神の使い眷属

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芽生(めい)の家は、広い敷地に大きな洋館の、いわゆるお金持ちの家だ。父親がいくつかの会社を経営しているために、欲しいものは何でも与えられ、贅沢(ぜいたく)な暮らしをしてきた。 そして芽生の家の隣には、神社がある。代々続く格式の高い神社らしく、こちらも広い敷地に立派な社だ。そしてこの神社には、芽生と一日違いに生まれた男の子がいる。名前は朔久(さく)。中学生になるまでは、芽生よりも小さくて可愛かったのに、中学に入った途端にぐんぐんと大きくなり、大学生になった今では、芽生より頭一つ分背が高くなった。最近では会話をするたびに見上げなければならないことが悔しい。 芽生が悔しがっていることを知ってか知らずか、朔久は「芽生はかわいいな」とよく頭を撫でてくる。子ども扱いされてるようで、尚さら悔しい気持ちにはなるけれど、嬉しい気持ちの方が大きい。朔久の手は、大きくて暖かい。だから撫でられると、幸せな気持ちが湧き上がってくる。誰に撫でられてもこうなるわけではない。朔久だから。朔久が好きだから。 朔久も、芽生が好きだと言った。お互い好意を抱いていることは、幼い頃からわかっていた。お互いの気持ちを言葉にしたのは、高校生になってから。それからは、親には内緒で付き合っている。 家が隣同士で、お互いの親も良好な関係だとは思う。だけどなぜか、芽生と朔久の両親とも、朔久とだけは、芽生とだけは、恋人になるなと言うのだ。理由を聞くと、どちらの親も宗派が違うと言う。 なんだ、その理由は。くだらない。今のこの時代に、そんな理由がまかり通るものか。そう思ったけど、反論して朔久と離されても嫌だったので、親には内緒で付き合うことにしたのだ。 「ねぇ朔久、来週からお父さんとお母さん、旅行に行くの。だから家に泊まりに来ない?」 大学からの帰り、新作のフラペチーノを飲みたいと芽生が誘って、駅前のカフェに寄った。十一月に入り、一気に空気が冷えてきた中で飲むフラペチーノは、中々に冷たい。当たり前だけど。 朔久は湯気の立つホットコーヒーのカップを手に、少しだけ首を傾けた。 「いいけど…いつまで行くの?」 「三日間は帰って来ないって」 「でもお手伝いの人がいるだろ?」 「昼間はね。夜には帰ってもらうから」 「え?じゃあ夜は一人?危なくない?」 朔久が不安な顔をする。自分を心配してくれていると思うと、嬉しい。 「大丈夫だよ。防犯設備があるから。それに心配なら来てほしい」 「わかった。親が寝てから行くから遅くなるけど…いい?」 「うん」 嬉しい。初めて朔久と夜を過ごせる。興奮しすぎないよう、気をつけなきゃ。 誰もいない家で、朔久と過ごすことを想像して顔が熱くなる。芽生は火照った顔を冷ますように、フラペチーノを一気飲みして額を押さえた。 朔久が腰を浮かせて「どうした」と聞いてくる。 「えへ…冷たくて頭が痛くなった」 「大丈夫?温かいもの頼む?」 「いい、大丈夫」 朔久がポンと芽生の頭に手を乗せる。朔久は優しい。私が失敗しても決して(けな)したりしない。大好き。ずっとずっと、傍にいたい。 そんなことを思いながら朔久を見上げると、朔久が「芽生はかわいいな」と言って目を細めた。 両親が旅行に出発した日の夜、日が変わる前に朔久が来た。 朔久が来るから防犯設備は切ってある。でも家の鍵は頑丈だから、戸締りをしっかりしておけば心配はない。 両親が出発する前日、夜は気をつけるようにとしつこく注意された。おまえを信用しているとも。だけどごめんね。どうしても私は朔久と一緒にいたい。だから約束を守れないことを許してね。 朔久を自室に案内しながら「大丈夫だった?」と聞く。 朔久は、いつものように芽生の頭を撫でながら「誰にも気づかれてないよ」と笑った。 部屋に着き朔久を中へ招き入れる。 朔久がきょろきょろと部屋の中を見る。 「あんまり見ないで。