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灰銀
見渡す限り真っ白な雪世界で、ヒラクはぽつんと立ち尽くしていた。
城壁はどこにも見えない。
振り返っても、ヒラクが後にした居館もなく、ただ雪の降り積もる小高い丘があちこちに見えるだけだ。
「ここは……どこ……?」
そのとき、小高い丘の上に一匹の大きな狼が姿を見せた。
朝日を背景にして、黒い影を縁取るように、銀に輝く毛が輪郭をなぞっている。
(血のにおいを嗅ぎつけてきたか……)
ヒラクはユピを背中から下ろすと、マントの下にしのばせていたものに手をかけた。
そして狼が自分に向かって突進してくるのと同時にマントの下から剣を取り出した。
それは破壊の剣だった。
朝日が剣に反射しまぶしく光る。
―その剣は……
突然ヒラクの中に声が響いた。
―その剣をこちらへ……
目の前の狼がヒラクをじっと見ている。
その目が銀色に鈍く輝いた。
狼はマイラやウナルベと同じ瞳をしている。
「おまえ……あの時の……」
ヒラクは、その狼が、山越えの際、自分を背に乗せた狼であることに気がついた。
―剣を……
狼の言葉がヒラクの頭に直接響く。
「……そうか。おまえもウナルベと同じ……。この剣に触れてみたいのか?」
そう言って、ヒラクは狼の頭の上に剣の先をそっと向けた。
今はもう、勾玉の光が剣の先からほとばしることはない。
それでも狼は何かを期待するようにじっとおとなしくしている。
「おまえに名前をあげるよ」
ヒラクは突然そう言うと、狼の銀灰色の瞳をじっと見た。
「『灰銀』と呼ぶことにしよう。今日からおまえは『灰銀』だ」
微笑むヒラクを、狼は不思議そうに見る。
「もうこれで、おまえはおまえになったんだ。おまえをしばりつけるものは何もない」
ヒラクの言葉で狼は、自分という存在を初めて感じることができた。
―おまえは……神か……?
「神? どうかな……そうかも……いや、もう、わからないや……」
ヒラクは剣をゆっくり下ろしながら、困ったようにつぶやいた。
光を放たなくなったい勾玉が何を意味しているのかは、考えてもわからない。
―私は神として存在した。山の神と呼ばれ、狼神と呼ばれ、そしていつしか自分を失った……。
「うん……」
今なら狼の正体がヒラクにははっきりとわかる。
神という永遠性に囚われた、この世界そのものである神自身の別の姿だ。
―私自身、神が一体何なのか求めるようになっていた。そしてこの地でおまえという光をみつけた。その光の源はその剣だったのか?
「ちがうよ。それはたぶん勾玉だ」
―勾玉?
「うん。剣にも鏡にも同じ光が宿っていた。だけどもう、光を放つことはない」
―おまえの剣には神の波動を感じたが……。
「それはきっと、灰銀が持つ勾玉に共鳴したからだよ」
―そんなものは持っていない
「持ってるんだよ。本当は誰もが……」
そう言って、ヒラクは寂しそうに笑った。
誰もが勾玉を持っている。けれども誰もが気づかない。その光に気づかない人々とそれを失った自分と一体何がちがうのだろうかとヒラクは自問する。いずれにしても失った自分の勾玉の光はもう見ることはないのだろうとヒラクは思った。
「ところで、ここはどこ?」ヒラクは灰銀に尋ねた。
―ここはかつて雨を奪われた土地だった。
「じゃあ、やっぱりあの砂漠だった場所なんだ。神帝国にいたのにどうしてこんなところに来ちゃったんだろう……」
―時間と空間は固定観念の中に存在するのだ。時間と距離の計算が、移動の範囲を狭めることになる。
その言葉に、ヒラクはプレーナの記憶の中で見た灰銀の姿を思い出していた。
プレーナに入り込んだヒラクの姿は過去の存在には見えないはずなのに、灰銀の目は確かにヒラクをとらえていた。
あの時、まるでプレーナとは関係ないところで灰銀は存在しているようだった。
