことだけは、任せていれば大丈夫だと勝手に思い込んでいる。 その塊が国になった瞬間、破滅への秒読みが始まる。 もう、すでに始まっているかもしれない。 始まっていることに、気づいている人、気づいていても見ないフリの人、、、全く、そんなことすら考えもしないで、まるで全部、 自分1人でやって来たように、1人で生きて来たかのように自負している人、、、多種多様だ。 何かの折に、美しい国、おもてなしの国、優しい国、愛の国、、、だと声高く叫んでいるが、本当に心からそう言えるのだろうか? 左とか、右とか、そう言う話ではありません。 いわゆる世間で言う〝弱者“だとか、〝落ちこぼれ“ と言われた人、誰かのすり込みで自身をそうだと思い込んできた人は、ふと、立ち止まる度に、 「そんな風に、そんな綺麗事を言われても」 と、強く思いながら生きてきたのではないか? 臆病なのではなく慎重なのであって、意気地がないのでなく「柔弱は剛強に勝つ」 〝弱いものが強いものに勝つ“ と言うコトワザがある。 水は、柔らかく非常に弱いものと思われがちだと。「雨垂れ石を穿つ」‥‥アマダレイシヲウガツ。 滴るだけで硬い石に穴を開けてしまう。強いと思い違いするものが、勝手で破壊できても、水を崩壊することは出来ない。 「そうは言っても」 と、「長い目で見る、諦めないことが肝心とわかっていても」 と不安がやってくる。 「自分のことは自分が1番わかっているよ!」と強い思いこみほど、当てにならないモノはない。 相対的な他人軸で物事を比べているのでは?  そんな思いに振り回され、自身で振り回しているとも言うべきか⁉︎
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