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海賊たちの奇襲
ヒラクたちがルミネスキを去り南多島海へ出発した直後のことだった。
エルオーロの港は兵士たちの溢れんばかりの活気で沸き立っていた。白い帆にルミネスキの紋章をまとった五十隻の船が停泊している。
三千を超える兵たちは、出発に備え武器を確認し、槍や剣をしっかり包み、盾や鎧を手の届くところに準備していた。
港に集まった人々は、この壮観な光景を目の当たりにしていた。誰もが恐怖と希望の入り交じった表情で兵士たちを見送っている。
中海の海賊島も緊張に包まれ、かつての荒々しい海賊時代の雰囲気が蘇っていた。
近隣の島や中海の沿岸に巣くう海賊たちまでもが召集され、エルオーロ同様、これまで見たこともないほどのおびただしい数の船が海賊島を取り囲んだ。
そして先陣を切って黒い帆を掲げた海賊船がノルドに向けて船出した。
海岸線にびっしりとひしめいていた帆船は、ひとかたまりの群れとなり、海を大移動していくが、沖の彼方で小さな点がちらばったかのようになると、やがてそれも見えなくなった。
まるで一つの町ごと消えたかのように、海賊島はしんと静まり返った。
島に残されたのは、女、子どもと年よりばかりだ。
しかし荒くれ者の海賊たちを率いているのは、海賊島の女頭領グレイシャだ。
ルミネスキ軍の先陣を切ったグレイシャは、目指す神帝国のある大陸ノルドの気候を気にしていた。
すでに北の地は秋から冬に移り変わろうとしている。
冬になり、寒さが増して雪でも降れば、神帝国に攻め入ることは困難になる。
そのため、奇襲をかけるには今しかないと判断された。
この神帝国への奇襲をルミネスキ女王に提案したのはユピだった。
「王の鏡」を求める女王に、ユピは神帝国の「信託の鏡」がそうだろうと仄めかした。
『神帝が本物の王の鏡を持っていないとしても、ヒラクが南で鏡をみつけて帰ってきたとなれば、それを手に入れようとするはず……』
そうなれば、神帝国側がメーザに攻め入ってくることも考えられる。
『かつて神王がメーザを支配した悪夢が再びよみがえる……』
ユピは一つ一つ言葉を重ねて、前世の記憶に囚われる女王を刺激した。
メーザに神帝が攻めてくることだけはどうしても避けたい女王は、ユピの提案を受け入れ、冬が来る前に神帝国に戦を仕掛けることにした。
ユピの真意は見えないが、女王には女王の思惑もあった。
追放されたとはいえ、ユピは神帝の唯一の皇子である。
そして勾玉主であるヒラクが最も信頼を寄せる存在だ。
女王は、勾玉主を手中にしたユピが神帝側につくかもしれないことを怖れた。
そして、ユピと勾玉主が不在のうちに神帝国に攻め入ることを望んだ。
だがそれさえもユピの計算どおりだった。
そして今、グレイシャを乗せた船は、北の海域上にいる。
「北風が強まる時期にはまだ早いと思ったけどね」
グレイシャは体をぶるっと震わせて甲板の上で舌打ちした。
ノルドは近づているはずが、向かい風で船がなかなか進まない。
海賊たちが神帝国の港を襲撃した直後、第一軍、第二軍と上陸させる手はずになっている。後から来る艦隊に追いつかれては奇襲の意味がない。
「こんなところで陸の奴らに追いつかれたら海賊の名がすたる。あと少しだ。気を抜くんじゃないよ」
グレイシャはノルドを目前に海賊たちの士気が下がることを懸念して発破をかけた。
海賊たちは勇ましい声を上げ、策具を巧みに操りながら帆の向きを変えて前進した。
さらに数週間経過し、海上を覆う影のように、前方にノルドの陸が広がった。
船は休まず陸を目指す。
明け方には目指す港が迫った。
闇に紛れて、黒い帆布の海賊船は敵に気づかれないはずだった。
ところが、夜の闇が薄れ朝光が蒼白く空を染め始めると、海上に神帝国の船団が隊列を組んで迫ってくるのがはっきり見えた。
「お頭! たいへんだ!」
その声に全員が前方に目をやった。