「よくわかんないけど、思い込みを取り払えば、時間と空間を飛び越えることも可能ってこと? 灰銀にはそれができるんだね?」
―そうだ。
「だったらおれがユピを連れてここからアノイに帰ることも可能だってことだよね」
―おそらくは。
「アノイのことを考えればいいの?」
―考えるだけではだめだ。その土地の空気、踏みしめる大地の感触、風の音、虫の声……。その場所を感じ取れるありとあらゆるものを思い起こす必要がある。そして今、自分がそこにいることを強く感じるのだ。絶対的な現実感を持って、想像との壁を取り払え。
ヒラクは目をつぶり、頭に響く灰銀の声を聞きながら、アノイのことを思い出していた。
そしてゆっくりと目を開け、再びユピを背中に背負った。
「ユピ、アノイへ帰ろう。おれたちの家に」
―その剣も持っていくのか。
灰銀は、ヒラクが剣を再びマントの下に隠すのを見た。
「これは、破壊の剣と呼ばれた剣だ。それを知る者がいる限り、やっぱりこれは破壊をもたらす剣なんだよ。だからおれが持っていく」
そう言って、ヒラクは白い砂漠の中を歩き出した。
剣とユピの亡骸の重みで雪に沈み込む足を、一歩一歩ゆっくりと重たげに踏み出しながら。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピの記憶に入りこんだヒラクはなぜか黄金王や神王の過去の記憶にもつながった。そしてそれまでの勾玉主が成しえなかった神の扉を開くが、唯一無二の神としての全体の統合を拒む。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。前世は神王。始源の鏡と剣を手に入れたユピの中の神王は、勾玉主であるヒラクを利用し、唯一無二の神となろうとするが、ヒラクに阻まれる。激高した神王からヒラクを守るため、ユピは神王を道連れに自ら命を絶つ。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。勾玉主であるヒラクをみつけだし、ルミネスキのあるメーザ大陸へ導いた。一時はユピの言葉の支配を受け、ヒラクのそばを離れたが、ユピの支配も解け、神帝国で再会したヒラクとの絆をさらに深める。
ウナルベ……破壊神の島で剣を守っていた謎の生き物。破壊神とされたことで偽神となり、その地に存在が縛り付けられたが、ヒラクにウナルベと名づけられたことで自己の存在定義を得るが、始源の鏡と剣と勾玉の共鳴により存在を失う。
マイラ…黄金王がルミネスキの湖から引き揚げた鏡が土着の月の女神の姿を消そうとしたとき、その月の女神の存在がその時ちょうど命を落とした老婆の体に入りこんだ。それがマイラの正体であり、マイラは不死の身である自分の存在の根源を求め、王の鏡を手に入れようと画策していた。
★黄金王…最初の勾玉主。黄金の勾玉を持っていた。太陽神とも呼ぼれ、月の女神信仰のルミネスキを支配し、月の女神を妃にしたといわれている。勾玉の導きにより始原の鏡を手に入れるが、その鏡を神の証とし「王の鏡」としたことで勾玉の光を失う。
神王…黄金王の死後現れた二人目の勾玉主。赤い勾玉を持っていた。ユピの前世。自らを神の中の神、王の中の王とし、太陽神信仰者や月の女神信仰者は異端として迫害し、メーザ全域を神の統治国家とした。神の証の鏡に加え、偽神を打ち払う剣があれば真実の神になれると思っていた。
神帝…神王の再来といわれ、神王亡き後、国を失ったネコナータの民たちの希望の存在として信仰対象となり、北の大陸ノルドに神帝国を築いた。前世の神王と生まれ変わったユピの中の神王に利用されただけの存在。我が子であるユピを恐れ、神帝国から追放したが、最後は剣を手に入れたユピに殺され鏡も奪われる。
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