食事

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食事

 とある夜、人の造った岩窟の奥。ひとつだけの灯火がひらいた瞬きのなか、櫃を椅子として古文書を捲る私に、気遣うような声がかかった。 「少食なのか」  古文書は分厚くて大きい。膝の上に置いて、かつ捲る時は身を乗り出すような格好になっていたから、灯火を挟んで佇んでいる声の主には、普段は袖に隠れている腕がよく見えたのかもしれない。雇い主からは来訪者には見せないよう命じられているため、古傷や歪みを隠すために、私のからだのほとんどは包帯が巻かれている。理想として思い描く隠者の、綺麗なところだけを観賞したいという要望は、雇用条件でもあるから、呑むしかない。その代わりであるのかどうかはわからないが、衛生面において必要なものや薬の提供は惜しまれなかった。 「きちんと食べているのか」  そんなに心配されるような腕をしていただろうか。枯れ枝のようではあるかもしれないが、日常をやりすごすのに困るほどではない。 「きちんと食べていますよ。時折、葡萄酒もいただけます。今度、一緒にたのしみましょうか」 「おまえはともかく、一緒にというのは、どうやって」 「これだけ櫃があるのですから、杯のひとつやふたつ、探せば見つかるでしょう。あなたのお気に入りの皿に湛えてもいい。香りくらい、たのしんだらいかがです」  黒い襞のなかで、ため息をついたけはいがする。 「おまえは、きちんと、人の食べるものを食べているのか」 「嗜好品のようなものですけれど。そちらについては、もともと少食ですから」  燭火のまたたきにゆらめく襞の影に、私は微笑みかけた。
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