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「今日は働いてるスタッフ全員を連れてきたんだ」
「それはありがとうございます。皆さんよろしくお願いしますね」
良く通ってくれる社長さんが店を貸し切りにしてくれた。目当ては私。これは嬉しいこと。
この店のママさんも頑張っているけど、今は私がメインになっている。乗っ取る気はない。あくまで私は従業員。あたしが生きられたらそれで良いんだから。
「本当に良い店ですね。スナックって言うともっとカラオケとかうるさいのかと思ったのに」
「そう言うお店も楽しいですけどね。私は騒げないので」
別に大笑いはしないけど私はニコニコと話す。そうすると相手が女の人でも話しやすいらしい。
もう一通りの人と話しただろうか。仲間外れを作ってはならない。私が店を見回す。
すると私とおんなじ様に気を使っている人がいた。ちょっと懐かしい印象がある。遠い記憶の底、忘れてない部分な気がする。
その人は周りに気を使いながら、どうにか盛り上げようと苦手そうに話を聞いている。
「こんばんは。このような席は苦手ですか?」
上司らしき人が離れた瞬間に、私はその人にも声をかける。
「慣れなくて。酒の席だってあんまり付き合わないのに、こんな店は」
この人は飲めないんだろう。手にはウーロン茶。会社の付き合いとは辛いものもあるんだろう。
「そうなんですか。でも気軽にしていても構いませんよ」
労いの言葉をかけるのも忘れない。これで救われる人がいるんだから。
でも、その人はちょっと違った印象。顔を挙げると私を見つめている。
「俺、憶えてない? 大学で一緒だったんだけど?」
それは惚れた表情ではなくて、ぼーっと思い出しているみたいだった。
私が見て、あたしが思い出す。
「懐かしい。憶えてくれてたの?」
「本当に君なんだ。違う人かと思ったよ」
まさか私をわかる人がいるなんて思わなかった。だけど、そうだな。彼とあたしは結構な仲良しだったから。
ひょこっとあたしが顔を出そうとしている。それでも自分の意思とは違って表さない。今は私なのだから。
「彼女を知ってるのかい?」
それは話を聞きつけた常連の社長さん。
「彼女は自分のことをあまり話さないんだ。昔はどんな女の子だったんだ?」
どうやら彼は社長と話す機会は普段ないみたいで緊張している。まさかあたしのことを話さないだろうか。それは困ることにもなるから。
「今の彼女と一緒ですよ。おしとやかな綺麗な人です」
一度私の顔を見た彼は納得したような顔で嘘を語ってくれる。
「これからは昔のことも聞きたいな」
「それは困りますね。ミステリアスな私の魅力がなくなりますから」
数時間が過ぎると社長たち御一行は帰る。お店としては良い儲け。
あれから彼とは殆ど話さなかった。私とそして彼も他の人と話してばかり。昔話をするような時間はなかったし、そんな場所ではない。
だけど帰るときに見送ると彼はあたしに向かって手を振ってくれた。私はそれにおしとやかに振り返す。あたしじゃなくて。
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