失われゆくもの

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失われゆくもの

 回転する円はヒラクの剣に砕かれて、光を散乱させながら、形を失い、消滅した。  すべての光は消え失せ、宙に浮いていた二つの鏡は大きな音をたてて床に落ち、両方ともひび割れた。  床に跳ね返ったヒラクの勾玉は光を放つこともなく、冷たく透明な石となっていびつな形を残していた。  ヒラクは剣を床に置き、冷たい石を拾い上げ、複雑な顔で握りしめた。 「……なんてことをしてくれたんだ……」  神王は顔面蒼白となり、怒りで声を震わせた。 「あと少しのところで完全な世界を取り戻せたのだ。私は唯一無二の神となれたのだ。私は神の中の王、神王だ。私の意志は神の意志。それに背くなどあってはならない」 「でも、おれにはおれの意志がある。それもまた神の意志だ」 「黙れ」  ヒラクの言葉を遮ると、神王は剣を拾い上げ、不適な笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。 「とにかくこれでもう君は用済みだ。その勾玉はただの石だ。光を放たぬ君なんて、もうなんの役にもたたないよ」  神王の目は狂気でぎらついている。  ヒラクは後方の出口を確かめて、その場から駆け出そうとした。  だが、神王の手がのびるのが早かった。  ヒラクは腕をへし折られるほどの力でつかまれ、身動きがとれなくなった。 「死ね」  神王は両手で剣をつかんで振りかざした。  自分をつかんでいた神王の手が離れた隙にヒラクはその場から逃げ出そうとしたが、背を向けたときにはもう剣は振り下ろされようとしていた。 (やられる!)  一瞬の間があいた後、赤い血が剣をつたって雫となって床に落ちた。  ヒラクは固く目をつぶっていた。  うめき声が聞こえる。  それはユピのものだ。  ヒラクは驚いて振り返った。  目に飛び込んできたのは自らの胸に剣を突き刺すユピの姿だ。 「ユピ!」  ヒラクはユピに駆け寄る。 「き……さま、よ……くも……」  ユピの体を支配する神王の力が弱まっていく。 「これが……僕の……僕の意志だ!」  ユピは痛みをこらえながら、両手に力を込めて、刃を胸に深く沈めた。 「何やってるんだよ!」  ヒラクはユピの手を柄から離すと、渾身の力を込めて、あわてて剣を引き抜いた。  ユピはその場に仰向けに倒れた。  胸から鮮血があふれだし、白い服はみるみる赤く染まっていく。  ヒラクはユピのマントをつかんで傷口にあてて、なんとか血を止めようとした。 「ユピ、いやだ! どうしてこんなことに……」 「ヒラク……」  動揺するヒラクをみつめながら、ユピは震える手をのばした。 「君を守るためには、こうするしかなかったんだ……」 「ユピ! ユピなんだね!」  どこか頼りなげで消えてしまいそうな雰囲気は神王とは明らかにちがう。  うなずくかわりにユピは弱々しく笑った。 「ユピ、今助けるから! 誰か呼んでくるよ。早く血を止めなきゃ」 「行かないで」  今にもその場を去ろうとするヒラクにユピは懇願する。 「いいんだ、もう……。初めから、こうすればよかったんだ……。できなかったのは、僕が……君と一緒にいたいと思ってしまったから……」 「おれだって、一緒にいたいよ。ユピがいなきゃいやだよ」  ヒラクは小さな子どものように泣きじゃくる。 「泣かないで……」  ユピはヒラクの頬に手をあてた。 「君のために生きたかった……。だけど僕は、君のために……生きていてはいけなかったんだ……」  ユピの手がヒラクの頬をすべり落ちる。  ヒラクはその手を両手で握りしめる。 「いやだ、ずっと一緒にいてよ。おれを一人にしないでよ」  ヒラクをみつめるユピの瞳は青く澄んでいた。  透き通るような笑顔で微笑するユピは、今まで見たどんなユピよりも美しいとヒラクは思った。 「いやだ、ユピ……こんなのいやだ。こんなことをおれは望んでいたんじゃない……」  ヒラクは生れて初めての激しい後悔を味わっていた。 「こんなことなら勾玉が一つになるのを邪魔しなければよかった。そうしたら……そうしたらユピが望むとおり、おれとユピはずっと一緒にいられた? おれがあんなことさえしなければ……」 「ヒラク……」ユピは息をもらすようにささやいた。「君は……まちがってなんていない……君は……」  ユピは血でむせ、それ以上、言葉を続けることができず苦痛で顔を歪める。 「ユピ、痛いの? 苦しいの? ユピ、ユピ!」  ヒラクは目に涙をあふれさせ、声を震わせて叫ぶ。  ただ名前を呼ぶしかできない自分が無力で情けなくてしかたなかった。 「ヒラク……どうか……」  ユピは最後の力をふりしぼり、かすれる声でつぶやいた。 「君は、君のままでいて……。それこそが、僕の願い……」  ユピは静かに微笑して、ゆっくりと目を閉じた。  それと同時にユピの涙がこぼれ落ちた。  まつげの先を濡らしたまま、口元に笑みをたたえたままで、ユピは動かなくなった。 「ユピ……? ユピ!」  ヒラクはユピの名を呼び、手を握り、その頬に触れ、抱きついた。  温もりが消えてもなお、ユピが死んだという現実をヒラクは受け入れられなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【登場人物】 ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピの記憶に入りこんだヒラクはなぜか黄金王や神王の過去の記憶にもつながった。そしてそれまでの勾玉主が成しえなかった神の扉を開くが、唯一無二の神としての全体の統合を拒む。 ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。生まれた時は青の勾玉主だったが、赤の勾玉主だった前世の神王の人格に支配され、自らの勾玉を失う。ユピの中の神王は破壊神の剣と鏡を手に入れと「神の扉を開く鍵」を得るためヒラクを記憶の中へと誘導した。唯一無二の神となるため全体の統合を願っている。 ★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。  神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。ユピの前世。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。神の証の鏡に加え、偽神を打ち払う剣があれば真実の神になれると思っていた。  神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。前世の神王と生まれ変わったユピの中の神王に利用されただけの存在。我が子であるユピを恐れ、神帝国から追放した。
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