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勾玉と鏡と剣
黄金王がルミネスキの湖の底から引き上げた鏡を見て、ヒラクはあることに気がついた。
それはまだ、金の装飾の枠におさめられる前の鏡だ。
黄金王は円い鏡の裏と表を眺めながら、不服そうにつぶやく。
「我以外、映す必要もない……」
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次の瞬間には、ヒラクの前にある鏡はもう太陽を模した金の飾り枠の中におさめられていた。
飾り枠に埋め込まれた宝石の美しさをうっとりと眺める黄金王の目は、自らが放つ光を見ようともしていなかった。
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次にヒラクは見覚えのある様々な道具を眺めていた。
口の細い花びんのような形をしたガラス容器、ポンプや管、じょうごの形をした道具が燭台の炎に照らされている。
薄暗い部屋の真ん中にある大きな鉄鍋の前には黒い服に埋もれるような小さな老婆が立っている。
ヒラクはその老婆をよく知っていた。
ルミネスキの錬金術師、不老不死のマイラだ。
「マイラよ、勾玉はまだできないのか!」
苛立ちながらヒラクは老婆に向かって言った。
その声は黄金王のものだ。
鉄鍋の中のどろりとした液体をゆっくりとかき混ぜながら、老婆は顔を上げてにたりと笑う。
「まことに不思議なものですな。彼の地で黄金を掘り当て、莫大な富を築いたあなた様が、小さな金の欠片すら作り出すこともできないとは」
「あれはただの金の欠片などではない。あの勾玉は我を神とし、黄金郷へと導いた。これからも我に富をもたらすものにちがいない」
黄金王は勾玉の感触を思い出すように、右の拳を握りなおしながら言った。
「金を作り出すことよりも、勾玉を生み出す方が難しい……。王よ、物質を金に変えることなど、大したことではないのかもしれません」
マイラは鉄鍋の中の液体をじっと見てつぶやいた。
「物質を変容させることは、肉体を変えて生まれ変わることと同じ。液体として体を巡る意識は気化して世界に溶け込み、再び肉体に宿る。ではその根源となる魂が変容すればどうなるか……」
「どうなるのだ?」黄金王は関心を示した。
マイラは深く息を吐く。
「それがわかれば勾玉を生み出すことができるでしょう。この世界の創造の鍵を握る秘石なのかもしれません」
「世界を創造したのは太陽神だ。だからこそ、その証として勾玉が我が掌中に現れたのであろう」黄金王は当然のことのように言った。
黄金王の中にいるヒラクは、それはちがうとはっきり思っている。
どうやらマイラも同じ気持ちであるらしい。
マイラは黄金王の言葉に同意しない。
「なんだ? 我は間違ったことを言っているか」
黄金王は威圧するような声で言った。
「いいえ、あなた様は何もまちがっておりません」
マイラは頭をたれ、恭順の態度を示した。
だが、マイラをよく知るヒラクは、それはうわべだけの態度であることがすぐにわかった。
「あなた様は神であることを望まれた。だからこそ、神の創造の力をその手に宿している」
マイラは底光りする灰銀の瞳で黄金王をじっと見た。
「意識がすべての物質を作る。王よ、あなた様が掘り当てた黄金は、あなた様が望むと同時に生れたものなのかもしれません」
マイラが言うと、黄金王はあごひげをなでさすりながら、満足そうにうなずいた。
「太陽神である我が望めば、黄金を掘り当てることなどたやすいことというわけか」
「しかし勾玉は消え失せた……」マイラは失望の目で黄金王を見た。
「勾玉は、黄金の地へ我を導いただけなのだろう。望めば黄金がいくらでも手に入るのならば、勾玉などもう必要ないのかもしれぬな」
黄金王は髭をなでさすりながら言った。
「秘石はもう、必要はないと……?」マイラの灰銀の瞳が鈍く光る。
「いかにも」
黄金王はさらりと言うと、鉄鍋の液体に目を移し、何かを思い立ったように欲深げな目でマイラを見た。
「ところで、偉大なる錬金術師マイラよ。物質を金に変えることができるなら、我が肉体をも朽ちぬ黄金と等しきものに変えることもできるのか」
マイラは少し間を置くと、顔を上げ、黄金王をじっと見た。
その灰銀の瞳は暗くよどんでいる。
「王よ、あなた様は不老不死をお望みか」
「あたりまえだ」黄金王はあっさり答える。「我は太陽神としていつまでも地上に君臨していたい。王としての栄華を極め、己を誇っていたいのだ」
「変化することが定められたこの世界で、あえて変化を拒み、今の状態にとどまろうというわけですか」
マイラは嘲笑を含むような冷淡な口調で言った。
黄金王は意に介さず、泰然とした様子で言い放つ。
「我は神であり、永遠の存在なのだ。世界の定めなど我には関係のないことだ」
「神とは世界と無関係に存在しているものなのでしょうか。永遠とは一体何なのか……」
マイラは焦がれるような目で王の右手をじっと見る。
「あの秘石があれば……」
「考えても無駄だ。勾玉はもうない。おまえにも作れない。今ここに存在しないものにこだわっても仕方ないではないか」
黄金王は淡々と言う。
「目に見える黄金の輝きに人々はひれ伏し、豊かさをもたらす我を神として崇めるのだ」