片付いてないから」 「久しぶりだな、と思って。小学の時以来かな」 「うん…そうだね。中学になった時に親に朔久を家に呼んじゃダメって言われたから。本当は来てほしかった」 「俺も行きたかったし、俺の部屋にも来てほしかったな」 「ごめんね。私も朔久の部屋に行きたかった」 朔久のそばへ行き、腰に抱きつく。 朔久も芽生の背中に腕を回して、耳元で囁く。 「じゃあ次は、俺の部屋に来て」 「行く。絶対に行く」 「それまでに片付けておくよ」 「そのままでいいよ」 「芽生にはいい所を見せたいんだ。好きだから」 「…私も」 朔久の顔が肩から離れ、芽生の顔に近づく。芽生が目を伏せると同時にキスをされ、血液が沸騰したように熱くなる。 好き、大好き。お父さんお母さん、もういいかな。二十歳になったんだから。 ダメだ!とお父さんの声が聞こえた気がしたけど、舌を絡められ流れ込んできた朔久の唾液を飲み込んだ瞬間、もう何も考えられなくなった。かっと目を開いて大きく口を開き、朔久の肩を噛もうとした瞬間。 「芽生?」 芽生は朔久を押しのけて立ち上がった。 どこかでガラスが割れる音がした。誰かが侵入した?防犯設備を切っているから、警報が鳴らない。でも、五感を澄ませばどこで不審な音がしたのか、わかる。 「朔久、ここにいて」 そう言い置いて、私は部屋を飛び出した。 廊下を走り階段を駆け下りる。音は一階の台所から聞こえた。きっと泥棒だろう。金目の物を渡して去ってもらうか、それとも強引に追い出すか。 「追い出すか」 私は怒っていた。せっかくの朔久との甘い時間を邪魔されて。だから少しくらい痛い目に合ってもらっても、許されるよね。 台所のドアが見えてきたその時、黒ずくめの男が飛び出てきた。手に武器らしき物を持っていないことに安堵する。 男は私に気づくと、いきなり「血をよこせ!」と叫んだ。 「はあ?お金じゃなくて?」 「金などいらん!早く血をよこせっ」 「え、普通に怖いんだけど」 血をよこせって何?鬼か何かなの? そう尋ねる前に、男が答えをくれた。 「おまえは仲間だろう。この家に仲間が住んでると調べてわかってる。頼む。ストックがあるだろ?一つでいいからくれないか」 「仲間?」 「だからっ、おまえも吸血鬼だろ!」 「吸血鬼…」 私は首を傾げた。この男は何を言ってるのか。私は吸血鬼ではない。もちろん両親も。この家を調べたと言ってるけど間違えてる。だからそう、教えてあげる。 「えーと、あなたは吸血鬼なの?」 「そうだ」 「そう。でも私は仲間じゃないの。だから血もありません」 「嘘を言うな!確かにこの家だっ」 「はあ…。そう言われても違うんだけど」 困った。男は芽生を仲間だと信じて疑わない。もう警察を呼んでいいかな。でもそうなると、朔久を連れ込んだこと、両親にバレてしまう。それは困る。 大きなため息をついて悩んでいると、「芽生っ、大丈夫?」と走ってくる朔久の足音が聞こえた。 「朔久」と振り返るより早く、男が朔久に飛びかかった。 芽生は悲鳴をあげた。朔久が殺されると心臓が止まりそうになった。だけど男の手が朔久に届く前に、男はぱたりと前のめりに倒れた。 芽生は胸を押さえながら、その場に座り込んだ。 よかった…朔久が襲われなくて、よかった。 安心したら涙が出た。 朔久が男を迂回して傍に来る。そして芽生を抱きしめた。 「芽生、大丈夫?」 「大丈夫…。朔久は?何もされなかった?」 「なにも。でもこの人どうしたんだろう?急に倒れたんだけど」 「貧血じゃない?お腹空いてたみたいだし」 「そうなのか?でもこの人どうする?警察呼ぶ?」 「警察は呼びたくないなぁ。何もされなかったし、外に連れ出そうよ」 「窓も割られてるのに、いいの?」 「うん、朔久に何もされなかったからいいの」 「俺より、芽生が無事でよかったよ」 更にギュッと抱きしめられて、嬉しくなる。朔久に抱きしめられると、どんな嫌なことも許せてしまうから不思議だ。 「俺がこの人を外に出しておくから、芽生は部屋に戻ってて。