追放令嬢の隣国の農家で愛を知る

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――相変わらず花がかわいそう。手入れがなっていないわ。  そう思いながら、私アヴェリーはイリヴェス公爵の屋敷の庭園を見つめていた。  見た目こそ取り繕ってはいるものの、よく見れば地面に雑草が生えきっており、咲き誇っているはずの花も弱っている様子が見られる。  お客様を招き入れる庭園ですら、こんな有様なのか。私は三週間ぶりに来ても何の変わりのないこの光景に思わずしかめ面を浮かべそうになった。  おっと、こんな調子じゃダメ。貴族の娘たるもの、笑顔を保たなければいけない。そう思い、庭園の中に配置されているテーブル席に座った。椅子もよく見ればギシギシと音を立てている。本当にこういったところに興味がないのだなと思った。それか、私が呼び出されたこの庭園だけがこういう惨状になっているのか。 「最近は私に興味を失っている目をしているし……」  私とイリヴェス公爵が婚約を交わしてからもう数年。十二歳の時からの付き合いだけれども、あまりにも高慢でしかも金の使い方が荒い公爵には苦労させられたものだった。公爵が十五歳の時に、父が亡くなって家を継いだ後も、その金の使い方の粗さは変わらず、私は帳簿をつけて、公爵家の金庫が空になるのをなんとか抑えていた。 「あの像を作るって言った時は本気で頭がおかしくなりそうになったわ」  視線の先にあるのは、馬に乗った公爵を象った石像だ。見事なつくりではあるのだけれど、悪目立ちもいいところだ。なんであんなところに配置したのか、いやそもそもなぜ石像を作ったのか。それすらも謎だった。  そんな忙しい日々の中で、私が唯一楽しみにしていたのは他の貴族の令嬢たちとのお茶会だった。ほかの貴族の令嬢も夫に苦労させられているとか、あるいは浮気をしているんじゃないかとか、綺麗な花を咲かせるにはどうすればいいのか、とか。本当に他愛の話で盛り上がるのが楽しかった。そんな時でも、夫である公爵のことを立てるために私は「いい旦那に嫁いでよかった」と。    しかし、それが今日この日終わるとは思わなかった。公爵が庭園にやってきたとき、その後ろには義妹のセリスがいたのだった。くすんだブロンド髪で細い私と違い、私の義妹は美しい藍色の髪をしていて、スタイルも良い。だけれど、性格はわがままで両親をよく困らせていたものだ。特に私に与えられるはずのドレスなんかを欲しがり、わがままを言っては両親がこちらを見て妹に渡せと言う。結局ドレスや装飾品なんかは妹のものとなり、私は何一つ与えられないまま育ってきたのだった。  最初はなぜ彼女が一緒に、と思ったのだけれど。その瞬間、テーブルのそばに公爵がやってきたと思いきや、彼は近くにあったバケツの水を私に浴びせてきたのだった。  突然のこと過ぎて私は混乱してしまったけれど、落ち着いた様子でハンカチを取り出し、顔を拭く。 「すまないな、アヴェリー。汚い心を持つものを洗浄したかった」 「いいえ、とんでもありませんわ。……ところで、なぜここに義妹のセリスが?」  セリスは一瞬ニヤついた。下品な笑い方ね……私から物を取るときもそういう顔をしていたのを知っていたのよ。でもすぐに人懐っこい笑みを浮かべて媚を売る。そういう妹だったわ。 「あら、お義姉さま。私がここにいてはいけない理由がございまして?」 「理由も何も。私はイリヴェス様に呼ばれてここに来たのよ。あなたが来るとは聞いていなかったわ」 「ああ、それは話していなかったな」  公爵はクックックと含み笑いをして見せる。こういう時はろくでもないことを考えているのがわかっていた。私はため息をつきそうになるのを抑える。ここで変な態度を取ればそれこそ相手の思うつぼになるもの。 「簡単に言うとだ。アヴェリー。君との婚約を破棄させてもらう」 「……察しはつきますが、理由をお伺いしても?」  私がそういうと、公爵はセリスを抱き寄せる。セリスは困った笑みを浮かべつつ、陰で私のことを嘲笑していた。私は今度こそ大きくため息をついた。 「義妹と付き合ってらっしゃったのですね」  あえて「浮気」という言葉は使わなかった。彼の尊厳を傷つけると思ったからだ。 「そうだ。彼女は公務だ財務だとうるさいお前と違って、私を立ててくれるし、それに見ろ、この絶世の美女を。こんな美女を私は見たことがない。そんな彼女が私のことを思ってくれたというのだから、驚きだ」 「はあ……」  むなしい話である。美貌なんて、いつまでもつものか。年を取ればそれだけ皺も増えるし、髪も白くなっていく。それでも美しい人はいるけれど稀だ。そんなものに魅了されてしまうというのは男の性なのだろうか。  もちろん、私だってできた人間だとは思わない。けれど、文句の一つも言いたくなる。 「美貌、ですか」 「そうだ、それにな。セリスからお前のことを教えてもらったぞ」  そう言って、私の方へと歩み寄ると、公爵は思い切り平手打ちをしてきた。私は一瞬何が起きたか分からず、椅子から落ちて地面に倒れている自分に気づいて、やっと頬の痛みも感じられた。 「一体何を!」  私は立ち上がり、抗議をしようとしたけれど、公爵は私の胸ぐらをつかんできた。何をしたというのだろうか。こんな暴力を受けるようなことをした覚えはない。 「お前、我が公爵家の財務をしていると見せかけて、金を奪い、贅沢をしていたのだろう!」 「はあ!?」  私は思わず声を上げてしまった。はしたないと分かっていながらも、私は無実無根の公爵の言葉を否定しようとする。しかし、その前に公爵は私の首を絞め、言葉を出せないようにしてきた。  確かに、財務をしているときに数字が合わないことがあった。それはここ数週間の間に起きたことだ。しかもそれは公爵が私に対する態度を冷たくし始めたころからだ。つまり、セリスと付き合い始めたころ、だろう。  それから察するに、セリスが金庫の金を奪っていたということになる。それを私に擦り付けたのだ。 「いけないお義姉さま……まさか横領をするなんて。でも安心して、極刑にはならないから。義父上たちは貴女を勘当するだけで済ませるって。もう領地には踏み入ることも許さないと言っていたけれど。そしてこの婚約はなかったことになるわけ」  公爵は私を乱暴に放した。私は地面に倒れこみ、ゲホゲホとせき込んでしまう。  婚約がなくなるとか、もうどうでもいい。それよりもセリスの罪を私に擦り付けられていることが許せなかった。  だけど、突然私は冷静になってしまった。ここにいる誰もが私の味方じゃない。使用人たちも公爵のことを怖がっているし、両親も私を見捨てた。そして公爵は私の言葉を受け入れないだろう。  だったらどうするか。私が出ていくしかない。 「……寛大なご処置、痛み入ります。ここから出ていきます」  私はそう言って、その場を去っていた。背後から嘲笑が聞こえてくるような気がして、私は思わず駆けだした。  公爵の屋敷の近くにある村で乗合馬車に乗った私は、いつの間にか眠っていた。どこまで行く馬車かわからなかったけれど、今は代わりにやっていた激務といきなり訪れたことへの心の疲れで、どうしようもなくなってしまった。
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