人魚に愛された青年

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「海だー!」  友人の小野越詠士(おのごええいし)が海に向かって走っていく。はしゃぎ具合に少し笑いつつ、池台蒼寿(いけだいあおひさ)は小走りで背中を追った。  大学二年の夏休み。勉強漬けの毎日から少しだけ解放された蒼寿は、高校生の時から仲の良い詠士と一泊二日の旅行に来ていた。  すでに二人とも水着姿で、荷物はレジャーシートの上に置いていた。  真夏の太陽が照らすビーチにはたくさんの人がいた。みんなどこか浮ついていて、笑い声があちこちから聞こえた。  そんなビーチの雰囲気と目の前のきらきら光る海を前に、蒼寿も開放的な気分になる。 「海すげえ久しぶりだ。蒼寿は?」 「俺も五、六年ぶりくらいかな」 「家から一番近い海でも電車でけっこうかかるもんな」  濡れた砂浜を歩く二人の足に、穏やかな波が押し寄せた。冷たくて気持ち良い。  そのまま海水の中に入っていき、膝のあたりまで浸かった時、遠くから拡張器を使用した声が届いた。 「人魚との撮影会始まりまーす! 美しい人魚たちと一緒に写真撮りたい方、海の家までお越しくださーい!」 「まじ? 人魚いんの?」「人魚何回か見たことあるしなー」という声が聞こえる。周囲の反応は興味を持った人と持たない人で半々だった。  蒼寿と詠士は顔を見合わせる。 「蒼寿って生で人魚見たことある?」 「ない。詠士は?」 「俺もない。人魚っていつでもいるわけじゃないし、せっかくなら写真撮らねえ?」 「いいよ。思い出になるし」 「うっし、じゃあ行くか。あ、でも値段高かったら考えるわ」 「それは俺も同じ」  二人は笑い合って入ったばかりの海からあがった。  同じように、海や砂浜から海の家を目指す人たちが徐々に集まっていく。  撮影会が行われているのは海の家の隣のスペースだった。  すでに十五人くらいの列ができている。列の先には三つの大きな椅子があり、それぞれに人魚が座っていた。 「うわ……綺麗……」  思わず言葉が漏れた。  いるのは男性の人魚が一人、女性の人魚が二人だった。下半身の鮮やかな鱗が発光しているかのように美しい。全員が見目麗しい外見をしていて、目が釘付けになる。  ネットやテレビで人魚を見たことはあったが、実物は畏れすら抱くくらいに美しかった。自然と崇めたくなってしまう魅力がある。 「一人五百円だって。どうする?」と訊ねられた蒼寿は、はっと意識を戻して「俺は撮りたい」と返した。  二人は列に並んだ。スタッフがやってきて、誰と撮るかは選べない等の注意事項を伝えた後、代金とチケットを交換した。  人魚たちはリラックスした状態で撮影に応じているように見えた。  けれど蒼寿たちが列の先頭になり、三組の撮影が終わるのを待っていた時、急に荒っぽい声がした。 「鱗の一つくらいくれたっていいじゃん。金なら払うからさあ」  図々しさと荒々しさが混ざった口調によって、和やかな空間に緊張感が走る。  右端の男性の人魚と撮影をしているグループが、何やらスタッフと揉めているようだった。
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