それと家から窓を塞ぐボードか何かを持ってくるよ」 「私も手伝う」 「一人で大丈夫。心配だから、芽生は部屋にいて」 朔久に心配そうな顔で言われると、嫌とは言えない。芽生は「うん」と頷くと、何度も振り返りながら自室の方へ歩き出した。 しかし自室へは戻らずに、二階の廊下の奥の部屋に入る。ドアを閉めて顔を上げ「白狐様」と呟いた。 小さな窓が一つの部屋の中央に、神棚がある。それの正面に立って、芽生が話し続ける。 「騒ぎを聞いてたでしょ?不審者が入ってきたの」 「え?知らないって?寝てたの?」 「えー、しっかりしてよ。男の人が窓を割って入って来たんだけど、この家に吸血鬼がいるって言うの。自分の仲間だって。私の朔久を襲おうとしたから、気を失わせたけど」 「ほんとに。間抜けな人。でも仕方ないわね。この家は、お父さんの趣味で、いかにもな洋館だから」 芽生が話している相手の声は、芽生にしか聞こえない。 「ねぇ聞いて。もうすぐよ。もうすぐ朔久を、私のものにする。二十歳まで待ったから、もういいでしょ?お父さんは朔久のこと、ただの人だとバカにするけど、私は朔久がいいの。先ほどは邪魔されたけど、次は失敗しない。朔久に私の印をつける。だから応援してくれる?だって私は、誰よりもあなたと近いのだから」 ふふっと楽しそうに笑って、芽生はその部屋を後にした。 芽生の姿が廊下の角に消えると、朔久は男の肩を強く揺すった。 「おい、起きろ。望みの物をやるから目を覚ませ」 「ん…」 男が身動(みじろ)ぎ、ゆっくりと目を開ける。そして朔久と目が合うと、ビクリと肩を揺らしてから息を吐く。 「やっぱり、仲間がいたじゃないか」 「あんた間違えてるよ。ここは俺の家じゃない。俺の家は隣だ」 「えっ!でもこの洋館…」 「身バレ防止のために、こんな明らかな洋館には住まないよ。ほら、今から俺ん家に連れて行ってやる。血もやるから、俺がこの家にいたこと、内緒にしろよ」 「…わかった」 男はよほど飢えているのか、素直に頷いた。 朔久は男を連れて玄関から外に出た。芽生の家の敷地を出て、隣の神社の鳥居をくぐる。 「待て」と男が朔久を止める。 「なに?」 「ここ、神社だろ?なんでここに」 「俺ん家だよ」 「神社が?」 「そう。言っただろ?身バレ防止だって」 「ああ…」 男が呆然と鳥居を見上げながら、ついて来る。手水場の陰に男を待たせて、朔久は出てきた時と同じ、自室の窓から中に入った。そして一旦玄関から外に出て、また中に入り「父さん」と大きな声で呼ぶ。少しして奥から父親が出てきて「どうした?」と聞く。 「物音がしたから外に出てみたら、不審な男がいてさ。仲間だって言ってるんだけど。血が欲しいって」 「なに?わかった。おまえは部屋に戻りなさい」 「うん。今は手水場の所にいるから。じゃあ後はよろしく」 朔久と入れ違いに、父親が外に出て行く。父親の姿が暗闇に紛れて見えなくなると、玄関の扉を閉めて再び芽生の家に向かう。父親に気づかれないよう、手水場を大きく迂回して歩きながら思う。 ようやく芽生を自分のものにできると思ったのに、邪魔が入った。まあいい。今からでも時間はある。両親は、表向きは宗派が違うという理由で、芽生との交際を反対しているけど、本当は違う。芽生から怪しい気配がすると怖がってるんだ。バカバカしい。あんなにかわいい女の子が怖いって?長い年月、隠れるように暮らしてきたせいで、些細なことにまで疑心暗鬼になっているんだ。 朔久は口を開け、先ほどまでは無かった尖った歯に指先で触れる。芽生の白い首に牙を食い込ませることを想像して、恍惚とする。洋館のドアに手をかけた時に、割れた窓を塞ぐものを忘れたと気づいたけど、気にせずに中に入る。心配しなくとも、もう誰も来ない。来たとしても、今度は邪魔をさせない。朔久は興奮で目を赤く光らせながら、芽生の部屋へと続く階段に足をかけた。 (終)
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