くちばし型の船首の神帝国の船は横並びに鎖でつながれている。その数は数十隻にも及ぶ。巨大な横帆に追い風を受けて、神帝国の船隊が海賊船にぐんぐんと迫ってくる。
「どういうことだい。こっちの動きがわかってたっていうのか」
グレイシャは舌打ちすると、混乱する海賊たちに冷静に指示を出した。
「あいつら囲みこむつもりだ。分散しながら戦闘体勢に入る」
ここで撤退すれば、後続のルミネスキ軍を巻き込んでしまう。
その時、風向きがやや南よりに変わった。
グレイシャは、通信手段である白羽鳥を飛ばして指示を出し、自分が乗る船も含めた前方の船団を神帝国の船隊に向けて突進させた。
そして神帝国の船の側面に回りこんだ海賊船は、衝角を神帝国の船の船腹に突き刺した。
海賊たちは奇声を上げて神帝国の船に乗り込むと、甲板を打ち壊し、帆に火をつける。
神帝国の船団はあわてて向きを変えようとするが、鎖で一列につながれているため、思うように動けない。
敵が火船に気を取られているうちにグレイシャは敵船との距離をつめる。
そして港に撤退しようとする船の一つに接舷し、甲板上の水兵を一掃して船を乗っ取った。
神帝国の港では、陣営を構えた神帝国軍兵士たちのが、逃げ戻ってくる自国の船を眺めていた。一気に不安が広がる中、甲板にいるのが敵の海賊たちとわかると、兵士たちはあわてて砲弾を撃ち込んだ。
乱れ飛ぶ砲弾の中をかいくぐりながら、グレイシャたちを乗せた船は敵陣の中に突っ込んでいく。
港まで攻め込まれたことに動揺した神帝国軍は陣形を乱した。
他の海賊たちもグレイシャに続き、次々と上陸を果たそうとしていた。
甲板は砕け散り、マストも折れかかっているような船が続々と港に向かってくる。
神帝国の民兵の中には、前列の砲兵隊を残して逃走しようとする者まで出てきた。数では勝っていた神帝国側だったが、形勢は一気に海賊側に傾いた。
「あいつが言ったとおりだね……」
グレイシャは、ユピからの情報で港の様子や地形も頭に入っていた。
このまま神帝国の城まで突入する最短ルートも把握している。
だが、エルオーロを発ったルミネスキの大艦隊はいまだ水平線上に先頭の影すら現さない。
馬や武器を大量に積んだ船は重く、ルミネスキの艦隊は海賊たち以上に遅れていたばかりか、隊列から離れてしまった船や転覆した船を数多く出していた。
後続の船団が来ないことに気づいた神帝国軍は、後退しつつも陣形を整え、守りを固めた。そして海賊たちの体力が消耗していくのを待った。
神帝国の港へ攻撃を仕掛けて数時間後、グレイシャの孤軍奮闘もむなしく、海賊船団は沖の艦隊を壊滅状態にするのがやっとで、上陸した海賊たちは次々と力尽きていった。
このような事態になるとは誰も予測していなかった。
ただはっきりと言えるのは、ルミネスキ側の奇襲を神帝国側はすでに知っていたということだ。
「くそ、こちらの情報もすべて漏れていたというわけか……悪魔め…………」
グレイシャの記憶の中のユピは、禍々しいほどの美貌で酷薄な笑みを浮かべていた。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。ルミネスキ女王やグレイシャにも巧みに取り入り、ヒラクの心さえも支配するが、目的は不明。破壊神の剣を手に入れるとジークを連れて北へと去る。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓い、ユピに対して強い警戒心を抱いていたが、なぜかユピに従い、ヒラクの元を離れてしまう。
グレイシャ……海賊島の統領。ルミネスキ女王からも一目置かれた存在。ルミネスキと神帝国の開戦により、海賊たちを引き連れてノルド大陸を目指す。
ルミネスキ女王……ルミネスキの玉座に真の神を迎えるため、「王の鏡」を必要としている。かつてメーザを支配した神王の再来とされる神帝を偽神とし討伐を目論む。
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