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冷たい死
窓から夜が忍び込み、広間はすっかり暗くなっていた。
壊れた窓から冷たい空気が入り込み、大理石の床は氷のようにひんやりとしている。
ヒラクがいくら抱きしめてもユピの体が温まることはない。
それが死体であることにヒラクはやっと気がついた。
「……ヒラク様」
手燭のランプを持ったジークが入り口の扉を開けて広間に入ってきた。
ヒラクの姿を確かめたジークは白い息を吐いて一瞬ほっとした顔を見せたが、その異常な静けさの中、すぐに周囲を見渡した。
「他の者たちは?」
ジークに聞かれて、ヒラクは中央の壊れた窓ガラスに目をやった。
その視線を追い、窓辺にランプを近づけ、ジークは状況を察した。
「そうですか……」
ジークはそれ以上何も聞かず、ヒラクのそばに近づいた。
床にはひび割れた鏡が二枚と剣が落ちている。
「終わったのですね……」
ジークはヒラクの隣に立ち、ユピの亡骸をランプの灯りで照らした。
「こちらも無事収束しました」
鎧を脱いだジークの姿が戦の終わりを示していた。
ジークの胸には包帯が巻かれ、顔色も悪いが、それでもジークはケガをしたそぶりも見せずにいつものしっかりとした口調で話す。
「希求兵たちの活躍により、神帝国軍は壊滅。生き残ったルミネスキ軍の兵士たちは義勇兵たちの捕虜とされています。女王陛下との交渉次第とは思いますが、今後この国は彼らによって新しく作られていくのかもしれません」
「神帝国はもうなくなるんだね……」
ヒラクはぽつりとつぶやいた。
「そのためにも神帝となった者の死を見せしめねばなりません」
ジークはランプの灯りで照らしたユピの顔を見下ろした。
ヒラクはさっと表情をこわばらせる。
「見せしめって何? ユピは神帝じゃないよ。お願いだよ、このまま放っておいてよ」
ヒラクは立ちひざになり、ジークの腰にすがりついた。
ジークは足元をよろめかせ、手に持つランプを大きく揺らした。
平然とはした様子は見せても、ジークは深手を負っている。
炎の灯りに浮かぶヒラクの影が不安定に揺れている。
ヒラクは泣きそうな顔で必死にジークに訴える。
「そっとしておいてよ。もうこれ以上ユピを傷つけたくない。おれのせいでユピは……おれが……ユピを……」
「ヒラク様……」
声をつまらせ嗚咽するヒラクを痛々しく思ったジークは、少し黙って考え込むと、おもむろに口を開いた。
「……明朝、まだ夜が明けきらぬうちに遺体を埋葬しましょう」
「ジーク」
ヒラクは驚いてジークを見上げた。
ランプの炎に照らされたヒラクの顔に涙のあとが光ってみえる。
ジークは、しかたないといった顔で白いため息を吐いた。
「時間になるまでこちらでお待ちください。外の様子を確認してきます」
そう言うと、ジークは厚手の上衣をヒラクの肩にかけた。
「これで寒くはないですか?」
「寒いのには慣れてるよ……でも、あったかい」
ジークが残した上着の温もりが自分の体温と溶け合う。
ヒラクはその温もりにやっと人心地ついた気がした。
薄明かりの中で、ぼんやりとユピの顔を眺めるヒラクのそばにランプを置くと、ジークは広間からそっと出て行った。
冷たいユピの亡骸に温もりが宿ることはない。
それでもヒラクはユピの顔をじっと見ていると、それが寝顔に見えてきて、息を止め、ユピのかすかな動きを探る。
そしてユピの寝息と思えたものが、自分の呼吸による錯覚だったことがわかると、がっかりしたように息を吐く。
それでもまた息をつめ、微かな期待でユピを見る。
そんなことをしばらくくり返していたが、今はただ疲れたように深く息を吐くだけだった。
そしてヒラクはふと床にある剣を見た。
ユピの血が剣先にこびりついている。
ふと頭をよぎった考えにとらわれながら、ヒラクは引き込まれるようにいつまでも剣をみつめていた……。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピの記憶に入りこんだヒラクはなぜか黄金王や神王の過去の記憶にもつながった。そしてそれまでの勾玉主が成しえなかった神の扉を開くが、唯一無二の神としての全体の統合を拒む。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。生まれた時は青の勾玉主だったが、赤の勾玉主だった前世の神王の人格に支配され、自らの勾玉を失う。ユピの中の神王は破壊神の剣と鏡を手に入れ「神の扉を開く鍵」を得るためヒラクを記憶の中へと誘導。ヒラクを守るため自分もろとも神王を消し去ろうと自ら死を選ぶ。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。勾玉主であるヒラクをみつけだし、ルミネスキのあるメーザ大陸へ導いた。一時はユピの言葉の支配を受け、ヒラクのそばを離れたが、ユピの支配も解け、神帝国で再会したヒラクとの絆をさらに深める。
※希求兵……ルミネスキ女王に精鋭部隊として育てられた元ネコナータの民の孤児たち。幼少の頃から訓練を受け、勾玉主をみつけ神帝を討つ使命のもと神帝国に送り込まれ、15年以上潜伏していた。
※義勇兵……神帝国人として土着化した希求兵たちを含めた神帝国のレジスタンス。セーカの青年たちも加わり、神帝に反逆した。
★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。
神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。ユピの前世。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。神の証の鏡に加え、偽神を打ち払う剣があれば真実の神になれると思っていた。剣と鏡と勾玉の正しい使い道を知りユピとして生まれ変わるが勾玉を失っていたため、ヒラクを利用して神の扉を開こうとしたが失敗に終わる。
神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。前世の神王と生まれ変わったユピの中の神王に利用されただけの存在。我が子であるユピを恐れ、神帝国から追放した。
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