49人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
「海だー!」
友人の小野越詠士が海に向かって走っていく。はしゃぎ具合に少し笑いつつ、池台蒼寿は小走りで背中を追った。
大学二年の夏休み。勉強漬けの毎日から少しだけ解放された蒼寿は、高校生の時から仲の良い詠士と一泊二日の旅行に来ていた。
すでに二人とも水着姿で、荷物はレジャーシートの上に置いていた。
真夏の太陽が照らすビーチにはたくさんの人がいた。みんなどこか浮ついていて、笑い声があちこちから聞こえた。
そんなビーチの雰囲気と目の前のきらきら光る海を前に、蒼寿も開放的な気分になる。
「海すげえ久しぶりだ。蒼寿は?」
「俺も五、六年ぶりくらいかな」
「家から一番近い海でも電車でけっこうかかるもんな」
濡れた砂浜を歩く二人の足に、穏やかな波が押し寄せた。冷たくて気持ち良い。
そのまま海水の中に入っていき、膝のあたりまで浸かった時、遠くから拡張器を使用した声が届いた。
「人魚との撮影会始まりまーす! 美しい人魚たちと一緒に写真撮りたい方、海の家までお越しくださーい!」
「まじ? 人魚いんの?」「人魚何回か見たことあるしなー」という声が聞こえる。周囲の反応は興味を持った人と持たない人で半々だった。
蒼寿と詠士は顔を見合わせる。
「蒼寿って生で人魚見たことある?」
「ない。詠士は?」
「俺もない。人魚っていつでもいるわけじゃないし、せっかくなら写真撮らねえ?」
「いいよ。思い出になるし」
「うっし、じゃあ行くか。あ、でも値段高かったら考えるわ」
「それは俺も同じ」
二人は笑い合って入ったばかりの海からあがった。
同じように、海や砂浜から海の家を目指す人たちが徐々に集まっていく。
撮影会が行われているのは海の家の隣のスペースだった。
すでに十五人くらいの列ができている。列の先には三つの大きな椅子があり、それぞれに人魚が座っていた。
「うわ……綺麗……」
思わず言葉が漏れた。
いるのは男性の人魚が一人、女性の人魚が二人だった。下半身の鮮やかな鱗が発光しているかのように美しい。全員が見目麗しい外見をしていて、目が釘付けになる。
ネットやテレビで人魚を見たことはあったが、実物は畏れすら抱くくらいに美しかった。自然と崇めたくなってしまう魅力がある。
「一人五百円だって。どうする?」と訊ねられた蒼寿は、はっと意識を戻して「俺は撮りたい」と返した。
二人は列に並んだ。スタッフがやってきて、誰と撮るかは選べない等の注意事項を伝えた後、代金とチケットを交換した。
人魚たちはリラックスした状態で撮影に応じているように見えた。
けれど蒼寿たちが列の先頭になり、三組の撮影が終わるのを待っていた時、急に荒っぽい声がした。
「鱗の一つくらいくれたっていいじゃん。金なら払うからさあ」
図々しさと荒々しさが混ざった口調によって、和やかな空間に緊張感が走る。
右端の男性の人魚と撮影をしているグループが、何やらスタッフと揉めているようだった。
最初のコメントを投稿しよう!