マイラはそれに対して何も言わなかった。
ヒラクは、きっと自分が黄金王に抱いた以上の失望を今のマイラは味わっているにちがいないと思った。
マイラが無言でいることを特に気にすることもなく、黄金王は話を続ける。
「それに我は神である証をすでにもっている」
「……ほう。証、ですか」
マイラはゆっくりと黄金王に向き直り、口元のしわをのばしてにいっと笑う。
「その証と引き換えに、不老不死の願いを叶えてさしあげましょう」
「できるのか?」黄金王は声を明るくして言った。
「その証となるものさえあれば、秘石の光を取り戻すことも可能かもしれません。秘石さえあれば不老不死など思いのまま」
マイラは言葉巧みに黄金王をだまそうとしているとヒラクは思った。
勾玉を持っていなくても、マイラは不老不死を可能にしていた。
そのことをヒラクはよく知っている。
(どうしてそんなことを言うんだ? マイラは何を考えてるんだろう……)
ヒラクの意識がマイラに向いた途端、マイラの意識がヒラクの中に流れ込んできて、その思考が言葉として伝わってきた。
(神の証とは鏡……勾玉と同質のもの……永遠なるもの……)
気づけばヒラクはマイラの目を通して黄金王の姿を見ていた。
黄金王の中にいたヒラクは、今度はマイラの中に入り込み、一瞬で入れ替わっていた。
マイラの目を通して見る黄金王は、自信に満ち溢れた顔つきをしていて、体格もよく、金の肩当てのついたマントを堂々と着こなしている。
ヒラクが前に見たときよりも幾分年を重ねているようだ。
未知なるものへと向かう勇気で輝いていた瞳には、狡猾さと貪欲さが見え隠れするようになっていた。
(……黄金の輝きもいまや見る影もなし……)
ヒラクはハッとした。
それはマイラの意識ではない。
ましてや自分が思ったことでもなかった。
(誰だ? 一体誰がこの場にいるっていうんだ?)
ヒラクはマイラと黄金王がいる薄暗い部屋を俯瞰して眺めていた。
部屋そのものが静止した一つの場面のようになり、暗転して闇に溶け込む。
誰の姿ももう見えない。
けれどもヒラクの中に何者かの意識が流れ込んでくる。
(……黄金に輝く勾玉、王の鏡、それだけでは足りない……)
それははっきりと言葉になってヒラクの中で響いた。
(もう一つは……)
その言葉に反応するようにヒラクは剣を思い浮かべた。
それと同時にヒラクが思い浮かべた破壊の剣が物質化して目の前に現れた。
ヒラクが手をのばそうとすると、目の前から別な手がのびてきた。
そしてその手が触れる寸前に剣はあとかたもなく消えた。
「破壊の剣……見えたような気がしたが……」
そう言ったのは鏡の中の自分と対話していた赤い勾玉を持つ男だ。
今はヒラクに向かって話しかけ、触れようとした手を引き戻し、勾玉の赤い光に照らされた顔を近づけてくる。
赤い勾玉に共鳴するようにヒラクは自らの勾玉の光を放つ。
ヒラクは光そのものだった。
「鏡よ、我が半身である神よ……」
その呼びかけで、ヒラクは今、自分が鏡の中にいて、姿はもたずに光だけを放っていることを知った。
「すべての破壊をつかさどるという剣……。黄金王さえ行き着けなかったもの。私の勾玉はまだこの掌中にある。剣を手にして、すべての偽神を打ち払い、私が真の神となるのだ」
(それもちがう……)
そう思ったのはヒラクなのかそれとも別の誰かなのかはわからない。
(勾玉……鏡……剣……)
ヒラクの意識の中で言葉とともに形が浮かぶ。
(これは……おれが、生み出した……?)
その考えとともに何かが意識の奥でまぶしく弾けるような気がした。
そしてヒラクは鏡と剣が何のためにあるのかをすでに知っている自分に気がついた。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。今はユピの記憶に中に入りこみ、ユピが生まれる前の神王の記憶から、生まれてからのユピの記憶、そして自分と出会ってからのユピの記憶まで行きつくと、さらにその記憶の果てにある神の領域に溶け込んだ。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。生まれた時は青の勾玉主だったが、赤の勾玉主の人格に支配され、自らの勾玉を失う。皇子の地位を捨て、勾玉主としてメーザに迎えられたヒラクの旅に同行し、破壊神の剣を奪うと再び神帝国に戻り王の鏡を手に入れる。そして「神の扉を開く鍵」を得るためヒラクを記憶の中へと誘導する。
マイラ…黄金王がルミネスキの湖から引き揚げた鏡が土着の月の女神の姿を消そうとしたとき、その月の女神の存在がその時ちょうど命を落とした老婆の体に入りこんだ。それがマイラの正体であり、マイラは不死の身である自分の存在の根源を求め、王の鏡を手に入れようと画策していた。
黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。
神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。「王の鏡」を奪ったとされている。
神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。
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